324 心変わりとその経緯1
セニア達を助けようと、最初に言い出したのはイリスだった。
ペイドランは数日ぶりのルベントに戻って思い返す。
「疲れちゃった」
可愛らしく肩をすくめて、隣を歩くイリスが零す。
ついペイドランも頬が緩んでしまう。
「俺も。結構、遠かったよね」
ミルロ地方の魔塔からルベントまで、一般人より遥かに速い自分たちの足でも3日はかかった。2人で駆けっこしてきて、やはりイリスには敵わない。ずっと余裕を持って先を走られてしまう。
それでも、行きはどんよりとしていたミルロ地方の空気も、帰り道では明るく澄んだものに変じたと感じられて、ペイドランは気分よく帰ってきたのだった。
(それにやっぱり魔塔、気が重かった。こんな感じになるなら、やり甲斐、あるけど)
魔塔攻略成功の広報が既になされていて、また街は賑わっている。商店などの入り口には『祝!魔塔攻略成功!』と書かれているのだ。喜んでもらえて嬉しい、と素直にペイドランは思った。
「次で、いよいよ最後ね。最古の魔塔、あたし、想像もつかない」
隣を歩くイリスが言う。
時折、『従者の2人だ、可愛い』などと聞こえてくる。大々的に結婚式をしてしまった副産物だった。ゴシップ誌に魔導写真まで載ってしまったのである。可愛いイリスはともかく、自分は場違いでびっくりした。当然、イリスのところは切り抜きにしてある。
「長くあれば、瘴気も多くて、その分、中にいる魔物も強くなるって、シェルダン隊長が言ってた」
ペイドランは思い出して告げる。ドレシアの魔塔を上がっていた時の言葉だった。あれから魔塔を3本も倒してきたのだ、と思うと感慨深くもなる。
「そっか。また、セニア達、危なくなるのかな」
イリスが心配そうに呟いて俯く。
可能性を否定はできない。ミルロ地方の魔塔第5階層でも、窮地に陥っていたのだから。
(責めらんないな。あれは敵が多くて、強すぎたんだから)
ペイドランはゴドヴァンやルフィナ、シェルダンの窮地を思い返す。魔塔の主は一匹なのだ、とペイドランも思いこんでいたのだが。いざ到着してみると、たくさんの蟻がいたのであった。
「俺たちも最初からいたら、危なかったかもね、あの魔塔」
何の気もなしにペイドランは思ったままを告げた。
『ごめんね』と言いかけたイリスが口をつぐむ。かなり前に謝りっこはなし、と決めたのだ。
(でも、イリスちゃん、自分が言い出したから、俺まで危なくなったって、思っちゃったんだ。本当に優しいな)
ペイドランは更にイリスのことを愛おしく思うのである。
自分たち2人が参戦したのは、ある意味、たまたまだった。
シェルダンの部下だという軽装歩兵2人がシオンの元を訪れたとき、たまたまペイドランも一緒に話を聞いていて。
(ガラク地方の魔塔で倒れちゃった、メイスンさんとガードナーって人を連れて行くって)
シェルダンらしい、強かさと抜け目のなさだ、と聞いていてペイドランはただ感心していたのだが。この段階ではまだ、ペイドランにとって、ミルロ地方の魔塔攻略は他人事だったのだ。
(俺が弁当を忘れなかったら、多分、今もそうだった)
またしても忘れた弁当を届けに来たイリスが鉢合わせて風向きが変わった。
あのシェルダンが危ないと見て、増援を手配するほどなのかと心配し始めてしまったのだ。
(あんな顔で、私も行かなきゃ、だなんて、俺、放っておける、わけがない)
ペイドランはまだ目を閉じると決然としたイリスの顔を思い出してしまう。いつもの可愛い、ではなく、美しい、凛々しい、格好いい、と思わされてしまった。きっとこれが惚れた弱みというやつなのだ、とお馬鹿なことを考えてしまう。
(結局、イリスちゃん、まだ次の新しくやりたいこと、見つけられてないもんな)
自分も働くのだ、と言っていたイリスだが、まだ仕事を見つけられていない。本人に労働意欲がないわけではないのだが、何か思いあぐねているようにも見えた。
お互いに不幸ではなかったどころか、間違いなく幸せを感じていたのに、先へは進めていないようにペイドランすら思っていたのだから、イリスの方は尚更だろう。
(セニア様の従者ではなくなって、俺のお嫁さんになってくれたけど、それはセニア様と縁を切るってことじゃないもんな)
頭ごなしに否定をしたくもなく、することもできず、代わりにペイドランは自分なりに理解したのだった。
(多分、イリスちゃんもセニア様が全部終わるまで、安心できなくなっちゃってるんだ)
二人で無言でルベントの街を歩く。シオンの離宮を目指している。
(ちゃんとケリつけないで進もうっていうのが、俺にとってもイリスちゃんにとっても負担になるならやるしかない)
そして、ペイドランもまたイリスを一人で戦わせたくなかった。だから、シェルダンの部下二人、ラッドとデレクのいる目の前で、自分も行きたい、とシオンに打診したのだ。
「ねぇ、本当に戦うとして、さ。シオン殿下、次も私達の参戦、許してくれるかしら?」
うつむいたまま、イリスが尋ねる。
「分かんない。正直、俺、この間の魔塔も上っていいよ、って言ってくれる、と思ってなかったんだ」
ペイドランは正直にイリスへ打ち明けた。
『アスロック王国には、もはや刺客を送り込んでくる余力はない。だから行ってきなさい』とシオンが、背中を押してくれたから参戦できた。
(本当は政敵の人とか、そういう人からの暗殺だって危ないはずなのに)
ペイドランとしては真面目に仕事をしたい気持ちもあったのだが。シオンに背中を押されたのだった。
護衛長のパターソンが腕を上げたことも大きい。ミリアと同じぐらいの実力を持つ暗殺者相手にもそうそうに遅れを取ることはないだろう。
「殿下、怒ってないかな。私、ペッドを取っちゃった格好だもん」
イリスが、しょげ返って言う。
自分は不本意な顔をしていたのだろうか。セニアたちを助けに行くとなってから、何度かイリスに謝られた。
イリスとしては自身のわがままでペイドランを振り回してしまった、そんな印象らしい。
違うよ、と何度も言って、最後には2人で話し合って誤解こそ解いたものの、なおも時折不安そうなのだ。
「いいんだよ。イリスちゃんはお嫁さんなんだから。俺のこと、独り占めするのが当然。俺もイリスちゃんのこと独り占めしたいんだから」
とうとう、ペイドランは往来の真ん中で立ち止まり、イリスをギュッと抱きすくめてやった。
「もうっ、ペッド、恥ずかしいよ」
弱々しくイリスが言う。
元気が出るまでずっと、元気づけるまでだ。
ペイドランは結論づけてしばらくの間、人目もはばからずに抱擁を続けるのであった。




