325 心変わりとその経緯2
ペイドランはなおもイリスを抱きしめながら思う。
(俺たちには、あのとき、魔塔から離れることが必要だった)
今になって思い返してみても、ゲルングルン地方の魔塔攻略直後、セニア達から離れたことが誤りだとは思えない。
後になって、イリスから聞かされたセニアたちへの啖呵も、あの段階では正しく、必要なことだった。
(ああしないと、俺たち、多分、駄目になってたよ)
心の中でペイドランはイリスに語りかける。
(でも、今は状況が変わった。ただそれだけだよ)
だから、イリスが後ろめたく思うことなど何も無いのである。
どれだけ抱擁を続けていたのだろうか。
「ねぇ、ペッド、私」
イリスが口を開く。声の張りがいつもどおりに戻っていた。
ペイドランも我に返る。
「うん」
抱きしめたまま頷いてみせた。今度はただ抱きしめていたいから離れないだけである。怒られるまでギュッとしていようと思う。
「もうっ、こんなんじゃお話出来ないよ。甘えん坊さん」
イリスがとうとう優しく叱りつけてくる。
可愛らしい物言いなので、やっぱり怒られても、もう少しこうしていよう、とペイドランは決めた。
「ありがとう。本当に我儘聞いてくれて。私、全部落ち着くまで、出来ることをしようと思う。まだ、セニアたちが必要としてくれるなら戦いたい」
きっぱりとイリスが告げる。
「そうすると、俺たち、最古の魔塔、上らなきゃかな」
口に出してみるとペイドランも少し怖くなった。
最古の魔塔。シェルダンらの口振りのせいで、さらにレナートの死もあって、漠然と強くて怖い魔塔だ、と思わされてきた魔塔である。
「うん、そこは私も不安。私たち、助けになるかな」
イリスも上目遣いに聴き返してくる。
ペイドランも答えに詰まってしまう。適当に答えられる問ではない。
「この間の魔塔でもセニアたちは危なかった。でも、最古の魔塔はこないだの魔塔より、怖いんでしょ?足手まといになるんじゃないかしら」
即答できないせいで、イリスに下を向かせてしまった。
「そのへんのこと、分かるのは、シェルダン隊長とかゴドヴァン様たちだけだと思う」
ペイドランは言い、イリスから身を離す。
なにせ、実際に上った3人なのである。
「とりあえず、シオン殿下に報告して、どういう手筈なんだか聞けないかな?」
ペイドランは提案する。現段階では分からないことが多すぎるのだ。
情報が集まるのはやはり第1皇子にして、実権を握りつつあるシオンなのであった。
魔塔攻略についても、どこの軍を動かして、欠員をどこから埋めて、などの差配もシオンがしている。横で見ていると、それだけで頭が痛くなるほどの業務量なのであった。
「そうだね、最初の予定どおり」
笑顔を見せて、イリスが言う。
果たして、二人並んで仲良く離宮にたどり着く。
訪いを入れるよりも早く、ペイドランとイリスを見るなり、いつもと同じ守衛が喜色あらわに奥へと駆け込んでいく。
「よく帰ってきた!殿下がお待ちだ!」
そして戻ってくるなり、背中を押すようにシオンの執務室へと通される。
「無事で良かった。うまくやったそうだね」
顔を見るなり、シオンも笑顔で労ってくれた。細い、鋭い、怖い、の三拍子がまるで嘘のようだ。少し痩せたかもしれない。働き過ぎていたのだろう。
金髪の偉丈夫、護衛長であるパターソンも優しい笑顔を向けてくれる。
「私の従者が活躍した。とても鼻が高いよ。よくやってきてくれた」
手放しで更にシオンが言う。にこにこの笑顔である。少し怖いぐらいだ。あいも変わらず書類をしながらペイドランとは話すのだった。
「俺たち、最上階の魔物の手下みたいなちっこいの、やっつけただけです」
褒められすぎて、ペイドランは実際のところを伝えてしまう。イリスも照れくさいのかうつむいてしまっていた。
「それでも、勝利に貢献してきたのだろう?いないよりはいた方が絶対良かったんだ。胸を張りなさい」
そこまで言われるとペイドランも満更ではない。なんならイリスが褒められているだけでも嬉しいのだから。
「イリスちゃんが、いっぱい魔物をやっつけてくれたんです。しばらく戦ってなかったのに、すんごい速くて可愛かったんです」
ペイドランなりに力をこめて、シオンに説明する。
ずっと照れくさそうに俯くイリス。時折、言い過ぎだよ、とばかりに腕をキュッと可愛らしくつねってくるのだ。
「そうか、速いと可愛いが同居するのか。君たちの話を聞いているとまったく退屈しないな。仕事がはかどるよ」
またシオンが手を激しく動かしている。何やら書類を片付けていることにようやくペイドランは気づいた。
「殿下、この後にはどうなるんですか?」
イリスが真面目な顔で尋ねる。
面白がるような顔をシオンが浮かべた。
「王都アズルの攻略に最古の魔塔攻略。この2つが最後の目標だが」
シオンが言葉を切った。
「王都アズルには第1ファルマー軍団を、魔塔攻略には第3ブリッツ軍団と第4ギブラス軍団を当てようと考えている」
人間同士の戦いには第1ファルマー軍団、魔物相手には第3ブリッツ軍団と第4ギブラス軍団をあてるという基本方針に代わりはないようだ。
「俺たち、ここまで来たんだから。殿下さえ許してくださるなら、また、セニア様たち助けて戦います」
ペイドランはそのつもりになって尋ねる。
意外にもシオンが首を横に振った。
「そう、だな。確かに君とイリス嬢の助けがあれば、弟たちも助かるだろうが」
珍しくシオンが言い淀む。
「次の魔塔はゴドヴァンやルフィナから聞いても相当に手強い。君らの助太刀が必要だ、とシェルダンですら判断した、ミルロ地方の魔塔。その更に上をいくらしい」
執務能力は高く、ペイドランにとってら想像を絶して有能なシオンからして、判断がつかないようだ。
(殿下、ご自身で戦わないからどうしても肌で分からないってよくボヤいてるもんな)
だから、代わりによく人の話を聞くようにしているようだ。
「やっぱり、殿下の目からも私は力不足なんですね」
すっかりしょげ返ってイリスが言う。何やら早とちりしてしまったのだろう。
「いや、そういうことじゃない。ただ私も読めない。が、2人がまた、戦う気になってくれていて、嬉しいよ」
シオンが説明しようとして口を開く。
ゆっくりとペイドランは頷いた。自分も間違いなく手を貸したいとは思っている。それはまた、イリスへの気持ちとは別のことだ。
「この間の魔塔。俺たち最上階でやっと合流して」
ペイドランは静かに切り出した。
「あのシェルダン隊長が、ゴドヴァン様とルフィナ様を守って、蟻の魔物に囲まれながら戦ってました。俺らが来なければ死んでたのに」
ペイドランたちが間に合うかどうか。あの段階ではシェルダンにも知りようがなかったはずだ。
「それに、クリフォード殿下も、セニア様も強くなるだけじゃなくて、なんだかしっかりしてて。俺、ああいう皆なら、喜んで助けたいです」
ペイドランにもペイドランの思いがある。ただイリスに引きずられるだけではないのだ。
だから、改めてイリスが気に病むことは一つもないのだ、と優しく妻の背中をペイドランは撫でるのであった。




