315 挿話〜魔塔の外での密謀(カティア)2
馬を家の前に繋いで、男性3人がルンカーク家の扉をノックしてきた。
「どちら様ですか?」
治安の良いルベント、ドレシア帝国ではあるものの、どんな相手かも分からない。
カティアは一応用心して扉を開けずに応対する。覗き穴からこっそり外の様子を窺う。若い男2人と年配の男が1人。軍人のようで姿勢良く立っている。
「第1ファルマー軍団の指揮官アンスという。カティア・ビーズリーさんのお宅で間違いなければ、旦那さんのことで話がしたい」
だみ声でアンスと名乗る年配の軍人が告げる。
アンス侯爵。確かに第1ファルマー軍団を指揮する軍人貴族の名前だ。
そっと改めて覗き穴から相手の風貌を窺い、貴族名鑑で見た、アンス侯爵と同一人物であることを、カティアは確認する。
「な、なんで今度は侯爵閣下が」
オロオロと狼狽する父のラウテカ。以前には、第1皇子まで来訪しているのだ。今更驚くことではない、とカティアは思う。
「聞いたでしょ?きっとシェルダンがやらかしたのよ」
俄然、愉快になってカティアは告げた。
それもおそらくまた、良いことをシェルダンがやらかしたのだろう、とカティアは思う。そして、本人は失敗した、と頭を抱えているのではないか。
そう思うと、つい笑みがこぼれてしまう。
「失礼しました。何分、女2人と年老いた父の家なので」
カティアは侘びながら扉を開く。
ギョロ目の軍人と若い供回り2人が見た時と同じ姿勢のまま立っていた。
「構わん。こちらこそ急な来訪で申し訳がない」
いかにも一癖ありそうな人物だが、不思議とカティアは嫌な気がしなかった。
更に供回り2人には外で待っているよう厳命し、配慮まで見せてくれる。
(なんとなく、シェルダンに近いものを感じるのよね)
そもそも自分の夫からして癖だらけなのであった。
「夫のこととなれば、私にとっても、とても大事なことですから。お上がりください。狭い家で恐縮ですわ」
カティアはアンス侯爵を居間へと招き入れて告げる。
台所では既に母が、茶を用意してくれていた。ただオロオロして立っているだけの父親とは大違いだ。
「さて、何から話したものか」
居間に通されて、勧められたソファにそのまま腰掛けたアンス侯爵が自分を見る。いやらしい眼差しではない。ただ、どう話を進めるべきかを測るために見ているようだ。
「まぁ、単刀直入に始めよう。そちらの夫、シェルダン・ビーズリーは実に優秀なので、我が軍団へ引き抜く旨を、先程第1皇子シオン殿下に認めさせ、話をつけてきたのだ」
驚くべきことをアンス侯爵が端的に言う。
第1ファルマー軍団といえば次期皇帝にして第1皇子シオン直轄の、いわば近衛軍だ。地方軍である第3ブリッツ軍団からの異動であれば、同じ階級のままでも栄転、と言い切ってしまっても良い。
父が驚倒しかけて、カティアも顔に出さないのがやっとだった。
「まったく、あの夫にしてこの妻あり、だな。少しは驚かんのか?」
ニヤニヤ笑ってアンス侯爵が言う。
実に上手く自分は感情を隠せたようだ。内心はとても驚いているのだから。
「あの人からは何が出てきても驚きませんわ。だから面白くて結婚したのですから」
驚きを白状する代わりにカティアは言い放ってやった。
「まぁ、実にいろいろやってくれるな、あの男は。今回の戦でも幾つか大きな手柄を挙げた」
くっくっ、と笑ってアンス侯爵が言う。
「でも、あの人のことですもの。上手く隠しているのではありませんこと?」
カティアもまたたおやかに微笑んで返す。
楽しそうにアンス侯爵が頷くのである。大正解だったらしい。
「本人は上手くやった気だろうが、わしは騙されん。だから栄転させてやるのだ」
とんでもなく悪いことをするかのように、良くしてくれると言い放つアンス侯爵。なんとなく、やはりシェルダン本人と似たものをカティアは感じ取るのだった。
「異動のことは分かりました。でも、なぜ私にまで?私、てっきり軍人は辞令で動くのかと思っていました。拒否権なんてなくって。私に話す必要なんて、どこにも無いのではありませんか?」
カティアは当然の疑問を口に出す。
「それに答える前に、妙な問いを1つ許してもらいたい」
アンス侯爵の口調が真面目なものに取って代わった。
カティアは目線だけでどうぞ、と促す。
「妙齢の女性、それも新婚の人に不躾だが、夫の家系に惚れて結婚したのか?それとも本人に?」
アンス侯爵が真顔で尋ねてくる。
カティアは耳を疑った。なんと愚かな問いなのか、と。
「本人に決まってます。何をおっしゃいますの?」
さすがに憮然としてカティアは即答した。家系に惚れた、などとは、ビースリー家なら誰でも良い、ということになってしまう。そんなわけはないのである。
「いや、すまんな」
さすがに心底すまなそうにアンス侯爵か頭を掻いた。
「だが、夫と一緒になって、1000年続く家柄で、家訓がどうの、と言われては、さすがのわしも敵わん」
極り悪げにアンス侯爵が言う。
この返しでカティアも理解した。
「夫を引き立ててくださろうと?」
シェルダン本人と一緒になって、家訓を持ち出し、夫の昇進を拒む意志があるかを問われたのだ。
しかも家訓を理由にシェルダンが昇進を辞退しかねないとの理解が実に的確だ、とカティアは思う。
「無論、確約など出来ん。が、あの男は見込みがあって、まだまだ手柄を立てそうだ。わしが知っているだけでも、勲章ものが幾つかあるし。他にも既にいろいろやったようではないか」
ニヤリと笑ってアンス侯爵が言う。
カティアも頷くしかなかった。本当ならばたしかに、もっと目立って注目されてもおかしくはない。本人が隠すから未だに軽装歩兵の一分隊長なのだ。
「でも、私にどうしろと?あの人は少し活躍しただけでも、家訓に背いてしまった、と葛藤して苦しむのですよ?」
折に触れては、シェルダンが自分に打ち明けてくれたことを思い、カティアは尋ねる。
「なに、あんたはただ無邪気に夫の昇進を喜んでいればいい。いや、言い方が悪かったな」
アンス侯爵が決まり悪げに真面目な顔を作って言う。『無邪気に』のあたりで自分の剣呑な気配が多分、顔を出したからだ。
「あの男は人を食ったところはあるが、真面目なのだ。そういう男は、女房が喜んでいるのを見れば、自分も嬉しくなってしまうものだ」
更にアンス侯爵が続ける。こういう言われようならば、カティアも頷けるのだった。
「本当に絶対、昇進したくないなら、何もしなければ良いのに、ついやってしまう。そして、出来てしまう。そんな男はわしも引き立てたくなるのだ。な、1つ騙された、と思ってほしい」
カティアは思案する。
かつて、魔塔攻略を誘いかけてきたゴドヴァンらとは随分違うように思えた。
(同じように実力を評価してのことだけど。この人のほうがよくシェルダンを見てくれているかしら。それに、なんの見返りも提示してくれなかった、クリフォード殿下たちとも違う)
カティアはまだ迷っている。本人が表向き嫌がるのは明白だからだ。
「夫は、それほどですか?客観的にも、世間的にも」
ポツリとアンス侯爵に尋ねる。
「本当ならば、今までの功績だけで、すぐにでも昇進させたいところだが。なまじ優秀で隠蔽してしまった。今までの連中は巧妙に騙されて、分隊長などさせて遊ばせておるのだ」
忌々しげにアンス侯爵が答えた。
やはり妻として聞くに鼻が高いことを言ってくれる。
「わしの部下になれば厳しいことも言うし、責任も負わせる。忙しくもなるだろうが。何年か後には良かった、と思えるような苦労のはずだ。わしの考え方は少し古いかもしれんが」
最後の方でアンス侯爵が少し気まずそうにする。
異例のはからいをしてくれている、とカティアにも分かった。
(シェルダンはそれだけのことをしていて。でも、それでも本人も隠して、誰も気付きもしなかったことに。ようやく気付いた人があらわれた)
カティアは思う。
今までに自分も聞かされてきた『ついやってみたくなる』という衝動に負けてきた夫のシェルダン。結婚した自分も似たようなものなのかもしれない。
「いけないわ。私、夫が本気を出したらどうなるのか。そして、自分が夫に本気を出させられるかしら、って考え始めてる」
口に出してしまい、カティアは苦笑した。
「夫を支え、昇進を喜べる。良い軍人は、良い女房を見つける」
アンス侯爵が更にいう。
軽くカティアはアンス侯爵を睨む。さすがに意図が今度は露骨過ぎだ。
「あら、あまり煽てて焚き付けてもだめですわ。シェルダンに不当な仕事を押し付け過ぎたら、私も黙ってません」
惚気過ぎだろうか。言ってしまい、カティアは頬を赤らめる。
「それと、あまり面と向かって、シェルダンに家訓の話をしてはだめですわ。反発されると厄介でしょうから」
注意してやると、アンス侯爵からは苦笑いを返された。
強かな、この軍人の下ではシェルダンも苦労するだろう。だが、見返りのある大変さなら妻の自分が支えるだけのことではないか、とカティアは思った。
(それにこの子も、父親が立派なら嬉しいのではないかしら)
カティアはそっと自らの腹を撫でて思うのであった。




