312 ミルロ地方の魔塔第4階層2
シェルダンの治療と回復も終え、いよいよセニアらも今度は共に第4階層へと上って金剛ビートルに挑むのだが。
(誰も何も言わないわ)
セニアはちらちらとシェルダンを窺い、戸惑っていた。
いつもであればシェルダンがいない状態で、しかし、上階の安全を確保してもらった上で転移魔法陣に進む。
(でも、今回は違う。どうするのが最善なのかしら)
セニアですら考えることなのだが、特に誰も何も言わない。こんなことは初めてで戸惑ってしまった。
いつもなら、なんだかんだでシェルダンが指示や助言をくれるのだが、今回シェルダン本人は涼しい顔で赤い転移魔法陣に目を向けていて、何も言ってくれない。
5人で沈黙した。
ゴドヴァンとルフィナの2人も泰然としている中、同じく戸惑った様子のクリフォードと目が合う。
(あっ)
クリフォードが何か、『分かったよ』というように頷いてくれた。そして口を開く。
「セニア殿とゴドヴァン殿に敵を引き付けてもらい、少し間をおいて、シェルダンに守って貰いながら私とルフィナ殿も遅れて、というのはどうだろう?」
ちらちらとシェルダンの方を覗いながらではあるが、クリフォードが取り仕切ってくれた。やはりクリフォードもシェルダンの沈黙が気になるらしい。
前衛2人で安全を確保してからのほうが確かに良い、とセニアも思い、コクコクと頷いた。5人みんな一緒に、では誰が狙われるかも分からない。
「おぅ」
ゴドヴァンが頷く。
「分かりました」
セニアも告げて、ゴドヴァンの隣に並ぶ。
大きく1つ深呼吸をした。いざ戦い始めてしまうと力みや緊張をほぐす余裕もないのだ。
「では、2人とも、よろしく頼むよ」
クリフォードの言葉を受けて、セニアはゴドヴァンとともに赤い転移魔法陣へと足を踏み入れた。
視界が即座に変わる。
薄暗い空の下、茶色い土盛りがそびえ立つ。まるで山のような、ただ地肌がむき出しであり、木も草も生えていない。ミルロ地方の魔塔第4階層、平地に土盛りの聳える土地であった。
更に近く、1ケルド半(約3メートル)ほどの体高の生き物が2匹、並んで立っている。茶色い光沢を放つ甲殻。頭には一本の角。2本足で立ち、4本腕のうち、上の2本にはそれぞれ斧と棍棒を手にしていた。
(これが金剛ビートル、階層主)
まるで人間の達人と対峙しているかのような緊張感に、セニアは襲われた。肌がひりつく。
(確かに。いきなりこれでは平気ではいられないわ)
思っていられたのはごく一瞬だった。
すぐに自分とゴドヴァンに気づき、2匹同時に全力で斬りかかってきたからだ。
(速いっ)
神聖術を展開する暇もない。セニアは盾を持ち上げる。
「ぐっ」
盾で斧の一撃をいなす。まともに受ければ、盾ごと斬られそうな一撃だった。とにかく力が圧倒的に強い。続けざまに繰り出される棍棒の一撃もまた力強く、セニアは地を転がされる。
「うおおっ」
一方、ゴドヴァンも力負けをすることはないものの、圧倒することは出来ず。大剣一本を目まぐるしく使って、互角に渡り合っている。
セニアは立ち上がり、聖剣でもって自分を攻撃してきた金剛ビートルと切り結ぶ。
視界の隅、クリフォードたち3人も姿をあらわした。
早速、風を切る独特の音が響く。シェルダンの鎖分銅だ。
ゴドヴァンと戦う金剛ビートルの真ん中の腕に叩きつけられる。
先端にある鋭い鉤爪が繰り出されようとしていたからだ。
屈強ではあるものの、生身のゴドヴァンでは刺されれば一溜まりもない。
(武器を持っていない腕も気が抜けない)
セニアは紙一重で突き出される、鋭い爪を避けた。剣と盾で斧と棍棒を捌きながらでは避けるしかない。
相手は魔物なのだ。手に持つだけが武器とは限らない。
(でも、攻撃しないと。ただ守るだけじゃ)
セニアは回避と防御に専念しつつ思う。
なにか出来ないのか。自分に何が出来るのか。
相手が大きくなく、ここまで密着していると、クリフォードの炎魔術での介入は難しい。シェルダンが鎖分銅を繰り出すも、大剣一本で戦うゴドヴァンの援護で手一杯のようだ。
自分の戦闘をセニアとしては自力で打開するしかない戦況であった。
(閃光矢は威力が足りない。光集束も避けられて反撃されるだけ。壊光球はまだ、この目まぐるしさの中では)
セニアは体を動かし、ギリギリで致命傷を避けながら思考する。
結局、自分は壊光球なら打開できると思っているのだが、いかに術との相性が良いとはいえ、展開するためにはまだ集中力を要するのだった。
避けそこねた爪が鎧をかすめる。かすめただけであるのに、かなり深い傷が鎧に残った。生身は無事だ。
(時間を稼ぐなら。きごちなくてもいい)
セニアは意を決した。
「千光縛」
斬り結ぶ聖剣から光の鎖が生じる。動きながらなので、一つ一つの鎖の環は大きさがばらばらで不格好だが。なんとか相手に巻きつけた。
ギシッ、と軋むような音が金剛ビートルの身体から響く。
一瞬で、腕力のみで引き千切られてしまった。
駄目で元々だったから、セニアも落胆することはない。即座に気持ちを切り替えて、繰り出された鉤爪を避ける。
(この分じゃ普通に斬りかかってもダメね)
メイスンのように剣の切っ先に法力を乗せる技がセニアには出来ない。剣で接近戦をしながらでは、神聖術を繰り出すのもぎこちなく、出来ることは限られている。
横薙ぎに繰り出される斧による斬撃を、セニアは聖剣でまともに受けて吹き飛ばされた。
「くっ」
声が漏れるも、勢いに逆らうことなく飛ばされて負傷は避けたのだ。さらにかさにかかって棍棒でうちかかってくるのを盾でいなす。敵の目には自分たちもまた、しぶとく映るだろう。
何度も同じ攻防を繰り返している。
(でも、敵も私たちを倒せてはいない)
ずっと互角の戦いをお互いに続けているのだ。
金剛ビートルが屈強だからか他の魔物もこの階層ではあらわれない。まるで瘴気と工夫を全て、金剛ビートルの屈強さに注ぎ込んだかのようだ。
(いざ、何かが現れても小型の魔物なら、まだシェルダン殿もいるんだから)
セニアは思い、何か、思いつけたような気がした。
「っぅ!」
が、すぐに繰り出された鉤爪が右腕をかすめたことで、飛んでしまった。
(力の強さや速さとかには、目が慣れたけど)
魔物ながら、金剛ビートルが4本の腕を実に上手く繰り出してくるのだった。人間とも違う独自の武術のようなものだ。とすれば自分もゴドヴァンも裏をかかれ、圧倒されそうになる。
「ハッ、魔物のくせにやるなっ!」
傷を負いながらも、ゴドヴァンが不敵に笑う。その傷をルフィナが回復光の粒を飛ばして癒やす。
消耗戦になればどうか。ルフィナの存在が活きて最後に勝つのは自分たちではないか。
(そして、私かゴドヴァン殿がどちらかの相手に勝てれば)
思うもセニアは否定する。
(そもそも一対一で、私もゴドヴァン殿も勝てないから、優位に立てない。どうすれば)
いくらでも、何時間でも戦い続ける覚悟はセニアにもある。だが、どうなるか分からない賭けに出るのは駄目だ。
「ぐっ」
戦っているうちに金剛ビートルとの位置関係がセニアも変わり、もどかしげに、呻くクリフォードが視界に入る。
気持ちが、よく伝わってくる。自分を助けられないことを悔しがり、苦しんでくれているのだ。
ただ一人、現在、何もできないのがクリフォードだ。ややもすれば、強大な魔術で敵も味方も焼き尽くしかねないのだから。
クリフォードがそれでもなにか出来ないかと焦っているのがセニアにはよく分かった。
(あぁ、そうだわ)
セニアは振り下ろされる棍棒を盾で受け止めて気付いた。
(何もできなくても、まだ私達には殿下がいる)
思い出されるのはゲルングルン地方の魔塔攻略直後のペイドランの姿だった。




