308 ミルロ地方の魔塔第3階層2
天幕を作り上げたシェルダンは装備を確認し、オーラをかけ直す。一度、目を瞑り気持ちを立て直した。感傷的な思いを捨てて、偵察に集中するためだ。
「では、行ってまいります」
心配そうなセニアたちに告げて、シェルダンは木々の合間を抜ける。
しばしば立ち止まっては、視界に入る木々へ目を凝らす。
若干の違和感を感じる。
「まったく」
シェルダンはボヤいて鎖分銅を放る。
狙い過たず、木に擬態していた細身の虫型魔物の神経節を撃ち抜いて仕留めた。動かずにいると枝にそっくりだ。
ムチエダブシという、ナナフシ型の魔物である。気付かずに近づけば、鞭のようにしなる腕で打たれてしまう。森、という環境ではまずいる、と思わなくてはならない敵だ。
(キラーマンティスよりも隠れるのだけなら上手いからな)
警戒を維持したまま、シェルダンは進む。
時折、アントの群れとも出くわす。先に見つけたのは自分だから、シェルダンは離れた場所から一方的に仕留めてやった。
(まったく神経を使う)
顎の先にたまった汗を拭う。
とにかく先に敵を見つけること。わずかな違和感でも見逃せば死に繋がる。
黙々とシェルダンは山を登っていく。森の中、開けた場所でノートを開いた。更に燻製肉を口に咥える。
(なるほどな)
シェルダンは地図を描きつつ思う。
(とても描きづらい)
出発地点である転移魔法陣が山裾であり、この第3階層では端にあたるようだ。いつものように中心に出発地点を置くと書きづらい。はみ出してしまうので、新しいページに書き直した。
同じ山の階層ではあるが、ゲルングルン地方の魔塔第1階層などとは異なり、1つの山がそびえる地形のようだ。
円錐形の山が1つ。中心が頂である。
(では、階層主は頂上か?いや、予断は禁物だ)
シェルダンは自らを戒めて首を傾げる。いようがいまいが探らないわけにもいかないのだが。
思ったところで、慌てて飛びずさる。
ムチエダブシの腕が自分のいた位置をよぎった。のほほんとしていたなら、身体を切断されていたかもしれない。
相手の弱所を即座に見取り、シェルダンは鎖分銅を放る。
神経節を撃ち抜かれたムチエダブシが、絶命して木から転落した。しばし痙攣して最後には動かなくなる。
カサリと音がした。ムチエダブシの死骸に群がろうとしたアントの群れ。シェルダンにも気付き、襲いかかってくる。
「ぐっ」
シェルダンは鎖分銅を力いっぱいに振り回す。まるで風車のように。
一匹ずつを仕留める余裕などなかった。
10匹ほどの群れを一掃すると、シェルダンはその場から逃げ出す。魔物の食う食われるに巻き込まれるのはご免だ。ムチエダブシの死骸などアントが勝手に食べればいいのである。
(俺は食わないんだからな)
敵のいないところを見つけては休憩し、回復するとまたシェルダンは進む。その繰り返しだ。
頭の中で位置関係を整理しながら歩き、時折、立ち止まってはノートにも記載していった。
あるところから魔物との遭遇も減ったように感じる。
「ここは?」
思わずシェルダンは呟いていた。
土がむき出しの地面。少し、低くて自分は見下ろす格好だ。
他の土地では下草や苔、落葉が散らばっていたというのに。
「溝か?これは」
独り言をこぼしつつ、低所の底に降りてみて、シェルダンは地面を確認する。
まるで何か意図があって彫り進められたかのような、筒を半分に割ったかのような地形。
幅は2ケルド(約4メートル)はありそうだ。山の麓、一番下のところから山頂に向けて伸びているように見える。
(なんだ、これは?)
探りつつシェルダンは首を傾げる。地面に異常はない。ただ、土の地面だ。結論づけて立ち上がった。
(まずいんじゃないか)
こんなむき出しの土地にあって魔物に襲われもしない。ピン、と来るものがあって、シェルダンは慌てて溝を駆け上がる。
ムチエダブシもアントも近くにいないことを確認して、藪の中に身を潜めた。息を殺して待つ。
数秒後には地面が揺れる。
赤い巨大な球体が溝を上から下へと転がり落ちていった。
間違うわけもない。赤い巨大な団子虫だ。
(あれが階層主だな。レッドローラーか、また厄介な)
シェルダンは思い、うんざりする。だが、単独で階層主と交戦するわけにはいかない。息を殺していた。
硬くて丸い上、口からは、これまた硬いことこの上ない土石流を勢いよく吐き出してくる。巨体での転がる攻撃も、丸まった時の防御力も厄介な相手だ。
溝を転がり切ると、ノソノソ歩いてレッドローラーが斜面を登っていく。
シェルダンは思案する。
山の頂上から麓までを丸まった状態で、勢いよくころがり落ちているときには手の出しようもない。また、苦労して頂上へ登ってから転げて逃げられても面倒だ。
魔物ひしめく森の中を一番上から下まで追跡することとなる。
(だが、なぜ、わざわざ今、手の内を晒した)
藪の中でシェルダンは考える。
原因は1つしかなかった。
「俺が溝に入ったからか。獲物を仕留める好機だと。魔物なりに考えて殺しにかかったのだ」
独り、シェルダンは呟く。所詮、魔物の浅知恵だ。
更にノートに溝の位置を記録していく。
最初の出発地点の最寄りにまで溝沿いにシェルダンは進むつもりだった。溝の近くには魔物が少ないのだから効果的に利用しようと思う。
シェルダンはノートで位置関係を確認しながら、セニアたちのいる地点にまで戻り始めた。
期待したとおり、溝の近くではほとんど魔物と出会わない。だが、いざ階層主と交戦を始めればその限りではないだろう。
行きよりも少ない交戦回数で天幕の近くへと至る。それでも負傷し、身体には痛みと疲労をひどく感じてしまう。
木々の合間からゴドヴァンの纏うオーラの光が漏れ出していた。
「シェルダンッ!無事だったか!上の方から何か落ちてきたから心配してたんだぜ」
人懐こい笑みを浮かべてゴドヴァンが言う。
いつもどおりアントの死体が無数に転がっている。
「では、次からは一緒に探りますか?」
憎まれ口のつもりでシェルダンは返し、失敗した。
「おうっ、いいぜ」
ゴドヴァンがニカッと白い歯を見せて笑う。実に快い返事をされてしまった。
自分から失敗しておいて、シェルダンは深いため息を返す。
「今回も階層主を見つけましたので、中で説明します。もう一息、見張りをお願いします」
シェルダンはゴドヴァンに告げて天幕の中へと入る。
セニアとクリフォードが並んで行儀よく座っていた。もう一人のルフィナがたおやかに微笑む。
「さすがね、階層主を見つけたのね?」
ルフィナが手を伸ばして頭を撫でようとしてきた。
カティア以外からの接触は厳禁である。ましてやもう、撫でられて喜ぶ、そんな年齢ではない。
(いや、カティアからなら嬉しいな、無事に帰れたなら)
阿呆なことを思いつつ、シェルダンは身をかわしノートを広げて3人に示す。ルフィナが苦笑いだが無視である。
「階層主を見つけました。今回は地形も重要ですから。ご覧ください」
3人が頭を突き出してノートを覗き込む。
「今回はレッドローラーという赤い団子虫が階層主です。身体を球状に丸めて、斜面を転がり落ちてきます」
シェルダンは顔をしかめる。その厄介さを自分の表情で伝えるつもりだ。
ドレシアの魔塔のように瘴気の足りない環境なら平地であらわれてくれたのかもしれない。
「この溝を山頂から山の麓へ転がり落ちてくるのです。勢いもありますし、止めることも、甲殻のせいで傷付けることもできません」
シェルダンは溝を指で何度もなぞり説明した。
説明をすればするほど、倒すことの難しい相手に思えて、シェルダンはうんざりするのであった。




