320 ミルロ地方の魔塔崩壊
ミルロ地方の魔塔を望む森の中。
シェルダンは崩れ行く魔塔に視線を送る。嫌でも視界に入る光景があった。出来れば自分の見えないところでやってほしい。
「すんごい数の蟻だったわね、ペッド」
金髪を肩まで伸ばした碧眼の美少女イリスが言う。幼いぐらいの容姿だが既婚者である。夫のペイドランと並んで地面に腰を下ろし、仲睦まじくピタリと身を寄せている。
「ね、でも、皆、無事で良かった」
ペイドランが愛おしげにイリスの肩に手を回す。
魔塔を攻略した直後だというのに、自分は一体何を見せられているのだ、とシェルダンはげんなりした。自分だって新婚だというのに。
(こっちだって本当はとっととカティアのもとへ帰りたいんだぞ?)
シェルダンはうんざりしながら流星槌を片付け始めることとした。鎖を胸に巻く。
「さすがに今回はダメかと思ったぜ」
ゴドヴァンが大剣を手にしたまま言う。こちらは立ったままだが。
「そうね、でも、また生き延びた。あなたが無事で本当に良かったわ」
紫髪の治癒術士ルフィナが言うのも聞こえる。ゴドヴァンの巨体に遮られてシェルダンからは見えない。見たくもなかった。どうせ正面から抱き合っているのだから。
自分からは見えないだけペイドラン夫妻よりマシなのかもしれない。
「いや、あれが魔塔上層か。暴れ甲斐があったぜ」
何も考えていない部下の筋肉男、デレクが言う。当座の自分はデレクと同じ立場なのであった。
「暴れるだけなら、楽でいいのさ。あそこに至るまでが面倒らしいぜ」
対して親戚のラッドも笑顔で返す。
戦いの後、話をするなら気の合う部下2人の方が良い。シェルダンも口を挟もうとしたところ。
「あの、シェルダン殿、この方たちは」
遠慮がちに、手配したデレクら増援達を一瞥して、セニアが声をかけてきた。間が悪いのだけはどうにも直らない。
シェルダンはため息をついた。
「私が手配しました。手が足りなくなるやもしれぬ、と危惧しまして」
部下二人との雑談を始めるのを断念し、シェルダンは続いて腹に鎖鎌を巻き直しつつ告げる。高かったので、きちんきちんと持って帰ってきた。
「おめおめと、この連中を遊ばせておいて、自分だけが命がけ、などとは御免でしたので」
憎まれ口を返してやった。なぜだかセニアが縮こまる。
自分はそんなに怖いのだろうか。
「素直にセニア様を気遣ったのだ、と言えばいいものを」
にやにや笑いながらメイスンが口を挟んできた。
シェルダンはただ睨むだけだ。メイスンには以前、ガードナーを危地へ連れて行った前科がある。
今回メイスンに助けられた分の借りは、あの前科でもろもろチャラだとシェルダンは思っていた。
(まぁ、なら、意地を張るのも違う、か)
思い直してぎこちない笑顔を作り、ひらひらと手を振る。
『自分には構うな』ということだ。
意図を察したメイスンが、セニアの方へと向き直る。
「それにしてもセニア様。あの光球。実に見事な」
偉大なる聖騎士セニアを褒め称え始めたメイスンが口をつぐむ。
当の聖騎士様ご本人からじとりと睨まれてしまったからだ。
「おじ様のお世辞は、本っ当になんにもアテになりませんっ!私、シェルダン殿に鍛えられて、でも本当に呆れられてばかりで」
礼よりも何よりも先にセニアが怒り始めた。
(そんなに嫌だったのか、俺に怒られるのが)
シェルダンはさすがに決まり悪くなって横を向く。
更に少し離れた。だが、セニアの声が大きい。
「大変だったけど、やっと少しは成長して、怒られるのも減ったの。私、大変だったんだから!」
鍛える羽目になった自分のほうが大変だったというのに、随分な言い草だ。
シェルダンはまた口を挟めなかった。メイスンがセニアに何やら言い訳と謝罪を始めたからだ。
ふと、もう一人の部下が目に入る。
「ガードナー」
シェルダンは想像以上に腕を上げた部下を褒めようとして声をかけた。
「ひえええぇっ」
いつも通りの悲鳴が返ってきた。先の女帝蟻を見ても悲鳴をあげずに戦っていたのは何だったのか。
(くそっ、まったく、どいつもこいつも)
シェルダンは行き場のない怒りに拳を震わせる。
「さすがシェルダンだ。ぬかりがねぇな」
誰に八つ当たりで怒ろうか悩んでいたところ、ゴドヴァンに声をかけられた。
「本当ね。増援を6人も手配するなんて。しかも、とびきりの」
ルフィナも相槌を打つ。
何も考えていなかった戦友2人である。シェルダンはため息をつく。怒るのも馬鹿らしくなってしまった。
「私が呼んだのは4人です。あの2名は違います」
シェルダンは未だにじゃれ合っている新婚の16才2人組を見て告げる。しばらく放置していると、とうとう接吻まで交わし出した。
「そうだわ、イリス、ペイドラン君も、どうして?」
セニアが首を傾げて2人に尋ねる。
シェルダンですら、この2人が来てくれるとは思わなかった。
デレクとラッドに、回復したであろうメイスンとガードナーを連れてきてもらうまでが自分の計画だ。
(だが、勝手に連れてくるわけにもいかん。シオン殿下に俺の手紙を届けて、許可をもらう算段だったが、そこで何かあったのか?)
一番ありそうなのは、ペイドランの雇い主である第1皇子シオンが送り込んだ、ということだが。
「時間経って、結婚して落ちついて、あたしも先を考えると、やっぱり今、出来ることをしたいなって」
まず妻の方であるイリスが切り出した。さすがに少し気まずそうだ。
「俺たちもきっと、そのうち赤ちゃん出来て、育てて」
ペイドランも話し始めた。
隣ではイリスが『もうペッド、恥ずかしいよ』と真っ赤になって言うのが聞こえる。どこまで見せつければ気が済むのだろうか。
「今は知らんぷりして、良くっても。もし、皆が俺たちが力を貸さなかったせいで負けちゃったらって思うと、後悔しちゃうから、頑張ろうって」
つまり、この2人も魔塔が減り、いよいよ大詰めというところで、今が頑張りどころだと思ってくれたらしい。
(これもセニア様の功績か)
一度は死んだふりをして見捨てようとした自分。
一度は恋人の命に、自分たちの幸せを優先したくなったペイドラン達。
一度は重傷を負って動けなくなったメイスンとガードナーも。
セニアが戦いを続けてくれたから、また戻ってくることが出来たのである。
そこだけは素直に、機会があれば、いつか褒めるべきところだとシェルダンも思う。
「2人とも、ありがとう」
感極まって、セニアが言う。
クリフォードが優しくその華奢な肩を撫でていた。
「むしろ、ごめんね。あたし、一度はペッドのが大事だって、啖呵切って、それで離れたのに」
ペイドランとセニアを見比べて、イリスが気不味そうに俯いて言う。
自分の知らないところで何やら激しいやり取りでもあったのだろうか、とシェルダンは思った。
「俺たちが悪い、とは俺、思わないよ」
ペイドランが妻の肩を優しく抱き寄せて言う。
羨ましいぐらいに仲睦まじい2人なのだった。
「出来ることとか、やるべきことはいつも変わるんだから。あの時はああするのが必要で、今は助けられるようになった、って、それだけのことだよ」
前向きなことを力強く言い切るペイドラン。
デレクが小さく口笛を吹いた。
「すげぇな。見せつけてくれるのもそうだが。あんな可愛子ちゃんと、あんな小僧で結婚してよ。照れも嫌味もなく喋れるのか?」
どうやらラッドに言っているらしい。イリスを可愛子ちゃん呼ばわりしたことで夫婦から揃って睨まれているのだが。
「ありゃ特殊事例だ。他人にゃ真似できねぇよ」
ラッドも遠慮のない相槌を返す。
怒ったペイドランの恐ろしさを知るシェルダンは黙っていた。
ふと、ガラガラと音を立てて魔塔が崩れる。場にいる11名が全員、崩れ行く魔塔の方へと向き直った。
「何度見ても気分が良い。やりきったって気がする」
誰にともなく、感慨深けにゴドヴァンが言う。
「ええ、本当にそう、ね」
愛おしげに答えるのはやはりルフィナなのだった。
他の皆もそれぞれに思いを抱いて、魔塔の崩壊を眺めているのだろう、とシェルダンは思う。
心の内に澄み渡るものを感じる。
だが、今回がこの11名全員が一同に介して戦う、最初で最後の機会である、と知るのは自分一人であろうことについて、シェルダンは思いを馳せるのであった。




