330 夫婦の会話2
「まったく、あの方は。そこまでするのか」
シェルダンはカティアの居間にあるソファに腰掛けて告げる。思わず苦笑いがこぼれた。
「誰かさんと似ているのではなくて?」
クスクスッ、と笑みをこぼしてカティアが言う。
なかなか嫌な指摘だ。シェルダンはわざとしかめ面を作ってやった。
「でも、こっそり夜、一人で、ではなくて、ちゃんと日中に正面から訪いを入れて。供回りの人も一緒だったのよ?誰かさんとは、そこは違って」
少し思い出して腹が立ってしまったらしい。皮肉たっぷりにカティアから蒸し返されてしまう。かつて、自分の都合でペイドランをシオンの従者にする、そのための裏工作をしようとした時のことだ。負傷明けのイリスの病室に単身で突撃したのであった。
「あれは、カティアにも悪かった、と思っているよ。すまなかった」
先にしかめ面を作って始めたのは自分である。シェルダンは改めて素直に謝罪した。
「ごめんなさい。私の方こそ、蒸し返すようなことを言っちゃって」
カティアも手で口元を押さえて謝る。
2人で笑いあった。
「似ているかな?新しい上司と俺は」
シェルダンは聞き返す。あのギョロ目の侯爵よりも、自分では人が良いつもりなのだが。また、上司というには、あまりに立場が遠すぎる気もした。
「それは、見た目は似ても似つかないわよ?あなたのほうがずぅっとハンサムだし。年をとってもきっと素敵よ」
なんとも照れくさくなるようなことを、カティアがあわてたように告げる。耳まで真っ赤だ。とんだお惚気である。
自分も照れくさくなって頭を掻いた。
「でも、似たような物の見方や考え方をしてるのではないかしら?だから、あなたのしたこと、ことごとくバレちゃったのよ、きっと」
確かにカティアの言うとおりなのだろう、とシェルダンも思った。
「彼はどうも、俺の階級がお気に召さないようだ」
代わりにシェルダンはアンス候爵との問題点を告げる。
「私にもそんなことを言ってたわ。手柄を見つけては出世させるんだ、って息巻いてたわよ?」
カティアも冗談めかして言う。
対してシェルダンは改めてため息をつく。部下の妻にまで『出世させる』などとの物言いは尋常ではない。
(父さんに知られたら、また、お説教だな)
実父のレイダンからは、かねてから動きが派手過ぎると苦言を呈されているのだ。それ見たことか、と言われるのが目に見えていた。
(だが、父さんもまだ若い。俺の子供の成人までは生きていられるだろうから。多少の無茶は良いじゃないか)
シェルダンはカティアの妊娠以来思うのであった。
死にたいわけもないのだが、ビーズリー家の継承という意味では、たとえ父である自分が死んでも、生まれてくる我が子には祖父のレイダンがいる。
だから思い切った動きも以前よりは許されるだろう、とシェルダンとしては思っていた。
(といって、好き好んで家訓に逆らいたいわけでもない。俺だって出来れば死なず安全に生き延びて、直接この手で子供を育てたいに決まっているんだから)
定められた家訓の意図や必要性を、シェルダンも理解はしている。
生き延びるため、ということについては、金科玉条のものと感じるほどには。ゆえに出世は困るのだ。
「厄介な人に目をつけられたものだよ、まったく」
心の底からシェルダンはこぼした。
「そうね。でも、そもそもなぜ、あなたのご先祖は出世をあなたに禁止してるの?」
まだビーズリー家の家訓について、詳しい引き継ぎをカティアは受けていない。父のレイダンと母のマリエルも子爵家であるルンカーク家にはまだ遠慮があるようだ。
伝統的には呼びつけるか押しかけるかして、みっちり話して聞かせるものだったらしい。
「軍人は昇進すれば部下の命について責任を負う。それに社会的な責任も。そういうしがらみは行動の選択の幅を狭めて、命を縮める。なりふり構わず生き延びる、ということがやりづらくなる」
シェルダンは淡々と告げる。それに他人から期待されることも同様だ。
「結果、死んでしまう危険が生じるっていうことね」
聡明なカティアである。すぐに理解してしまうのだった。
「でも、あなたの家の人って、そんな昇進した人っていたの?」
その上で思わぬことを聞き返されてしまう。
「え?」
シェルダンは間の抜けた声を上げる。
捉えようによっては、なかなか失礼な質問だが。カティアの場合、馬鹿にする意図などない、ということぐらい、シェルダンにも分かる。
実際、シェルダンの知る限り、分隊長か小隊長までの者しかいない。
「ねぇ、シェルダン。もちろん、先祖の人は優秀で。その上で、うまくやっていたから、出世せずに済んでいたのかもしれない。でも」
真剣な眼差しでカティアが言う。
「あなたもすごい人で。隠そうとしても隠し切れないことをもうしてしまって。既に他人から放っておかれない人になってしまったのではなくって?」
そういう見方をシェルダンはしていなかった。ただ家訓どおりにいかないことを嘆くばかりで。
「それは」
どう返すべきかシェルダンは迷う。
「それに、その上で、引き立てようとしてくれる人に逆らっちゃったら、そのほうが命を縮めるのではなくて?それは生き延びようという目的に反していないかしら」
更にカティアが言う。
要するにもう目をつけられた以上、手遅れだから流れに身を任せるよりないのではないか、ということだ。
身も蓋もない言い方ではあるが、現状から鑑みるに正論ではないかとシェルダンは思う。
「ねぇ、シェルダン。あなたの場合は昇進出来るならしてしまったほうが、ビーズリー家の目的に沿っているのではなくて?だから、後ろめたいことは何もないと思うの。それとね」
どこまでもシェルダンの身を慮って、カティアが言葉を並べる。
(アンス侯爵が、実際にそうするかはともかく、逆らって不興を買い、八つ当たりで危険な死地へと追い込まれても確かに困る、か)
シェルダンはゆっくりと頷く。
「あなたが昇進した上で、もし、体験した上で、もし、昇進しないほうがいいと思ったなら。それをまたこの子や子孫に引き継いであげれば良いと思う」
自分の人生もまた後世への教材なのであった。
カティアにもよく分かっている。
「カティア、ありがとう」
シェルダンはそっとカティアの手に自らの手を重ねて言う。一生懸命に自分の人生について考えてくれることが嬉しかった。
「でも、肝心なことが抜けているよ」
笑顔を作ってシェルダンは告げる。
カティアが首を傾げた。
「君はいいのかい?今回の件で引っ越すことになるし、軍務も忙しくなるかもしれない」
カティアが微笑んで頷く。
「えぇ、そんなあなたを支えることに、私もやり甲斐を感じているの。だから、結婚したのよ」
自分には出来過ぎた妻だ、とシェルダンは感じ、こそばゆくなる。
「だが、それにしても、そもそも出世出来るかだって、まだ分からないんだがな」
アンス侯爵の意図どおりにコトが進むとは限らないのだ。
「それならそれで。あなたと幸せなら私はいいわ」
まだアスロック王国時代、軍人となる前に思っていたのとは、自分の軍歴は大きく異なってしまったものの。それでも自分の人生は恵まれている、とシェルダンは思うのであった。




