289 第4次第7分隊〜ロウエン1
カムロス平野を後にし、第1ファルマー軍団は南へ、第3ブリッツ軍団は北へと進軍することとなった。魔塔討伐には、第3ブリッツ軍団と第4ギブラス軍団で当たることとなる。シェルダンの言っていたことだ。第4ギブラス軍団は休養明け、本国から直接ミルロ地方入りすることとなる。
(まぁ、全部隊長から受けた説明なんだけどな)
デレクは行軍中の常で、脱いだ鎧を箱に入れて背負いながら駆けていた。以前とは違い、分隊の最後尾を走るようにしている。その方が若い連中の様子がよく分かるからだ。
「連戦か、さすがに身体がきついな」
走りながら小声でハンターが零す。地声の大きな副長である。本人は小声のつもりでも、皆に聞こえてしまう。
シェルダンの背中がすまなそうに縮こまった。自分と2人、分隊から離れて、敵将ハイネルを討ちに行っている。その間、分隊の指揮についてはハンターが担っていた。
(負担をかけ過ぎたって思ってんだろうな)
シェルダンの胸中をデレクは自分なりに推察する。基本的には分かりづらいが、シェルダンというのは気遣いの人なのである。
「悪ふざけでジジィの真似事をするもんじゃねぇや、副長」
後ろからデレクは冷やかしてやった。ハンター自身も本音では気を使わせたいわけではないはずだ。
「本当にお前らよりはジジィなんだ。頑張ってるほうだぞ、俺は」
苦虫を噛み潰したような顔でハンターが言う。
(文句を言う元気があるなら余裕だ)
デレクは思い、振り向いたシェルダンを見ると同じ考えなのか安心した顔である。
45歳の副長よりも心配なのは、ロウエンの方だ。無言で分隊の後ろから2番目、つまり自分の眼前をラッドとともに駆けている。なんとか行軍についてきてはいるが、顔色は酷く悪い。負傷したばかりなのだ。風魔術を一介の軽装歩兵で受けてしまった。死んでいてもおかしくない。
(まぁ、さすがだよな、こいつも)
デレクは唇を噛み締めて懸命に走るロウエンを見て思う。弱音も無駄口も叩かない。
平素より筋力強化訓練をさせていても、よく頑張っている印象である。
我慢強いのだ。最初にロウエンを見て基準とし、リュッグやガードナーに無理を強いた部分もデレクにはあった。
ただ、今はラッドがついている。治癒術も使えて応急処置の心得もあるから、本当に無茶をさせる前にシェルダンへ進言をするはずだ。
「おい、大丈夫か?お前は若いし、怪我もしてないだろ」
デレクは次に気になった新兵バーンズに声をかける。
身体に異常はなくとも、バーンズの方は激し過ぎた初陣への衝撃が大きい。
(で、今度は魔物相手の戦いだからな)
声をかけて間違いではない状態だ、とデレクは見ていた。
「平気です」
硬い表情のまま、答えるバーンズ。一時、嫌われたとはいえ、いつもは自分相手でも、もう少し顔の表情が動く。平気なわけがない。
デレクは走りながら思案する。
「実はな、バーンズ」
あえて唐突にデレクは切り出した。
「隊長は泣き上戸でな。いつも澄ましてるが、呑み過ぎると泣き始めて、奥さんへの愛を語りだす」
デレクの言葉を受けて、バーンズがシェルダンの背中を見た。
バーンズが一瞬、意外そうな顔をしてから、クスリと吹き出す。
「おい、デレク、聞こえてるぞ」
背中を向けたまま、シェルダンが険しい声を発した。
「だから、家まで送っていくとあのおっかない美人の奥さんが、大喜びで迎えてくれる。それはもう、歯が浮くようなことばかり言ってもらえるからな」
無視してデレクは続けた。
ますますバーンズが面白がる。
「デレクッ」
泣き上戸隊長が睨みつけてきた。
デレクは肩をすくめて返す。他に上手い話を思いつけなかった。頭の出来を後で怒られるかもしれないが悪気はない。シェルダンもそこのところは意図を汲んでくれるはずだ。
(まぁ、すごい人なのは間違いない。多少、貶してもご愛敬だろうさ)
デレクは戦の直後、点呼報告へ向かったはずのシェルダンがなかなか帰って来なかったことを思い出す。
待ちくたびれたバーンズなどが眠り始めてしまったところへ、更にやってきたのが第一ファルマー軍団の総指揮官アンス侯爵直属の部下である。なんとドレシア帝国騎士団長ゴドヴァンと酒を呑んでいるという。
(まず、つくづくとんでもない人の下につけてもらえたもんだ)
ハンターなどは目を白黒させていたのだが。デレクは素直に嬉しかった。
重装歩兵隊から引き抜かれたのも、最近では特命を受けて異動したかのようにすら思えてきたからだ。
一方で、誰かが着々と出世に向けて、シェルダンの外堀を埋めようとしている。そんな印象を抱くほど、軍務ばかりでなく、貴人たちとのやり取りも忙しなく見えていた。
空気が少し冷たく感じられるようになる。周りの景色も森を抜け、岩地や山が見えるようになっていた。
「ミルロ地方に入ったな」
しみじみとラッドが言う。
いつも通り淡々としているシェルダンに対して、ラッドの方は何か思い入れがある土地のようだ。
既に日が暮れかけていた。
「一旦夜営だな」
シェルダンの号令の元、交代で見張りを立てて、それぞれが天幕を張った。周囲には他所の隊も多いのだが、いつになく気を張っているようにもデレクには見える。
ラッドも同様だ。笑顔を浮かべつつも油断なく辺りを見回している。就寝前にデレクはシェルダンに声をかけられた。
「この辺は虫型の魔物が多い」
あらかじめ自分に周辺の魔物の情報を伝えたかったらしい。
戦闘ではハンター以上に高く買ってもらえている。
焚き火の近くでは、ラッドがロウエンに治癒魔術をかけていた。
「連中はしぶとい。手足を斬り落としても、しばらくは動ける。場合によっては死なない」
忌々しげにシェルダンが言う。
「完全に叩き潰すしかない、と?」
デレクは自身の譲り受けた、棒付き棘付き鉄球を見て尋ねる。
「いや、頭と胸の間に神経の集まりがある。そこを狙えば動けなくなるから、いざとなったら片端からお前が叩き潰して仕留めろ、だが」
シェルダンが珍しく言葉を切った。まるで値踏みするかのような視線を送ってくる。
「全部自分でやろうとするな。他の奴らに経験を積ませることも考えて動け。それでいて、死なせないことはもちろん、負傷すらさせるな」
経験を積ませる、というのは自分の観察や判断についても同じことをされている、とデレクは痛切に感じた。
「逆にラッドのやつはいい。あいつは、慣れてるし、ロウエンの面倒を見せないとならん」
親戚だから贔屓している、という感じがシェルダンからはしないのだった。ラッド自身も馴れ馴れしいと感じることもあるが、さり気なく助言をくれたり、気を回したりしてくれる。
「ラッドのやつも、いざとなりゃ助けますよ、あいつも仲間なんだから」
ゆえにデレクも手放しで言い切れるのだった。
シェルダンが意外そうな顔をしてからニヤリと笑う。
「そうだな、そうしてくれ」
ただ、シェルダンが笑うとろくなことがないのである。
夜が明けると、雪の冠を被った白い山と漆黒の魔塔が並び立つ、異様な光景が目に飛び込んできた。
(聖山ランゲル、か)
ドレシア帝国とも随分違う環境なのだ。思えるだけ深くアスロック王国に侵攻したのだ、と改めてデレクは思うのであった。




