294 聖山ランゲル
まだ緑の残る山道を、セニアはクリフォードらと共に上っていく。奇しくもちょうどシェルダンら第7分隊がキラーマンティスを探していた頃合いである。
(完全に雪で塞がれる季節の前に来られて良かった)
ほう、と白い息をセニアは吐く。かなり寒い。見えているこの緑もやがて雪の白に呑まれるのだ。
クリフォードもゴドヴァン、ルフィナとともに無言でついてくる。ドレシア帝国出身であり、足を踏み入れるのも初めてだという。聖山ランゲルの静謐とした空気に呑み込まれたかのようだ。
登る道の行先に、白い門扉が見えてきた。門番が2人、鉄の杖を持ち、守っている。首からは呼子の笛を下げていた。
「聖騎士セニア様」
純白の神官服に身を包む、剃髪した若者が恭しく頭を下げた。
「マックス元騎士団長に、治癒術師のフィオーラ様、それにドレシア帝国第2皇子クリフォード殿下は、あちらに見える宿舎にてご滞在ください。聖地である故、観光地のように快適とはいきませんが」
先に手紙を出していたから、聖山ランゲルの神官たちも、迎え入れる準備をしてくれていたのだった。魔物が出てこないというだけでも、十分に異質だ。
挨拶をしたのとは別の神官が3人を簡易の宿舎へと案内する。
「セニア殿」
クリフォードがじっと見つめてくる。案じている、というよりも力づけてくれているかのような、そんな眼差しだ。
「大丈夫です、必ず聖剣を」
セニアは力を込めて頷いた。
クリフォードも頷き返してくれる。お互いに浮ついた気持ちはない。それがとても心地良かった。
「では、参りましょう。大神官レンフェル様がお待ちです」
年長と思しき方の神官に先導されて、かつて13歳のときに上った道を進む。
清廉な空気の中、瘴気は微塵も感じない。
(聖樹、5年ぶりに見るけれど)
セニアは山頂付近に生える純白の大木を目の当たりにする。葉まで全て白い、不思議な木だ。シェルダンなどが非常用に持ち歩く香木は聖樹の枝から作られている。
「恋仲なのかしら?」
ふっと前を行く神官が尋ねてくる。振り向いてきて見える眼球が白く濁っていた。
この男性の問ではない。口調が少女のようだ。
「いいえ、私にはまだ、無理です」
嘘は通じない。セニアは正直に答える。
今はこの神官を通じて、大神官レンフェルが自分と会話をしているのだ。
聖山ランゲルの中でなら、およそ外では理解のつかない力を大神官は使うことができる。
(エヴァンズ王太子などは随分それを気味悪がっていたものだけど)
自分のことも聖山ランゲルも結局、活かすことのできない人だった。
(結局、婚約破棄については、むしろ彼からしてくれて良かった)
セニアは現状を鑑みて思うのである。ただ、なぜか浮かぶのはクリフォードの顔だ。
「聖教会の教義は聖騎士の恋も婚姻も禁じてはいない。あなたたちは血を残さなくちゃいけないんだから。あの方は素晴らしい魔力を持っている。良い相手でしょ?違うかしら?」
更に男性神官の口を使って、大神官レンフェルが尋ねてくる。口調を男性のために合わせようとはしない。
「問題があるのは私の方。あの人はその、一度がっかりして、でも、また見直して、良いところもまた見せてくれ始めて」
どうしようもなく惹かれ始めているのだ。セニアは思い、気付かされた。
ただ、なぜ少しの間も待たず、男性神官の口を借りてまで問い質すのだろうか。挙げ句、セニアの回答にクスクスと笑い始めてすらいる。
「親戚への親愛の情を恋心と錯覚するより、余程健全でいいわ。さ、入ってきて」
いつの間にか聖樹の傍らに立つ大神官の神殿に到着していた。白い大理石で作られた、一点の曇もない神殿だ。
セニアは先程まで少女の口調で話していた男性神官に開けられた正門を潜る。
「お久しぶりね、聖騎士セニア」
美しい白髪の少女が青い瞳を向けて告げる。神殿の最奥からゆったりと歩み寄ってきた。身に纏うのも純白のローブである。
大神官レンフェルだ。
「大きくなったでしょう?私、あれから5年経ったから、13歳になったのよ?あのときのあなたと、同い年」
クスクスと笑みをこぼして大神官レンフェルが言う。2回目の対面に過ぎないというのに、前回と同じく不思議な親しみを見せてくる少女だ。ただ身長はお世辞にも高いとは言えない。セニア自身よりも頭2つ分は低いのではないか。
「ポート、色んな意味でお疲れ様。門の番に戻って。まだ煩わしい虫が多いから」
大神官レンフェルの言葉を受け、先導してくれた神官ポートが自分たちの方を向いたまま、一礼をして神殿を後にする。御神体に背中を向けて良いのは大神官レンフェルだけなのだ。
「ここに来たってことは、やっと、聖剣オーロラが居眠りしていることに気づいたのね?」
面白がるように大神官レンフェルが尋ねる。
8歳の時から変わらない。大神官レンフェルは役割には縛られないのだ。どこか奔放でありながら、清廉さも失わない。
「いえ、私は気付かなくて。教えられたのです」
聖山ランゲルの中で、大神官レンフェルに嘘は通じない。セニアは正直に告げる。もっとも、元々嘘をつける性分でもセニアはないのだが。
「そう、余程賢くて、ものを知っているか、あなた以外の神聖術の遣い手なのか、ね」
とがめるようでもなく、楽しそうにレンフェルが言う。まるで外の者との久しぶりの会話を楽しもうとしているかのようだ。
シェルダン・ビーズリーに教えられた。他人から聞かされるなどだめなことで、自分の評価は下がるのかもしれない。だが、隠すことはもっと良くないだろう。
「前者です。とても歴史のある家系の人で。聖騎士についても、聖剣についても、神聖術についても、それに魔塔についても。私が知るべきことに、私よりも詳しい人が教えてくれました」
ありのままをセニアは答えた。
大神官についても、シェルダンならば詳しく知っているのではないかとすら、セニアは思うほどだ。
「そう、軍人なのに、大したものね、その人。あなたは、そっちには惚れてないのね。身分が低いから?それとも冷たくされたから?」
全部を見透かす、大神官レンフェルの不思議な力だ。本人が言うには、聖山ランゲルの外ではまったく使えないらしい。
「父を尊敬してくれている人で。私は頼りにはしていました。でも、そういう気持ちは」
どちらかというと恋人より優しい兄のようになってほしい人だった。
ちらりとセニアは思う。
「まして、もう別の女の夫じゃね。いいと思うわ。独特だもの、その人。逆に今の彼氏とはあなた、お似合いだわ、いいと思う」
まるで、年頃の少女2人が恋愛相談を楽しむかのような話し方を大神官レンフェルがする。
浮かべているのは感情の読めない微笑だ。
大神官レンフェルの方も、誰の心でも読めるわけではない。むしろ、大神官レンフェルに読めないような、心の曇った人間など聖山ランゲルに登らせてはならないのだという。
あとは、大神官レンフェルが自分を認めて聖剣の覚醒に力を貸してくれるかどうかの問題だ。
「さて、と。じゃあ、聖剣を目覚めさせましょう」
セニアの思考をからかうかのように、あっさりと大神官レンフェルが言う。
「え、でも、私は」
聖剣が眠っていたことにすら気付けなかった。何か試しをされた上での覚醒、とセニアは覚悟を決めてきたのだ。
大神官レンフェルが歩み寄り、自分の顔を正面から見つめる。そして顔を寄せてきた。
「聖剣オーロラの居眠り。それは自分で気付ければ、その方が良いけど。何でも聖騎士が出来るわけではない。魔塔攻略にしたって、そう」
青銀の瞳がセニアの顔を映す。
「最低限、聖騎士は弱い閃光矢が撃てるだけでも良いのよ。強力な仲間がいれば、核を撃ち抜くことだけ出来れば良いの。全くの役立たずでも、究極的には構わないということ」
思わぬことを大神官レンフェルが言い出した。
「先代の聖騎士レナートもそう。彼は剣技が駄目だったのね。神聖術は極めていたけど、誰かに守ってもらうしかなかった。でも、聖剣は彼を認めて力を貸した」
大神官レンフェルが言葉を切った。しばし沈黙して、セニアに言葉が染み入るのを待つかのように。
「全てを知る必要も、出来る必要もない。私はそう思うから。あなたは私からしたら、よく頑張っている、って思うのよ」
自分の中を隈なく見た上で大神官レンフェルが告げる。
「あなたは教えてくれる人と出会った。縁に恵まれた、父親にも。あなたの人生でそれも実力。でも」
ふっと大神官レンフェルが遠い目をした。
「それでも私とは別に聖剣はあなたを認めないかもしれない。だから試しなさい。自分の心にあるものを全てさらけ出し、力を惜しみなく見せて、聖樹の洞で聖剣と向き合いなさい」
大神官レンフェルが手を打った。
今度は女性神官が2人入ってくる。
セニア自身も控室に導かれて神官服に着替えさせられる。
(これが、聖樹。聖剣にはこの木の力が注がれた、って聞く)
セニアも初めて聖樹の根本に空いた洞へと連れて行かれた。
「ここで、あなたのすべてを。言葉も力も、気持ちもすべて聖剣と聖樹に見せつけて。私が間違っていないと、知らしめてあげてね」
最後は少し冗談めかして、大神官レンフェルが言う。
セニアは頷いて洞へ足を踏み入れた。人一人が立っていられるだけの空間。一番奥、正面の木目に十字の穴が穿たれていて、聖剣がすっぽりと納まった。
気付けば、大神官レンフェルも女性神官もいなくなっている。
(では、私のすべて)
思うまま、セニアは聖剣に触れる。そして法力をありたけ振り絞り始めるのであった。
知らず、聖樹の外では夜空をオーロラが彩っていく。




