310 挿話〜密謀、魔塔の外で
ドレシア帝国第1皇子シオンは、最前線からの思わぬ来客に驚いていた。
(しかも内密の話を、とな)
ゆえに護衛長のパターソンを除き、全て人払いもした上で応対している。何事かと内心の驚きをシオンは圧し殺していた。なんとなく隙を見せたくない相手なのだ。
「まったく、最近の若い連中は全体を見ようともしない。責任も果たさない。そうはお思いになりませんか、殿下?」
第1ファルマー軍団指揮官アンス侯爵である。
赤を基調とした軍装のまま、供回り2名だけを連れて訪いを入れたのだった。赤、というのは第一ファルマー軍団の軍団色である。シオンの髪色と同じでもあった。
(軍事が苦手な私にとっては、老練で頼りになる軍人なのだが)
えんえんと続く愚痴にはうんざりさせられることも多い。そして顔にうんざりを出すと愚痴が苦情に変わる。
自身の部下2名をすらシオンの執務室外に追っ払って、内密の話がしたいとのこと。
(まさか、愚痴を言いたくて来たわけではあるまいが)
文句については、おそらく騎士団長の身でありながら軍務そっちのけで魔塔攻略に出向いてしまうゴドヴァンのことだろう。確かに全体を見ようともしない男だ。
「私もまだ25歳だぞ、侯爵」
50歳を超えるアンス侯爵の、半分くらいしか生きていない。自分も立派に若者だ。シオンは気を悪くして苦い顔で言う。
文句、不平、悪口の多い男だ。話し相手としては、決して愉快ではない。それでいて指揮能力や判断力には長けていて、どういうわけか部下にも慕われている。
「当然、殿下には当てはまりませんが」
面白くもなさそうな顔でアンス侯爵が言う。シオンのことは若い連中というのに含まれない、とも取れる言い方だ。
「わざわざ戦線から離れてどうしたんだ?いよいよ大詰めだぞ?」
シオンもまた面白くもない気持ちで返す。
ミルロ地方の魔塔を攻略すれば、次はいよいよアスロック王国の王都アズル攻略に、そして最古の魔塔攻略に着手することとなる。
(その2つを取り除けば、完全にアスロック王国の領土を良好な状態で我が国は手にすることとなる。それは、旧アスロック王国の民を救ってやることにもなるし、我が国も長い目で見れば国力を増し、さらなる繁栄へと突き進んでいくこととなる)
シオンにとっても遣り甲斐のある事業なのであった。
(他国はアスロックだけではないからな)
アスロック王国が敵として健在である限り、ドレシア帝国は常に挟撃の危険に晒されるのである。
そして王都アズルに投入する予定の戦力が最精鋭とされている、アンス侯爵率いる第1ファルマー軍団なのだ。何をしれっとほぼ単身で、ルベントにまで指揮官が戻ってくれているのだろうか。
「先のハイネル、ワイルダーを討った戦で我が軍は甚大な犠牲を出しました」
アンス侯爵がギョロリとした目を向けて言う。
「あぁ、あの戦果は私の予想をすら、大いに上回るものだった。実によくやってくれた」
戦いには疎いシオンではあるが、一通りの軍学は頭には入れてある。
正直、たった一度の合戦で、あのハイネルとワイルダーを討ち取ってくれるとは思わなかった。戦いには勝っても、突破されて2人には逃げ切られると思っていたのだ。
(そして、追い詰めては犠牲を出し、を繰り返して、その末に疲れ切ったところを、ようやく討って死なせるしかないのだろう、と、な)
その過程でどれほどの犠牲と時間と労力を要するのか。
それこそアスロック王国を滅ぼし、王太子エヴァンズを殺してなお、残党として抵抗しそうな2人であったのだ。
(だから私はペイドランを欲した)
今、ここにいない従者についてシオンは思う。
いずれ、ハイネルかワイルダー、あるいは2人ともが逆転の一手として、シオン自身の暗殺を目論んでくる。そこに手練の守りが欲しかった。
「犠牲は残念だが、あの2人を討てたのは本当に大きい」
シオンは改めてアンス侯爵と第1ファルマー軍団を労おうとする。
「あくまで、わしのしたい話は戦力の補充のことです」
また面白くもなさそうな顔でアンス侯爵が言う。労おうと思ったのに、とんだ返答である。
「兵力は漸次、送っているだろう。間もなく五千にはまた達するはずだ」
憮然としてシオンは言う。
「量ではなくて質の話ですぞ」
更にアンス侯爵が言い募る。
新兵や前線での経験が不足している兵士を送らざるを得ない、という実情は間違いなくあった。他の国境とて新兵ばかりにはしておけないのだから。
「言っていることは分かるが、理想ばかり言っても始まらんぞ。それは贅沢というものだ」
どこにでも熟練の兵士が転がっているわけではない。
シオンはさすがにアンス侯爵をたしなめた。
「分かっております」
そこは素直にアンス侯爵も理解はしているのだった。
(ではなぜ、わざわざルベントにまで来たのだ?)
シオンは首を傾げた。
無駄なことはしたがらない男だ。
「一人、欲しい若者がおりましてね」
アンス侯爵が遠慮がちに言う。珍しい態度であり、ようやく腹の内を見せたのだ。
(よほど、ほしいと見えるが、どういう人間だ?そもそもアンス侯爵は若い者を毛嫌いする傾向にあるが)
俄然、興味が湧いてきて、シオンは身を乗り出す。
「どういう男だ」
気難しくて、人の悪口ばかりを言うアンス侯爵の眼鏡にかなうなど、尋常な人物ではない。
誰を下につけても不平不満を並べ立てるはずだ。
「シドマルのヤツが隠していて遊ばせていたのですよ」
憮然とした顔でアンス侯爵が言い、すぐに首を横に振る。
「いや、あのボンクラは、ヤツが腕前を隠していて、それに間抜けにも騙されてきて、見つけられんかったのだ」
本気で怒った顔でアンス侯爵が言い、シドマル伯爵の悪口を並べ始めた。どうやら本当に怒っている。相手は仮にも爵位が下とはいえ、伯爵であるのに、随分な言い様だ。
(シドマル伯爵というと、第3ブリッツ軍団か)
ここまで思い出し、シオンも気付く。
「あぁ」
顔まで思い浮かび、得心がいって、シオンは声にまで出した。
「まさかシェルダン・ビーズリーではあるまいな」
気付いてみれば、あの癖の強い若者なら、同じく癖の強いアンス侯爵に気に入られるだろう、とシオンも思う。
(さっきから話していて誰かに近い近いと思っていたんだが)
なんなら似た者同士ではないのか。
「おや、殿下にまで知られているとは。そっちでもヤツは何かしたのですか?」
いつになく楽しそうに笑ってアンス侯爵が言う。
もう50近い身のはずだ。シェルダンなど息子のような年齢だろう。
「私に極めて優秀な従者を紹介してくれたよ。元部下だったそうだ」
シオンは素直に答えた。
おそらく他にもいろいろ功績をなし、その内の幾つかをシェルダンはアンス侯爵に知られたのではないか。本人としては不本意なことだったろう。
「何やら目立ちたくないらしくてですな。家訓が、家系が、だのと。そこはまぁ、わしが叩き直して一流の部下とします。シドマルのボンクラの下ではだめですな。いつまでも巧妙に立ち回って分隊長などと。実力に見合った責任も負わず、遊び続けるでしょう」
かつてない上機嫌でアンス侯爵が言う。
「何、妙なくだらんこだわりを捨てれば、ヤツは数百人の指揮も簡単にこなすでしょう」
自信満々に断言しているアンス侯爵。
要するに強権を発動して、シェルダン・ビーズリーを第3ブリッツ軍団から第1ファルマー軍団に異動させろ、ということらしい。
「君の推挙があっても、急にそんな身分には出来ん。本人も辞退してしまうだろう」
若干呆れながらシオンは指摘しておいた。
「なに、ヤツは実戦に出せば、勝手に手柄を立てます。それを明るみに出して逃げられなくすれば良い。指揮についてはわしが仕込む。それに、わしはシドマルのように鈍くない」
自信満々にアンス侯爵が言う。
「昇進についてもですな。自分のしたいことに対して、どれだけ階級や身分が必要か。思い知らせてやれば良いだけです」
胸を叩いて言うアンス侯爵。
そこからしばらくアンス侯爵の把握しているシェルダンの手柄を聞かされた。ドレシア帝国でここ最近、誰が為したか分からなかった働きがシェルダンのものだったらしい。
証拠までしっかりアンス侯爵が示してくるのでシオンも納得しないわけにはいかなかった。
(あぁ、それだけやってれば、こうなるぞ、シェルダン)
セニアの救出から、一族を指揮しての大立ち回りまでを全て聞かされて、シオンもまた、第1ファルマー軍団へのシェルダンの異動を認めざるを得ないのであった。




