318 ミルロ地方の魔塔第5階層3
シェルダンら5人は、黒く染まった女帝蟻の顔と睨み合う。異様な雰囲気にセニアやゴドヴァンですら仕掛けることは出来ない。仕掛けたところで何か防御を講じられるだけなのだが。
カサカサと女帝蟻の腹の下あたりから音がしてきた。
(来たな)
シェルダンは身構えたまま、静かに鎖分銅を回し始めた。他の面々はまだ動き出せない。何が起こるのかを知らないからだ。
女帝蟻の腹から無数のアントが生まれてくる。色とりどりの身体に、通常のアントよりも一回り大きく屈強な身体。
アントの上位種ハイアントである。
赤、緑、茶色が主だった種類なのだが。シェルダンの知らない、違う色もまばらに混じりこんでいた。
2匹、並外れて大きな、黒い個体がいる。さすがに計算外だ。
「ロイヤルアント、あんなものまで」
呆然としてシェルダンは呟く。
攻撃手段は乏しいものの、とにかく生命力の強い魔物だ。この戦局では重たい相手でもある。
(これがあったから、ご先祖様たちは敗走させられた)
女帝蟻の奥の手、産卵だ。単独でなぜ、アントを生み出せるのかはシェルダンも知らない。ただでさえ強力な魔塔の主と戦う中で兵隊まで生み出されるのだ。少数精鋭で上る側はひとたまりもない。
「待ってくれ、シェルダン、魔塔の主は一匹じゃ」
クリフォードが動揺もあらわに告げる。たとえ自分が待っても敵は待たない。
「奴を例外としますか?それとも、産んでいるだけだから、これで一匹と納得しますか?解釈に迷いますね」
苦笑してシェルダンは言う。
現にいるのである。魔塔に決まりがあるわけではない。
解釈などと、呑気にいつまでも言ってはいられないことぐらいはクリフォードにも分かるだろう。
迫りくるハイアントの群れ。数十どころか3桁に至りそうな数だが、まだ増え続けている。
(これは、駄目だな)
シェルダンは鎖鎌から流星槌に得物を持ち替えた。
乱戦になるなら流星槌の方が良い。
「戦うしかありません。それにここまでは順調なのでしょう?」
傷を癒やしたセニアが言う。凛々しい姿にクリフォードも覚悟を決めたようだ。
「殿下、殿下は私が守ります。だから」
聖剣と盾を構えてセニアが言う。
「あぁ、ならば私がその間に奴等を焼き尽くして、君を助ける!」
クリフォードも気持ちを奮い立たせて詠唱を始めた。
何かセニアが言いかけたのは少し違う内容だったのではないか。ちらりとだけシェルダンは思う。かなり苦しい戦況だと、今ならばセニアにもクリフォードにも分かるはずだ。
すぐにそれどころではなくなる。
「来るぞ」
言われずとも戦うつもりだったのであろう、ゴドヴァンが告げて、大剣を振るう。
数匹のハイアントを一振りで切り倒したが、まるで減っている気がしない。
切り倒した数よりももっと多くの数が押し寄せてくる。
「閃光矢」
セニアが光の矢を乱射する。
貫いて傷つけるも仕留めるまでには至らない。
結果として意味のない攻撃だが。
(意図は分かる)
シェルダンも責めようとは思わなかった。
長期戦を予想して、消耗の少ない閃光矢でハイアントを倒せないか試したかったのだろう。ちゃんと先を見据えての布石なのだ。
「くっ、壊光球」
即座にセニアが攻撃手段を壊光球に切り替えた。
消耗が激しくとも信頼度の高い技に頼ることとしたらしい。
「開刃」
5つの回転する壊光球と一緒になって、セニアがハイアントの群れに斬り込んでいく。
あの数との乱戦ではすぐにゴドヴァンもセニアも全体がわからなくなるだろう。
シェルダンは全体を見つつ流星槌を操る。
現在の救いは、未だに女帝蟻が出産に忙しく、自らは参戦してこないこと。代わりに迫るのがハイアントの群れだが、今のところは多いということ以外、脅威ではない。
(だが、あれが迫ってくれば)
体高1ケルド(約2メートル)、体長2ケルド(約4メートル)の巨体を誇るロイヤルアントの方だ。
ただこちらも多すぎる自身の仲間たちに移動を妨げられ、また女帝蟻を守ろうという本能もあって、少しずつしか近づいては来ないのだった。
(いつ、女帝蟻が動き出すのか。それまでに我々はこの蟻の群れを殲滅できるのか)
シェルダンは流星槌で近づいてきた、赤色のハイアントを叩き潰す。
さすがのゴドヴァンとセニアも数に押されてかなりの数を打ち漏らしていた。接近戦に弱いクリフォードとルフィナを守るのが、どうしてもシェルダンの役割となる。
「だめだわっ、蟻たちがどんどん増えてくるっ!」
ルフィナがゴドヴァンに回復光球を正確に飛ばしながら叫ぶ。
鎧を着ていないのに、乱戦を挑んでいるゴドヴァン。小さな傷は数知れず。時にはかなりの深手を負わされてなお、暴れ続けている。
「何か、手を打たないと確実に死ぬことになる」
シェルダンも焦っていた。単純な物量に小細工は効かない。先祖の敗走した理由がよく分かる。
「セニア殿っ、ゴドヴァン殿っ、退がってくれっ」
またクリフォードが叫ぶ。
熱気が肌を打つ。赤い魔法陣が中空に生じてハイアントの群れのど真ん中にまで飛んでいく。
ゴドヴァンとセニアが退がろうとする。囲まれてうまく行かない中。
「くっ」
シェルダンは流星槌で、ハイアントを何匹か叩き潰し、二人の退路を確保する。
「よしっ、ファイアーウォールッ!」
2人が退がってくるのを確認して、先程の女帝蟻と同じ魔術をクリフォードが用いた。
炎の壁がハイアントたちの接近を阻む。
「今のうちに2人とも、態勢を整えるんだ」
炎の壁を維持しつつクリフォードが告げる。ただ撃つよりも維持するほうが魔力を使う。端正な額からは玉のような汗がにじむ。
だが、クリフォードの苦労のおかげでかなりの時間を稼げる。
(いや)
シェルダンは気付いてしまう。
「ちっ」
赤いハイアント、接近してきた個体をシェルダンは青い流星槌で潰す。
赤いハイアントには炎への耐性があるらしい。炎に耐性がある相手には氷がよく効くのだった。
(だが、キリがない)
何食わぬ顔で炎の壁をくぐり抜けて近づいてくる。
さらにロイヤルアントも炎の壁をくぐり抜けて近づいてきた。こちらは単純に頑丈なのだ。
「くっ!」
クリフォードが苦悶の声をあげる。
だが、ファイアーウォールがなければ、もっと多くの数が押し寄せてくるのだ。
特に感心であるのは、ファイアーウォールのこちら側に、赤い転移魔法陣を確保していること。いざとなれば下層へ退却する余地を残しているのである。
視界の中、蟻が増えなくなった。
決して良い兆候ではない。
「ぐおっ」
ドゴッと鈍い音がして、ハイアントを切払っていたゴドヴァンの巨体が吹っ飛ぶ。
「ゴドヴァンさんっ!」
悲鳴を上げて駆寄ろうとするルフィナ。
ファイアーウォールの向こうから、突き出された杖がゴドヴァンを直撃したのだ。いくらゴドヴァンの巨体でも生身の人間である。ひとたまりもない。
ハイアントを産み終えた女帝蟻が参戦してきている。
(まずいな、いよいよ)
あまりハイアントを倒しきれなかった現状を見て、シェルダンは思う。
このままでは勝ち目は薄い。手が足りなかった。痛切にシェルダンは思っている。セニアがクリフォードの近くでハイアントに囲まれながら聖剣を振り回し、壊光球で敵を切り裂く。
二人の方には比較的、敵が少ない。あの二人ならば切り抜けられるだろう。
「ゴボッ」
ゴドヴァンが血を吐く。
気がつくとシェルダンはそのゴドヴァンの直近で流星槌を振るっていた。足元ではルフィナがしゃがみこんで、仰向けに倒れたゴドヴァンの負傷を確認している。
「ゴドヴァンさんっ、そんなっ」
かなりの深手と見て取って、ルフィナが言う。
この乱戦の中、重傷である。致命的だ。
「息はありますので。周りの蟻共からは私がお二人を守ります。ルフィナ様は治療に専念を」
ルフィナが頷く。
自分は何を言っているのだ。思いつつシェルダンは流星槌を振るう。
接近するハイアントを片端から叩き潰していく。
(二人を守らなくてはならないが、見捨てないともいけない)
シェルダンは思い、逃げずに戦っている。
ゴドヴァンとルフィナなど見捨てて逃げるべきだというのに。若く、素質に溢れたセニアとクリフォードが生きていれば、仕切り直しは数カ月後には出来る。
(くっ、ゴドヴァン殿が無事なら一旦、第4階層へ、俺も)
あの二人、セニアとクリフォードだけを連れて引き下がるほうが賢い。自分もこの場で死なずに済む。カティアにも生まれてくる我が子にもまた会える。
だが、ゴドヴァンの巨体を運ぶ余裕が作れない。
「ぐっ」
女帝蟻の杖が突き出されるのを、シェルダンは流星槌の鎖で受け止める。
衝撃だけはどうにもならず弾き飛ばされた。
ルフィナの元へハイアント共が殺到しようとする。
「このっ」
急いでシェルダンは駆け寄り、ゴドヴァンとルフィナには指一本触れさせない。
「ダメッ、きりがない。このままじゃっ!」
セニアが叫ぶ。彼女の方も殺到するハイアントの迎撃で手一杯なのだ。
どういうわけだか、ファイアーウォールを越えてくる蟻が増えている気がした。
(あいつら、変色しているな)
シェルダンはこの後に及んで嫌なことに気づいてしまう。
これはもう駄目だ。本当に、駄目だ。シェルダンは悟る。
「セニア様っ、殿下を抱えて転移魔法陣へ逃げ込んでくださいっ!」
シェルダンは怒鳴った。
幸い、2人と転移魔法陣との間にいるハイアントが少ない。2人ならば逃げ切れるだろう。
「でもっ、シェルダン殿、あなたたち3人は?」
セニアがためらいを見せる。
「我々はゴドヴァン殿を治療してから逃げます」
シェルダンは、体のどこかに噛み付いてきたハイアントを鉄球で弾き飛ばして答えた。
もう痛みなど知ったことではない。身体のどこかもどうせ肉を食われて、少し減っただろう。
(くそ、間に合わなかった。こういうところが俺の甘さだな)
自嘲して、シェルダンは思うのであった。
戦友2人としくじって死ぬ。散々、家訓を破ってしまった自分には似つかわしい最後の気もするのであった。




