334 特務分隊〜イリス2
旧アスロック王国だった、現在はドレシア帝国の領土ゲルングルン地方に入り、7人で街道を進む。
旧国境であったラトラップ川に橋がかかっている。綺麗な白い塗装の小さな橋だ。その先には更に街道が伸びている。
「すごいっ!道がある!あと、橋も!」
イリスは感動して思わず叫ぶ。ガードナーやデレク、メイスンら生まれも育ちもドレシア帝国の面々には笑われてしまった。ペイドランだけは愛おしげに微笑ましいものを見る目を向けてくれたが。同じく元アスロック王国民のシェルダンとラッドも頷いている。
「仕方ないでしょ。前は道すらなかったのよ」
誰にともなくイリスは告げて、笑った面々を思いっきり睨みつけてやる。
特にガートナーなどはヒイヒイ言っているのだから、馬鹿にする権利はないのだ。時に遅れがちでラッドからは気にかけてもらっていた。
(走りやすくなってるのに。軟弱ねぇ)
イリスは呆れ果ててしまうのであった。女帝蟻のときに見せた雷魔術は凄かったので、きっとあらゆる素質を雷魔術に持っていかれているのだろう、と一人で納得する。
走りやすくなった道を心地よく駆けてから、ゲルングルン地方にて最初の夜営を行う。焚き火を作って見張りも立てて。元々軍属ではないイリスには慣れないことだ。
(良くなったんだわ、アスロック王国も)
もう厳密には別の国だというのに、イリスは思う。
野宿をしていてもスケルトンやバッドに襲われる心配をしなくていい。
よく、セニアやクリフォードの用向きで駆け回っていたものだ。あの頃は魔物も多くて盗賊もいた。焚き火を堂々と焚くことも出来ず、洞穴などで気配を消して休憩していたものだ。
(それに比べたら)
今は温かい火を前にして、愛しい夫の肩にもたれかかっている。これから戦いに行くというのに、つい幸せに感じてしまう。
「すまんな」
不意に背後から謝られた。
分隊長のシェルダン・ビーズリーだ。元々、いつも何かしらか企んでいそうな男ではあるが、この特務分隊が発足してからは、更に難しい顔をしている気がする。
(なんだろう、やだな)
以前のこともあってイリスは身構えてしまう。
キュッとペイドランの手を握った。ペイドランも握り返してくれる。
(そうだ、今日はペッドもいる。それに夜、侵入されたのも、死んだふりを勧められたのも、随分、前なんだもん)
イリスは水に流すことにした。話を聞く限りでは、カティアに怒られた、とのことだから仕返しも済んでいる。ミルロ地方の魔塔攻略後は何かと気を使ってくれているようにも思う。
それに今、謝られているのも、おそらくはかつての粗相とは別のことだ。
「何がですか?」
イリスは丁寧に尋ねた。
一応、今は自分とペイドランの上司なのだ。立場は弁えないといけない。
「あんたたちには、かなり無理な話を聞いてもらってる。それぐらいの自覚はちゃんとある」
仏頂面でシェルダンが言う。顔だけ見ていると本当にすまながっているのか酷く分かりづらい。
(まぁ、でも本当にそう思ってるんだわ、きっと。何から何まで。話はつけてくれたもんね)
今回の件では、別段イリスも怒っていないのである。むしろ何か役に立ちたいと思い始めていたので、渡りに船ぐらいだったところ。
無理な話である分、シェルダン自ら、第1皇子シオンと掛け合って、臨時の給与から2人の身分までかなり細かいところまで詰めてくれていた。
(怪我した時の手当に治療費、出張手当まで足してくれてるんだもん)
特にイリスに不満はないのであった。
ペイドランの顔も見上げる。苦笑いしているから同じ気持ちなのだろう。
「特になんにも、ペッドも私も気にしてないです」
イリスは姿勢を正すと、膝に拳を置く。じぃっとその拳を見つめて話す。
「なんで、王都に行くのがセニアの為になるのか。助けられるのか、それは気になるけど」
どうせ聞いても教えてはくれないだろうと思いつつ、イリスは一応告げておく。
「むしろ、王都で戦う人間がいないとまずい。あの魔塔は皆が思っているよりも遥かにいやらしい」
憮然とした顔でシェルダンが言う。自分たちに怒っているのではない。
最古の魔塔に怒っているのだ。そういう感情の動き方をする人だとはイリスも分かってきた。
「全部はまだ言えない。だが」
シェルダンが少し遠い目をした。人によっては、何か記憶を呼び起こしているような。そんな顔だ。
(でも、これ、多分違う。どこまで今、言えるのか。線引きしようとしてるんだわ)
つまり、何かしらかは話そうとは思ってくれているらしい。イリスとしてはそれで満足しようと思った。
黙ってしばらく待つ。
「最古の魔塔に挑んで、俺達はかなりの無理をした。そしてレナート様を失った」
淡々とシェルダンが語り始めた。
「そこまでは知ってる。あなたのことは知らなかったけど。でも、私もセニアの従者だったんだから」
当時の自分はまだ11歳だった。悲しみのあまり泣くセニアにつられて自分も泣いて。イリスにとってもレナートが優しい主君だったこともある。
(で、奥様、セニアのお母様も後を追うように亡くなった)
悲しいことがどんどん押し寄せてくるような時期だった。
ヤケになったようにセニアが剣に打ち込んだのも同じ時期だ。
「俺は正直、あの戦い、いや、ゴドヴァン様たちもかな。勝ったって一度は思ったんだ」
思わぬことをシェルダンは言う。
「え?」
ただレナートの訃報を聞かされていただけだったから、イリスは驚く。
隣にいるペイドランの方はただ興味深げに聞いているだけなのだが。
「だが、逆転された。それは俺にとって」
シェルダンの目から感情が消える。
「俺にとっても、予想外のことで、ずっと何故だって思ってた」
淡々とした口調でシェルダンが言う。なんの感情も籠められていない。
「だから、俺は徹底的に調べた。先祖の記録を以前にも増して」
当時、かなりの激情をもって、シェルダンが取り組んだのではないかとイリスも思う。殊更に感情を消したかのような声がそう感じさせるのだ。
「で、最近になって、分かったってこと、ですか?」
イリスはなんとなく読めたような気がして尋ねた。
「いや、早い段階で分かった」
またしても予想外のことをシェルダンが言う。
「え、だったら」
そのときに解決してしまえば良かったのに、とイリスは声を上げてしまう。今更、何本も魔塔を攻略する必要はなかったのだ。
ペイドランに優しく口を塞がれた。
理由はすぐにわかる。酷く、怖いぐらいに暗い顔をシェルダンがしていたからだ。
「だが、どうにもあれは、解決出来ない。当時、俺にはどうにも出来ない状況だった。絶望したな、あのときは。ゴドヴァン様たちも国を追われて。まして、セニア様の処刑まで。あの国は」
シェルダンが元の淡々とした口調で言う。感情を殺しているからこそ深い絶望が滲み出てきていた。
(そうだ、この人、多分一回絶望したんだ、全部、分かっちゃったから)
当時のシェルダンについて、イリスは想像するしかない。
「今なら、どうにか出来るかもしれない。いや、どうにかしないといけない状態にまで、辿り着けた」
シェルダンの言葉にイリスはペイドランと顔を見合わせる。
「俺としても長く抱え込んでいたものを解決出来るかもしれないところに至って。まだ明確に言えないことも多いのに、ついてきてくれる」
初めてシェルダンが笑う。
「特にイリス嬢はメイスンなんかと違って、俺とは直接の繋がりはない。うちの部下たちとも違う。軍属ですらないのに。文句1つ言わない。これでも、本当に感謝してる」
根っから悪い人ではないのだ、とイリスは思った。
なにか返事を言おうとするも、先に夫のペイドランが口を開く。
「隊長、まだ何か話があるんじゃ?」
ペイドランが思わぬことを言う。
驚いてイリスは夫を見上げる。苦笑いを浮かべていた。
更にペイドランが加える。
「しかも、すんごくしづらい話」




