32 第7分隊〜ハンス2
「義兄上、あ、失礼しました。隊長、姉からの返事を伝えに参りました」
露骨にわざとらしくカディスが言い間違えてくる。
多少、休暇ということでカディスも浮ついているようだ。サーペント駆除時の判断の誤りを本気で叱責しようかシェルダンは悩む。
「カディス、お前な」
シェルダンは窘めようとした。やはり自分の腹が立ったから叱責をする、というのは上長として間違っていると思うのである。
ただ、たしなめる程度ではカディスの涼し気な顔は動じない。
「分隊の皆に文通を公表して頂けたので。てっきり観念されたのかと」
カディスがなかなかに失礼な毒を吐く。
「観念とはなんだ、観念とは。カティア殿に失礼だろう」
なんならシェルダンのほうが本来、観念をしてもらう身だ。収入も身分も自分のほうが低いのだから。ただ、身分の話をすると姉弟二人がかりで怒るので言えないのだが。そして2人とも口論には強いのである。
「隊長は姉の癖の強い性格をご存知ないからそう言えるのです」
カディスがにべもなく言い放つ。
言われてもシェルダンには今のところ、したたかではあるが、楽しげに笑う優雅な所作の美しい女性、というイメージしかなく、可愛らしい笑顔しか浮かんでは来ない。惚れた弱みというやつなのだろうか。不安になってきた。
「姉はまだ隊長の前では猫を被っていますから。まぁ、ずっと被り続けるつもりならそのほうが良い、と私などは思いますが」
意味ありげにカディスが笑う。『姉がいつかボロを出しますよ』と言っている笑顔だ。少々感じが悪い。
シェルダンもあまり厳しくは追及出来ないのだ。
今日、わざわざ執務室にカディスが来たのは、カティアとの伝言を届けるためだからだ。ハンスのみならずカディスにまで休暇を使わせてしまったことに罪悪感がかなりある。
「姉から、デートは予定通り、明後日の昼前。待ち合わせはルベント中央噴水広場でいかがですか?」
また、淡々と訓練日程を詰めるようにカディスが告げる。何やらメモまで持っていた。カティアからの注文が多岐にわたるのかもしれない。
これだけは提案しておきたい、ということがシェルダンにはあった。
「待ち合わせ場所、待ち合わせせずに俺が、直接、カティア殿の勤めている離宮へ迎えに行こうと思うんだが」
もっと以前から、カディスに伝言を届けさせるのは控えるべきだった。反省しつつシェルダンは提案する。
(それに、この間みたいなことが一人で待ち合わせ場所へ向かう途中でまたあったら、後悔してもしきれない)
それぐらいの気は使うべきだった。相手は妙齢の女性なのだから。
「それは」
カディスが考える顔をした。
「それは姉も喜ぶと思います。しかしよろしいのですか?照れくさいのでは?」
そもそもセニアへの教練書にしても、自分で直接渡していれば、誤解の生まれる余地などなかった。
シェルダンはゆっくりと頷いてみせる。
「確かに照れくさいが、いつまでも相手の女性の弟を使って伝言するなど失礼だろう。むしろ、カディス、今まで済まなかった」
頭を下げる。質問攻めなどに辟易とさせられたこともあったが、総じて有り難い存在だった。
「カティア殿のような素敵な女性を、そもそも紹介してくれたことも、そうだ。たった一人の大事な姉上だ。俺のような男に紹介するなど勇気が必要だったろうに」
顔を上げる。
珍しく、あたふたと狼狽した様子のカディスがいた。
「いえ、隊長。姉が素敵ではないこと以外、全く問題ありません。むしろ、姉と違って、こうしてきちんと労って、頭まで下げて頂いて」
どうやらカディスはいたく感動してくれているようだ。
「どうか、何とかあの姉をお願いします。私の義兄となってください。本当に宜しくお願い致します」
気が早い。おまけに何やら恐ろしくなってきた。一体、カティアはどれだけカディスに辛く当たったのだろうかと。
シェルダンの不安を他所に、カディスが最後の仕事だと言わんばかりに張り切って、デートの計画を詰めていく。
一通り、話し終えると大いに満足した様子のカディスが寮へと戻っていた。ちなみにカディスへ休暇の予定を聞くと『とにかく寝ます!』という答えだけが返ってきて、ハンスよりも心配になってしまう。
翌日の夜、シェルダンは父母とともに暮らす自宅の自室において、大いに頭を悩ませていた。
「どうしたものか」
一人、寝台に並べた衣類とにらめっこをしてつぶやく。
いよいよ明日である。
勝負服などという小洒落たものは持っていない。そもそも私服からして数が少ないのだ。支給された紺色シャツと同色のズボンで日常生活は済ませていたが、今回は論外だろう。
唯一、確定しているのは腹に鎖鎌を巻いておくことだけだ。
母親のマリエルに相談しようとは考えなかった。
今は、最初のときと違い、カティアへの気持ちを自覚している。一つ一つのことについて、丁寧に考えて決めたいと思っていた。変に取り繕うよりも心から自分で良いと思える選択をして、その上でカティアの意にそぐわなかったらきちんと話し合うのだ。
(そういう話し合いも楽しめるような関係を築きたいものだ)
結局、決めきれぬままその日は床について、目が覚めてから、青色の襟付き半袖シャツに、黒いスラックスという服装にした。
「良かった」
カディスから聞いていたとおり、第2皇子クリフォードの離宮にある裏門、その前でカティアが待っていてくれた。クリーム色のブラウスに、淡い緑色のロングスカートという出で立ちだ。つい、一瞬、シェルダンは見惚れてしまう。
「お腹の鎖鎌が、その服装だとあまり目立ちませんわね」
いたずらっぽくカティアが微笑み、すっと身を寄せてシェルダンの腹部を細い指でつつく。ジャラジャラと鎖が小さく場に不似合いな、無骨な音を発する。
時刻はまだ昼前だ。ランチを取り、カティアの要望でルベントにある聖教会へと向かい、夕食を取ってから解散、という流れである。
「カティア殿、先日の届け物については助かりました。ありがとうございます」
シェルダンは礼を言い、頭を下げた。謝罪すべきか、礼を言うべきかは最後まで悩んだ。それこそ会う直前まで。
顔をあげると、拗ねたように口を尖らせているカティアの顔があった。
「弟から事情はちゃんと聞きましたわ。私、てっきり、早速浮気されたのかと思いましたのよ?年甲斐もなく泣いてしまいました」
申し訳ないという気持ちでシェルダンの胸が痛む。
きっと、気丈でしっかり者のカティアだから、他人には涙など見せるわけにもいかないと、人目につかない場所で忍び泣いていたのだろう。目に浮かぶようだ。
「でも、いいの。誤解だったし。今日、埋め合わせをしてくださるのでしょう?」
カティアが微笑んだ。救われたような気分にシェルダンはなってしまう。
(参ったな)
前回よりもひどくカティアの一挙一動に翻弄されている。はっきり意識し始めてしまったせいだ。
「ええ、もちろん」
スラックスのポケットに入れた封筒に触れつつ、シェルダンは答えた。
クスリ、とカティアが楽しげに笑みをこぼす。
前回のことにしっかりけじめがついた、とシェルダンは安心して、カティアと連れ立ってルベント南部の川沿いの地域を目指す。
レンガで舗装されて水路のような川だが、ほとりに一軒、お洒落な料理屋が立っている。『ホワイトリバー』という店名だ。
白い壁が美しく陽光を弾き返しており、シェルダン一人ならまず間違いなく入らないような店だが。カティアとともに店へ入り、卓への案内を受けた。