329 夫婦の会話1
本当はすぐにでもカティアに会いたかった。
シェルダンは軍営の執務室からルンカーク家へと向かう道中で思う。今はそれぞれ身辺整理のための自由時間だ。各自それぞれの準備がある。その時間をシェルダンも無駄にするつもりはなかった。
(あの執務室からして、未だに俺の部屋なのかは微妙なところだ)
思うにつけて、一抹の寂しさをシェルダンは抱く。
第1皇子シオンやアンス侯爵からの呼び出しを反故には出来ず、また特務分隊の面々への説明責任も蔑ろには出来なかった。
(無理を聞いてもらってるって自覚ぐらいはある)
シェルダンからアンス侯爵への異動する条件の一つが特務分隊の発足であった。ただ、特に一般人のイリスやメイスンの場合、断固として突っぱねられればどうしようもない。
(とりあえず皆、協力をしてくれる、と。本当に良かった)
もともとの分隊員についてはあまり心配はしておらず、イリスの物言いも想定内だった。
(むしろ、思っていた以上に素直で助かった)
つくづくペイドランはペイドランで、良い結婚をしたのだろう、などとすらシェルダンは思ってしまう。
「だが、メイスンとペイドランには、いずれもっとしっかり話をしておかないとな」
ポツリとシェルダンは呟いた。一番、無理を聞いてもらう予定の2人なのである。
ルンカーク家にたどり着いた。シェルダンは木製の一般住宅の扉をノックする。
「シェルダンッ!おかえりなさいっ!」
中からカティアが笑顔で扉を開けてくれた。
愛おしい気持ちのままに、シェルダンはカティアを抱き締める。ずっと、一方的にペイドラン夫妻のイチャイチャを見せられた後なのだ。
「戻ったよ」
そっと耳元で囁く。
「ええ、待ってたわ。この子と一緒に」
同じく、耳元でカティアもまた優しく囁き返してくれた。
「そうだ、これからはいくら恋しくても、気をつけないと。大事な体なんだ」
言われて思い至り、シェルダンは慌てる。強く抱き締め過ぎたかもしれない。いまももっと離れたほうが良いだろうか。
「そんな急に、大きくはならないわよ、もう」
カティアの方が手を回したまま、自分を離さないでいてくれる。
ひとしきり、抱き合ってから2人は身を離した。
「せっかく、ルベントに戻って来られたわけなんだが、すぐにアスロック王国の王都アズルへ発たなくてはならない」
苦い気持ちでシェルダンは切り出した。
現金なものだ、とは自分でも思う。本来、第1ファルマー軍団への異動がなければ、第3ブリッツ軍団として、ミルロ地方に駐留だ。つまり、本当ならば会うことすら出来なかったはずなのだから。
「そうなのね。でも、結局、会えているのだから、中でお話ししましょ」
柔らかく微笑んでカティアが中へと自分を招き入れる。
居間に入ると、なぜだかラウテカとリベラのルンカーク夫妻が少し嬉しそうに見えた。
第1皇子シオンとの面会をルンカーク家でしてしまったことがある。
(あれは確かゲルングルン地方の魔塔攻略直後だったかな)
以降、ルンカーク夫妻がいつも、自分になにか言いたげだったのだが。
なんとなくシェルダンにも理解は出来た。
(大切なご息女と結婚させていただく身で、ただの軽装歩兵だからな、俺は)
結婚を認めてはくれたものの、シオンという皇族とのやり取りを見せたことで、娘の夫はもっと出世を出来るのではないかと、期待させてしまったのだろう。
(出来るのなら娘のためにもっとしっかりしてほしい、と言いたかったのを、カティアが抑えてくれていたんだろうな)
なんとなくやり取りが想像出来て、シェルダンは妻に対して有り難くも微笑ましく思っていたのだった。
が、今は義父母ともに上機嫌である。
義母のリベラがお茶を出してくれた。
「すいません、頂きます」
シェルダンは頭を下げてお茶を一口含む。
顔を上げると正面でカティアが微笑んでいる。多少の違和感などそれだけで頭の中から吹き飛んでしまう。
「身体は大丈夫なのかな?」
シェルダンは身重となったカティアの状態がまず気になるのだった。
「ええ、さっきも言ったけど。そんなすぐには変わらないわ。少し、お腹に違和感はあるけど。まだそのくらいよ」
カティアが優しく自らの腹を撫でながら告げる。その様子を見ていると、シェルダンまでカティアの腹の中に宿る我が子が愛おしく思う。
「あなたの方は?」
カティアが穏やかに尋ねてくる。
思うことは正直、いろいろある状況だ。
「もう知っているだろうが、無事、ミルロ地方の魔塔は攻略したよ。このあと、軍は王都の攻略と、もう一本の魔塔攻略に挑むことになる」
それでも口をついて出るのは軍務のことなのである。
シェルダンは思わず苦笑いをしてしまった。
「自分がどちらに向かうのか。1兵卒の身としてはそっちが気になるところだが」
異動のことについては転居も伴う事柄だ。カティアにも言わないわけにはいかない。
「今まで所属していた第3ブリッツ軍団から、第1ファルマー軍団への異動を命じられた。次の戦からは第1ファルマー軍団の所属として参戦することとなるらしい」
カティアの反応が薄い。反感があるというのでもないようだ。
シェルダンも告げるにあたってはどんな反応が返ってくるのか。いろいろ想定はしていたのだが。あらゆる予想に反して、頷くのでもなくただ微笑んでいる。
まるで先を促し力づけているかのようだ。
「軍人である以上、異動があることは覚悟の上で、当たり前のことだが。どうしても第1ファルマー軍団であれば、ルベントでの生活は難しい」
引っ越さざるを得ないということだ。言いづらいことをシェルダンは告げた。
「えぇ、分かっていたわ」
カティアが頷いた。
軍人の妻としての覚悟をしっかり決めてくれていたということか、とシェルダンは思う。が、なんとなく違和感を持った。その場合は普通、『わかっているわ』ではないだろうか。
「あなたの第1ファルマー軍団への異動、下話にアンス侯爵がお見えになったのよ」
平然とカティアが驚くべきことを告げる。
驚いたのは自分だけではなかった。
「カティアッ」
義父母が声を上げた。上機嫌であった理由もシェルダンにはようやく分かる。第1ファルマー軍団への異動、義父母もこれをあらかじめ知っており、栄転だと捉えていたからだ。
「あら、お父様、お母様、私、別に口止めは、されていなかったでしょう?」
悠然と笑みを浮かべてカティアが言う。
余裕のある妻の姿を見せつけられて、シェルダンも笑うしかなかった。
「私はね、私の言葉でシェルダンとちゃんとこういうことは話し合いたいの」
本当にしっかりした女性と自分は結婚出来たのだ、とシェルダンは思う。
「だから、ここから先の話は部屋でしましょう?」
カティアに連れられて、シェルダンはルンカーク家の居間を後にするのであった。
 




