30 第1皇子の英断
「和解するぞ」
ドレシア帝国皇都グルーンの皇城、敷地南側の尖塔にある執務室にて、第1皇子シオンは、自らの腹違いの弟クリフォードの顔を見るなり告げた。傍らには戦闘面での腹心、騎士団長ゴドヴァンと治癒術師のルフィナを控えさせていた。
「はい?兄上、それは」
一切の駆け引きなく、いきなり宣言をしたことにクリフォードが戸惑いを隠せずにいる。もともと腹芸など出来ない単純な思考の弟であり、自分は一体、何をこの不器用な弟に嫉妬していたのかと、シオンは苦い思いを抱く。
「私とお前の仲はこじれてしまい、随分と時も経ってしまったが、これは私達自身にも、国のためにも全くよろしくない。だから」
シオンはクリフォードの端正な顔を表面から見据えた。人からは神経質そうで怖いと言われる自分とは大違いだ。
「和解するぞ」
もう一度、力強く言い切った。
右隣に控えるゴドヴァンがニヤニヤと笑っている。
決まり悪いのはシオンもクリフォードと同様だ。
しかし、どう考えてみても、このまま二人で争っていては共倒れの道しか見えないのである。国のためにも無駄なことだ。
「兄上、ですが」
クリフォードが言い淀む。
シオンは自らのこめかみを押さえる。弟の考えていることなどお見通しだ。
「どうせ、私が聖騎士セニア殿を、アスロック王国の王太子エヴァンズに引き渡すとでも思っているのだろう」
ぴたりと言い当てていたようで、シオンの言葉にクリフォードが警戒の色を露骨に浮かべる。
「確かに私は、聖騎士セニアの過大評価、話題先行に警鐘を鳴らしたかったのだが。ここにいるゴドヴァンのほうが実力が上だと知ってもいたしな。だが、アスロック王国に引き渡せば処刑されること確定の、罪もない乙女をおめおめと渡すほど落ちぶれてはいない」
シオンはエヴァンズからの親書を執務机に叩きつけた。セニアと聖剣を渡せという文書だ。あまりに失礼で恥知らずな内容なので、持ってきた使者は、とても冷淡な態度で追い返してやった。さぞ、使者にとっては、怖かったことだろう。
「それを信じろと?」
クリフォードが疑うような眼差しを向けてくる。
本当に炎魔術以外はからきしの弟だ。
「お前は私を見くびり過ぎではないか?失礼すぎやしないか?私は相当に譲歩し歩み寄っているつもりなのだが」
呆れてシオンは訊き返してしまう。
ルフィナが横を向いてプッと吹き出してしまう。笑いを堪えきれなかったようだ。
「シオン殿下が意地悪をしすぎたせいでは?」
鈴の鳴るような声音でルフィナが言う。淡い紫色の髪を腰まで真っ直ぐに伸ばし、髪と同じ紫色の瞳も美しい女性だ。
「ホントだ。俺を使って聖剣まで取り上げたのはやりすぎですぜ。セニアちゃんに喝をくれるのにはちょうど良かったと思うが」
ゴドヴァンもルフィナに同調しようとする。
いつもどおり失敗だ。
「ゴドヴァンさん、1人前のレディに『ちゃん』付けは失礼よ、って前にも言ったわけだけど」
咎めるような視線をルフィナに向けられ、いつものようにゴドヴァンがあわてふためく。日焼けした偉丈夫が華奢な女性に頭が上がらない様はかなりみっともない。
「いや、それは言葉の綾で」
シオンは大きくため息をついた。
騎士団長ゴドヴァンの恋心はあまりに筒抜けで、皇都中に知れ渡っている。
ツン、としているルフィナも本当は満更ではないくせに、口うるさくゴドヴァンを咎めるのだ。いざ、ゴドヴァンが負傷するなり、行方知れずになるなりすると真っ先に飛んでくるのがルフィナである。
「二人とも、もう30手前なんだからいい加減に」
大人になれと言おうとしたところで、ルフィナにシオンも睨みつけられた。
「殿下も、面と向かって女性の年齢を口にするものではありません。誰が行き遅れですかっ」
誰もそんなことは言っていない。
怒れるルフィナを尻目に、シオンは唖然としているクリフォードに顔を向けた。
「まぁ、私達もいつもこんな感じだ」
シオンは疲れた笑顔を弟に見せる。結局、お互いに人間同士なのだ。
ここ数年、どれだけ政務に力を尽くしても、周囲からも父からも認められず、派手な魔物討伐で戦果を挙げて目立つ弟への嫉妬や苛立ちを隠せずにいた。何度かは辛くキツく当たってしまったものだ。
結果、シオンは自身の容貌と相まって『細い、鋭い、怖い』などと国民からも言われるようになってしまった。
「分かりました。兄上の方からそのように仰って頂いて、本当にありがとうございます」
クリフォードが頭を下げた。目元にちらりと光るものが見える。
「良いんだ。私は25歳だが、お前はまだ20歳だ。私のほうが大人として歩み寄るべきことだったと思う」
シオンは言い、クリフォードに右手を差し伸べた。
クリフォードが両手で包み込むように、シオンの右手を握り、頭を垂れる。
たとえ腹違いとはいえ、たった一人、血を分けた弟なのだ。
和解できたことをシオンは素直に喜ぶ。
クリフォードが頭を上げた。
「しかし、兄上、私達は和解しましたが、具体的に何をどうすべきなのですか?」
首を傾げて無心に尋ねてくる弟にシオンは苦笑した。早速、幼少期と変わらない姿を見た気がする。
「少しは自分でも考えてみたらどうだ。私も存念はあるが、あえてまだ言わんぞ」
意地悪く笑みを浮かべてシオンは告げる。幼い頃はよくこうして謎掛けをして困らせたものだ。
クリフォードがしばし考える顔をした。
「本当に意地の悪い人。だから仲違いしちゃうのよ」
「全くだ。また、こりゃいずれ大げんかしちまうぜ」
背後で聞こえるように、ルフィナとゴドヴァンが陰口を叩く。聞こえるような陰口は本当は陰口とは言わないのだが。
「さっぱり分かりません」
クリフォードもクリフォードであっけらかんと言い放つ。
何も考えていないくせに皇位だけは奪おうとしていたのだから、女性への愛というのは本当に恐ろしい。改めてシオンは思った。
「私とお前の和解を大々的に喧伝し、セニア殿の評価を回復させるには、魔塔の攻略しかない」
シオンはため息をついてから、はっきりと、言い切ってやった。
反応がない。なぜかクリフォードがポカンと口を開けている。
「お前とセニア殿が中心となって、ドレシア帝国の魔塔を攻略してみせればいいのだ」
なぜかきょとんとしているクリフォードにもう一度言ってみる。
「しかし、兄上、それではセニア殿を危険に晒すことに」
クリフォードが弱々しく反論する。
本末転倒だと言わんばかりの顔だ。
「これはセニア殿の評価を上げ、アスロック王国からの不当な要求をはねのけることにも繋がる。むしろセニア殿を助けて守ることなんだぞ?」
呆れてシオンは説明した。まさか反抗されるとは思わなかったのである。
「それに何もお前とセニア殿だけで戦えというのではない。ルベントにいる第3ブリッツ軍団の全軍を使っていい。私の元からもゴドヴァンとルフィナを向かわせる」
破格の申し出だろう。惜しみのない援護をすることで、更に自分とクリフォードの和解も演出することが出来る。最善手のはずだ。
兄弟の力で魔塔を攻略した。これ以上に分かりやすく効果的な演出もない。
「しかし、セニア殿を危険に晒すのでは和解しても意味がない。やはり私は」
煮えきらないクリフォードが挙げ句にまたとんでもない独り言を言い始める。
クリフォードが悩んでから顔を上げた。
「私一人で、参戦します。セニア殿は未だ神聖術が未熟だそうです。此度の戦では、私の離宮で留守番を」
人の話をこの馬鹿弟は聞いていたのだろうか。まったく理解していない。
「セニア殿抜きで、魔塔攻略となれば、改めて不要論が出てアスロック王国に差し出さざるを得なくなるではないか」
なぜか、クリフォードからセニアを正論で守ろうとしているような錯覚を、シオンは覚えた。
(セニア殿は男運がないのか?いや、この弟も悪いところばかりでは)
シオンは和解したばかりなのにいきりたつ弟を見て思う。
「セニア殿を渡すですと!?兄上、何ということを仰るのですか!」
クリフォードが大声を上げた。
「助けてくれ」
困りきってシオンはゴドヴァンとルフィナを見やる。
「クリフォード殿下」
ルフィナがたおやかに微笑んで口を開いた。
「何も囲って守るだけが女性を守ることではありませんよ」
優しく子供に言い聞かせるような口調だ。
「柵の外で思う様相手を活かし、それでもなお、守り抜くのが男の甲斐性、というものです」
ルフィナの言葉にシオンはうなずいた。さすがルフィナ、一般論から説こうという巧みな話しぶりだ。
「そうだぞ、俺なんか」
ただゴドヴァンも口を挟もうとしてきた。かえってまたこじれるから止めてくれ、とシオンは思った。
ルフィナがキッとゴドヴァンを睨む。
「あなたはまったく守れてなかったでしょ。何で私の治癒魔法が向上したと思って?あなたのせいで負った傷を消すためよ」
激昂したルフィナを見て、シオンはこめかみを押さえた。本当にルフィナが部下になりたてのころ、自分とのありもしないロマンスがゴシップ誌に報じられたものだ。次にゴドヴァンと取り合っていると報じられ、近年では、いつになったらゴドヴァンとルフィナが結婚するのか、或いは、どのような激しい痴話喧嘩を繰り広げられたのか、ということだけが面白おかしく報じられる。
「それはお前も無茶したから」
「お前呼ばわりは止めて!」
そしてとめどない痴話喧嘩が始まった。
シオンはいつもこっそりこのやり取りを記録して、出版社に流している。他人事なのでシオンにとっても、面白いは面白いのであった。
「分かってくれたか」
疲れた顔をシオンはクリフォードに向けた。シオン本人も何をわかるべきかは分からない。
「はい、兄上。私もセニア殿とともに厳しい修羅場をくぐり抜け、ゴドヴァン殿とルフィナ殿のような、熱い関係を目指そうと思います」
クリフォードが固い決意を顔ににじませて宣言した。
(何か間違っている気がするけど、もういいか)
シオンは思いため息をついた。実際の計画を詰めるのは結局自分独りだからだ。