333 特務分隊〜イリス1
軍人になってしまった。
(あまり似合ってないわね)
臨時のことではあるが、真新しい黄土色の軍服を纏う自身の手足を見てイリスは思う。女性用であっても長袖の上着に長ズボンだ。細かい寸法などが男性用と異なるらしい。
今はシェルダンに率いられながら、特務分隊の面々と共に、アスロック王国の王都アズルへと走っている。それぞれが自身の準備や報告などを終えた翌日には、もう出立となったのだった。
(軍っていうのは再就職先に考えてなかったわね)
たとえ正規の軍人になったとしても、聖騎士セニアとともに戦闘の訓練は受けてきたから体力的な不安はない。難なら本職の軍人であるはずのガードナーなどよりは、よほど自信があるくらいだ。
ちらりと一瞥すると、ガードナーが男のくせにヒイヒイ言いながら最後尾を駆けている。
(まったく、情けないんだから。それに比べて、やっぱりペッドは素敵だな)
表情一つ変えず淡々と隣を走る夫の凛々しい顔を見上げてイリスは思う。
惚気け過ぎだろうか。
「俺たちもアズル攻略に向かうんだ、って隊長が言ってたよ」
視線に気づいたのか、ペイドランの口が動いた。
元々の部下であり、軽装歩兵だったペイドランである。シェルダンのことを『隊長』呼びするのも妙に似合っていた。
ガードナー以外は軒並みに足の速い面子だ。
(素人目に見てもかなり速い移動なんじゃないかしら?シェルダンさん、急いでる?)
思うも、なんとなくまだ、イリスとしては尋ねづらいのだった。
ルベントを出て、既に旧国境ラトラップ川の近くにまで至っている。国境を越えた後には王都攻めのため、ミルロ地方南部に駐留している第1ファルマー軍団と合流するのだそうだ。
「じゃあ、本当に魔塔に上がらないつもりなんだ、シェルダンさん」
イリスは肩をすくめて相槌を打つ。
7人しかいない分隊だ。特に隊列を組むわけでもない。イリスは当然のように、ずっとペイドランの隣を走るようにしてきた。
「意外だよね。どう考えても俺、なんでこの特務分隊で動くのがセニア様を助けることになるのか、分かんないや」
ペイドランも首を傾げて言う。
黙々と先頭を走るシェルダンの背中をイリスも見やる。
いつも何を考えているのか、よく分からない男なのだ。
「シェルダンさんにしか多分、分かんないんじゃないかしら?」
イリスは首を傾げて答えた。
いつもなら夫婦の会話は水入らずだ。だが、今は周りに他の男が5人もいるのである。
「隊長は大概間違わねえ。信じてりゃ大丈夫だ、って」
小柄なデレクが口を挟んできた。それでも自分やペイドランよりも背が高いのだが。
「大概は、な。でも細かいところであいつ、ときどきやらかすぜ」
シェルダンの親戚だというラッドも指摘する。
それからしばらくアスロック王国時代のしくじりとやらをラッドが面白おかしく話し始めた。ちなみに走りながらである。
(このラッドって人)
ミルロ地方の魔塔での動きをイリスは思い出す。
俗落ちした神官だというが、かなりの腕前だ。さりげなく魔法障壁で女帝蟻の魔術を軽減し、重傷を負ったゴドヴァンをルフィナとともに治療し、復活させていた。
(本職の神官かと、あたし、思ったぐらいだった)
ただニヤニヤしながら話す姿はやはり俗っぽいので、神官よりも軽装歩兵と言われたほうが納得も出来るのであった。
デレクも含めて2人とも嫌な相手ではない。シェルダン本人と比べれば遥かに気さくだ。ただデレクの方はデレクの方でシェルダンを信用しすぎている。
イリスとしては少々、危なっかしい気もしてしまう。
「あの人、ペッドにシオン殿下の従者するよう説得するのに、弱ってる私の病室に忍び込んできたこと、あるのよ」
イリスもシェルダンの失敗とやらを1つ披露してやった。
「あぁ、そりゃ失敗の方だな。あいつ考えすぎておかしな結論に至るときがあるからな」
ニヤリと笑ってラッドが言う。
「俺も聞いたな。カティアさんにその件でこってり絞られたって、酔っ払って大泣きした日があったな」
デレクも相槌を打った。おかげで、更にシェルダンが泣き上戸であり、呑み過ぎるとさめざめと泣くのだ、という情けないこともイリスは知る。
(ふふふっ、やっぱり狙い通りだったわ)
イリスはおかしくなって、ついニマニマしてしまう。
報復は大成功だったのだ。
「なぁに?」
ふと、ペイドランの視線に気付いてイリスは尋ねる。
この上なく温かくて優しい視線を自分には注いでいるのだった。
「ううん、なんでもなくって。やっぱりイリスちゃんは、軍服着てても可愛いなって」
照れくさそうに夫が褒めてくれる。
嬉しくなって、イリスはペイドランに身を寄せる。同じお揃いの軍服に身を包んでいるのが、愛おしさに拍車をかけた。
「まったく、見せつけてくれるぜ、ほんと」
デレクがぼやいた。言動は粗野だが悪い人間ではない。
男同士で騒ぐのがいかにも好きそうだから、相手がいないのはきっとそのせいだ。
「す、すごいなぁ。お、俺もま、魔塔に上がったけど。可愛い恋人、出来ない」
軽装歩兵というよりも魔術師といった方が似つかわしいガードナーが口を挟んできた。
ヒイヒイ言ったり悲鳴を上げたりしながらも、なんとかついてきているのだ。かなりの変わり者であることは見ていれば分かる。
自分やペイドランと同じく16歳とのことだが、随分と心許ない。
「魔塔云々じゃないのよ、ペッドが素敵なのは」
走りながらも器用に、イリスはギュッとペイドランの腕をとって、その腕を抱き締める。ペイドランが走りづらそうに重心を少し崩し、苦笑いだ。
「ま、やることやってくれりゃ、いいさ」
同じく苦笑いしてラッドが言う。そのまま速度を緩めてガードナーを激励している。
走りながらずっと話しているのであった。
「まったく、仲良くなるのはいいが、程々にな」
背中を向けたままシェルダンが言う。
あえて、少しやり取りをさせてから、たしなめてきているのだ。
イリスはその背中に舌を出してやった。『いけないよ』と言わんばかりにペイドランが背中を撫でてなだめてくれる。
(ずっと、この人の部下でいるわけじゃないし、ね)
イリスやペイドラン、そして本職は執事のメイスンはあくまで臨時の軍属、ということだった。最古の魔塔攻略に王都アズル攻めが終わればまた一般人に戻るのだ。
元のシオンの従者に戻るペイドランや執事に戻るメイスンなどと違い、イリスはまた仕事を、次の人生を探し直すこととなる。
(でも、いろいろ踏ん切りをつけるのには、ちょうど良いかもしれない)
イリスは走りながら思う。
魔塔攻略へ、上層に挑むのに自分は腕力が足りない、力不足だ、とイリスは痛感していた。ゲルングルン地方の魔塔で戦った時にも感じたし、先日のミルロ地方の魔塔でも。自分の細剣と扱うための剣技は、大きすぎる人外の敵には効果が薄い。さりげなくペイドランが大物を近づけないようにもしてくれていた。
(まだ人間相手のほうが役に立てるんじゃないかしら、私)
シェルダンからの特務分隊の誘いを受けたのにはそんな思いもあったのである。
「あんまり、思いつめちゃだめだよ」
不意にペイドランが言う。
「何が?」
イリスは驚いて聴き返していた。
「ここの人たち、皆、腕が立つから。自分が頑張ろうって思い過ぎて欲しくないし。変に落ち込んでほしくもない。イリスちゃんはイリスちゃんで偉くて、頑張ってるんだから」
ペイドランがまるで心の中を読んだかのように力づけてくれる。
これも直感で察してしまうのが自分の夫、ペイドランなのであった。
「そうね、確かに、そうだよね」
イリスは素直に頷いた。
時折、休憩するときに、メイスンに剣技を見てもらっている。まるで敵わず手合わせをしても一本も取れなかった。
メイスン以外にも、考えれば考えるほど、この分隊の中で自分は下から何番目なのか、と痛感させられる。
剣技ではメイスンに敵わない。シェルダンやデレクとは戦おうとも思えなかった。軽くあしらわれてしまうだろう。
(剣での戦いなら、ラッドさんやガードナー君には負けないと思う。でも)
ラッドには神官並みの術を扱えるという強みが、ガードナーには雷魔術がある。別なことでの貢献度は比べ物にならない。夫のペイドランも同様だ。
「イリスちゃんは勇気があって偉い。だから、十分だから、無茶はしちゃ、駄目だからね」
この分隊への参加を決意してからお互いに掛け合ってきて励ましである。
イリスの方からペイドランに言うこともあった。セニアのことは助けたい。だが、自分たちも犠牲になりたくはないのだ。
「ありがと。私は私だから、私なりに頑張る。人と比べて、なんてお馬鹿なこと考えないからね」
そしてシェルダンの言うとおり、自分たちが王都アズル攻めに参加することでセニアを助けられるなら、とイリスは思うのであった。




