302 ミルロ地方の魔塔第1階層1
ドレシア帝国本土での休暇を終えた第4ギブラス軍団がミルロ地方入りをし、ようやく第3ブリッツ軍団と合流した。
セニアの特訓を更に7日間も続けた、その翌日である。
つい先程、セニア、クリフォードらとともにシェルダンも合流したのであった。魔塔近くの、既に魔物を征討した後の森である。今更、大規模な襲撃をされる可能性は低い。
(とうとう始まる。間に合った、かな?)
分隊を離れ、私人という立場での参加となる身のシェルダンは、セニアやクリフォードに割り当てられた天幕の隅に居座っていた。服装だけは軽装歩兵の黄土色の制服である。
(俺も、成長のきっかけぐらいにはなれた、か)
7日の間に、セニアも随分と腕を上げていたのだが。シェルダンも認めざるを得ないほど、だんだんと無駄が減り、無駄が減ったことで訓練の効率も上がる、という相乗効果もあって。或る所から成長が著しく早くなった。
(落ち着かんな。貴人の人たちのお住まいは)
皮肉な思いとともにシェルダンは天幕の中を見回すのであった。無論、天幕が住まいなどではないことぐらいは分かっている。
本来のこの立派な天幕の使用者であるセニアとクリフォードが、ともに出陣の檄を飛ばしに全軍の前に立っている、はずだ。
「君も、壇上へ上ってくればいいのに」
代わりにいるのが、第3ブリッツ軍団の指揮官シドマル伯爵である。冗談のようにとんでもないことをサラリと口にする男だ。
シェルダンは胡乱な眼差しを向けた。目立ちたくないのを知った上で、シドマル伯爵が言っているのが見え透いているからだ。
「身の丈に合わないことは、命を縮めますので」
あらゆる不満を押さえ込んで、シェルダンは言うに留めた。
「軽装歩兵の『蟷螂狩り』殿なら、聖騎士様たちと並んでも見劣りはしないよ」
くっくっ、と笑い声を漏らして、シドマル伯爵が返した。
本気で言っているのだろうか。困ったことに、『蟷螂狩り』というあだ名も、結局、定着してしまった。このままではカティアが『蟷螂狩りの妻』となってしまう。
セニアやクリフォードらの見栄えする面々と自分を想像の中で並べて、シェルダンはげんなりする。
(あの恒例もやるのかな。炎を纏った拳を突き上げるやつ)
シェルダンはわざわざ見に行こうという気もしないのだが、軍団としては大いに盛り上がっているのだった。
「私は厳密には私人として、参加するのですから。そもそも軍服を身に着けて参戦して良いかどうかすら、甚だ疑問です」
皮肉たっぷりにシェルダンは言う。
既にシドマル伯爵本人からも分隊を離れて動くことは許可されている。なお、私服の準備など無いので強制されれば、こっそり逃げ帰るしかないのだが。
(服が無いので帰ります、か。それはそれで良いかもしれない)
生き延びたいシェルダンとしては、むしろ有り難いぐらいなのであった。
「硬いことは言いっこなしだ。では私もその、お偉いさんの一人なのでね。失礼するよ」
苦笑して、シドマル伯爵が逃げていった。
自分の態度や物言いは怖いのだろうか。一人になってシェルダンは首を傾げる。
特訓中も何度か、怯えた顔を見せたセニアに始まり、悲鳴ばかりをあげていたガードナーのことを思い出す。あのときも今も、自分は特に、誰にも何にも酷いことはしていない。
(あぁ、そうだ、あの2人がおかしい)
結論づけて、シェルダンは天幕の一点を見つめて、思い返す。
どうしても気になってしまうこと。
「間に合っただろうか」
今度はポツリと誰にともなくシェルダンは呟く。
ミルロ地方の魔塔には間に合っている。では最古の魔塔にはどうなのか。
(まだ時期尚早か?しかし、最後はそこへと至るのだから)
教練書の最終巻を得て、更に自分の特訓を受けたセニア。
かなり厳しくやったつもりだったが、よくついてはきた。
(壊光球はよく使いこなしているし、光刃もぎこちないながら、撃てるようにはなった)
トビツキグモ、七色ビートルはおろか、キラーマンティス相手にも神聖術のみで圧倒していた。
あとは実際に階層主のような強力過ぎる魔物と戦ってみてどうか、というところだ。
「強いは、強い」
本人には決して言いたくないことを、シェルダンは呟く。当然、クリフォードやゴドヴァンらにもあまり聞かせたくない。
「同い年まで、たゆまず訓練すればレナート様よりも、あるいは」
シェルダンは呟き、首を横に振った。
戦闘での判断が悪くなくなったセニア。やはり発想の根本にまで話を落とし込んだのが良かったのだ、とシェルダンは思う。
(それにクリフォード殿下も)
何もしていなかったが、挟む言葉の質が随分、以前の印象から変わった。セニアの状況を的確に捉えていたように思える。
「やってるな」
シェルダンは呟く。
外から怒号とも雄叫びともつかない、野太い声が轟いて地面を揺らす。
ちょうど炎の拳を振り上げたのだろう。
あの喧騒の中にいても、自分は斜に構えていて冷静な方だが。それでもシェルダンは皆と一緒に整列して集団の中にいるほうが好きだった。
「未練も感傷も命を縮める」
シェルダンは立ち上がり、木彫りのお面を着ける。
もう2度と着けることはないと思っていた。
煤けている。クリフォードの獄炎の剣に巻き込まれてなお、たまたま焼けて消えることなく、自分についてきてくれたお面だ。
何か縁を感じていて、シェルダンはお守り代わりに携帯するようにしている。
(それにカティア殿も)
左の手首にはめたお守り、薬指にはめた指輪にも思いが篭もっている。
無上に大切な思いが、自分の命にも既に巻き付いていて、守ってくれているような感覚をシェルダンは抱いた。
自身とカティアの無事を願い、ひとしきり祈りを捧げる。
「シェルダンッ!」
ゴドヴァンが勢いよく天幕に駆け込んできた。
背後にはたおやかに微笑むルフィナに、クリフォード、セニアの姿も見える。
「今回もあくまで秘匿の参加、か。死んだふりはもう、なしにしてほしいかな」
苦笑してクリフォードが言う。隣では聖騎士のセニアがうんうん、と頷いていた。
「必要がなければ。それに、そも同じことをしてなお、お気づきにならないおつもりで?」
気付かなかった自分たちが間の抜けていた事案だということを、シェルダンは今一度思い出させてやる。
途端にセニアが悄気げた顔をして俯く。腕を上げ、改善された部分も多い中、良くならない部分もあるのだった。
「殿下、シェルダンのことだから、次はきっと別の手を使いますわ」
苦笑してルフィナがゴドヴァンに身を寄せる。いつものように赤面するゴドヴァン。
この2人は魔塔へデートにでも行くつもりなのだろうか。
「今回の魔塔は手強い。ゆめゆめ油断なされませぬよう」
シェルダンは言い、4人を置いて天幕の外へと出る。
魔塔の方を見やると、自分の所属、第3ブリッツ軍団が、口を開けた魔塔の入り口へ、吸い込まれるように進軍していくところだった。
自身の無事はもちろん、ハンター、ロウエン、バーンズの無事を祈りつつ、シェルダンは3つのポーチがついた帯革を腰に巻く。中には流星槌が入っている。
魔塔上層へ挑む際の儀式のようなものだ。
「よし、俺達も行こう」
ゴドヴァンに告げられて、シェルダンも魔塔の入り口を目指すのであった。
 




