317 ミルロ地方の魔塔第5階層2
「くそっ、厄介だな、これは」
片手で顎の汗を拭いつつゴドヴァンが告げた。
炎の壁のせいで屈強なゴドヴァンもさすがに近づけずにいる。かといって、完全に女帝蟻を自由にさせるわけにもいかない。強力な魔術を一方的に叩き込まれ続けることとなる。
「ちぃっ」
シェルダンは鎖分銅を放る。セニアがまだルフィナに治療されている今、炎の壁を越えてなお、攻撃を繰り出せるのが自分ぐらいしかいない。
(アダマン鋼の鎖分銅だ。急所に直撃させられれば、魔塔の主といえど、ただじゃ済まない)
急所である頭部と胸部の間、神経節を狙う。先のように気の抜けた一撃ではない。立て続けに何発も鎖分銅を速射してやった。
(そうでなくても、衝撃だけでも与えられれば少しは動きを止められる)
シェルダンは目論むも尽く杖で叩き落されてしまう。それでも連射し続ける。こちらの攻撃を捌く女帝蟻が楽しそうに見えるのはきっと気の所為だろう。
(俺は1兵士だぞ?)
なぜか事実上、自分が魔塔の主と一対一でやり合っている格好だ。
さすがにしんどい。体力もさることながら集中力が削られる。遊ばれている内がまだ良いのかもしれない。
「壊光球」
息を吹き返したセニアが呼応した。
5つの壊光球が炎の壁を突き破り、女帝蟻に襲いかかる。
「なんて蟻だ」
シェルダンはボヤく。壊光球の間に紛れて鎖分銅を飛ばしているのだが。
2人がかりでも直撃をさせられない。
(遊ばれてたな、俺)
目まぐるしく2本の杖を操って、防がれてしまう。
だが、油断を誘えていたということでもある。付け入る隙でもあるのだ。
「眩惑っ!」
ちょうど思った時に、セニアが壊光球を女帝蟻の顔面近くで飛び回らせる。
さすがに意表をつかれて目で壊光球を追ってしまう女帝蟻。
(良い援護だ)
すかさず渾身の鎖分銅を放る。先よりも僅かには速いだろう。
シェルダンの鎖分銅が女帝蟻の顔面を掠める。
直撃はさせられなかったが、手負ったようで黒い瘴気が傷から漏れ出た。
真っ白な虫とも人間ともつかぬ女帝蟻の顔。シェルダンを見て、ニタァッと笑った。
まともに戦える相手を見つけて喜んでいるかのようだ。
(俺は嬉しくない)
背筋に寒気が走る。ゾッとしてシェルダンは鎖分銅を手元に戻す。
女帝蟻が杖を一振りした。炎の壁がいつの間にか消えている。
「ぐおっ」
代わりに無数の石の弾丸が飛んできた。
シェルダンは鎖を回転させて大半を防ぐも肩口に何発かめり込んだ。
「シェルダン殿っ」
セニアが声をあげる。
(使用する魔術の幾つかは詠唱要らず、か)
肩から血を流しつつシェルダンは思う。死ぬような傷は避けた。
「シェルダンッ」
ルフィナがすぐに駆け寄って回復光をかけてくれる。
「きゃあっ」
セニアの悲鳴。地面から生じた土の拳に握りつぶされそうになっていた。
自分が離脱したことで女帝蟻と今度はセニアが一対一だったのである。
即座にゴドヴァンが大剣で、土の腕の手首に当たるところを切り裂いて助けた。
(だが、あの隙でゴドヴァン殿も女帝蟻に斬りつける機会を逸した)
シェルダンは肩から痛みが消えたことで、息を1つついた。
咄嗟のことで何が正しい選択か、など分からない。セニアに死なれてはすべてが終了なのだから。
「炎より土の魔術を得意としているのかしら。土の方は無詠唱ね」
治療を終えたルフィナも告げる。
「そのようですね。私も知りませんでした」
シェルダンの返答にルフィナが意外そうな顔をする。なんでも知っているとでも思っているのだろうか。
(女帝蟻を目撃したご先祖たちは大抵、敗走していたからな)
一族の記録を思い起こしてシェルダンは立ち上がる。
だが、自分は先祖たちと同じではない。言い聞かせて気持ちを奮い立たせる。
更に鎖を回転させた。
「この鎖鎌からして、今での先祖たちとは違う」
シェルダンは呟く。
女帝蟻の巨体を支える後ろ足4本を狙う。先の速射をしたとき、防御するための腕も、攻撃への注意も届き切っていない印象を受けた。
セニアとゴドヴァンが右から襲いかかるので、シェルダンは左後ろ足を狙い撃つ。
(はっは、ざまぁみろ)
狙いどおり、鎖分銅が巨体を支える脚にめり込んだのだ。
ついニヤリと笑みを漏らしてしまう。
「キャキャアッ」
女帝蟻の白い顔が歪んで悲鳴をあげた。
にくにくしげな表情。
その怒りをまともに受けることになったのはセニアだ。
なにか来ると察して、盾を構えたセニア。落ち着いて相手をよく見ているからできた反応だが。
女帝蟻の攻撃が、セニアの警戒を嘲笑うかのように左右から来たのだった。
今度は2本ある土の手、その手の平が、華奢なセニアの身体を押しつぶしにかかる。
「くうぅぅぅっ」
苦悶の声をあげて、あえなく潰されるセニア。膝をついて、血の混ざった咳をしている。死なずには済んでいた。鎧のおかげだ。
「てめぇっ」
ゴドヴァンが怒号をあげるも、2本の杖を突破できない。
むしろ、超人的な反応で杖と地属性魔術をよく捌いているくらいなのだが。
「よくこらえましたね」
シェルダンは戦況を見て思う。
セニアのことではない。
恋しい女性がボロボロにされてなお、冷静さを保ち続けていたクリフォードのことだ。
最初よりもさらに強い熱気が肌を打つ。女帝蟻はセニアや自分に構いすぎたのだ。
天井付近に2つの巨大な赤い魔法陣が浮かんでいる。
「ゴドヴァン殿っ!セニア殿を早くっ!ルフィナ殿のもとへ!」
クリフォードが叫ぶ。やはりセニアのことが心配でないわけがなかった。
ゴドヴァンがセニアを抱えて下がってくる。
女帝蟻の動きを誰かが封じなくてはいけない。
シェルダンは鎖分銅を立て続けに放る。もう狙い所は決まっているのだ。
足を撃たれて悶絶する女帝蟻。
「よしっ」
クリフォードが振り上げていた右腕を振り下ろした。
「獄炎の双剣」
炎の大剣が2本、女帝蟻の身体を飲み込もうとする。
女帝蟻が杖を2本掲げた。見るからに焦っている。
最初に見せた打ち消しの魔法障壁。
「私は負けんっ!焼き尽くせぇっ」
クリフォードが絶叫する。
炎の奔流に、女帝蟻の巨体が呑み込まれた。
「よしっ」
クリフォードが拳を握る。
「やった、殿下っ、これで!」
セニアが痛む身体に鞭打って、壊光球を1つ生じさせる。
誰に言われるでもなく、自分の役割を、負傷を押してでも遂行できるようになった。
シェルダンはセニアの成長を感じ取り、嬉しく思う。
「あとは魔核を、私がっ!」
壊光球から刃が生じて回転する。
(問題はまだ、終わりではないということ)
シェルダンは思い、首を横に振った。
相手が死んだのを見るまで、勝負は終わりではない。炎の奔流が消えず、未だに女帝蟻の姿は見えない。
「お二人とも、勝ちだと思うのには、まだ早いですよ」
シェルダンは静かに告げる。
この程度で勝てるのであれば、並み居るご先祖も敗走などしない。
炎が晴れた。
「キャキャキャ」
洞窟の中、甲高い声が響く。
「そんな」
セニアが喘ぐように言う。
大急ぎでルフィナが治療しているところだった。
「奴は我らを甘く見ていた。甘く見ている内に一発かましてやった、という意味ではここまで順調です」
シェルダンは女帝蟻を見据えて告げる。
白かった、女帝蟻の気味悪い顔が黒く染まり、瞳が赤い光を放つ。
ここまで女帝蟻にとっては、遊びのようなものだった。
杖を振り回して魔術師の真似事などをして。
「ここからが本番です」
シェルダンは静かに告げる。
相手がいよいよ魔物として本領を発揮して、生きるか死ぬかの戦いになることに、皆が顔を引き締めるのであった。




