287 聖騎士と軽装歩兵の思い出⑩
ルフィナに治療をしてもらい、相変わらず愛想のかけらもないシェルダンが仏頂面で、天幕から這い出してくる。ルフィナも出てくるのを待ってから、黙々と天幕を片付け始めた。
「お待たせしました。ご案内します」
畳んだ天幕を担いで、シェルダンが渋い顔を作って告げる。
「シェルダン、機嫌が悪いようだが?」
笑って、レナートが尋ねた。
「なんだかとんでもない間違いをしている気が、時折してしまうのです」
やはり仏頂面のままで、シェルダンが歩きながら言う。
一族の掟を話したことか、はたまた魔塔攻略に従事していることか。
「私達は君のおかげで助かっている。そして、魔塔攻略が達成なれば、アスロック王国は本当の意味で素晴らしく平和な国となる。そんな国を君よりもっと下の、いたいけない子供たちに残してやれるんだ」
レナートが熱のこもった口調で告げる。ゴドヴァンなどは、そんなふうに言われるとやる気が出るのだが。
「今、現役で戦っている世代の我々の責務だよ」
さらに言うレナート。
「私は先祖たちの努力に光を少しでも当ててやりたいと思ってしまいました。どうしようもなく、ね」
呟くようにシェルダンが言い、ノートを開く。一目確かめてまた進む。
「黒竜がおりました。あれが階層主で間違いないかと」
シェルダンがまた渋い顔で言う。後悔している云々や機嫌が悪いという話はもう終わりで良いらしい。今度はたぶん、階層主が手強いことに腹を立てている。
黒竜、ゴドヴァンでも知っている強力な魔物だ。黒い炎を吐き、美しい漆黒の鱗はあらゆる攻撃を跳ね返すという。
「伝説はともかく、実際のところ神聖術は効きます。ただ巨体の割に素早く、知性も高いので単純な力押しでは倒せません」
シェルダンが歩みを止めて言う。話している間も油断をしていない。絶えず緊張し、目を動かしているのが分かる。
呆れるほどの集中力と持続力だ。
数時間、4人でクロジシを倒しながら進む。
「いました、あれです」
シェルダンが一際大きな瓦礫、廃墟の上にうずくまる、黒い巨体を指差した。
「思ったより近かったな」
ゴドヴァンは口に出していた。
「時間を食ったのは、先の件が気になったので、くまなくこの階層を見て回っていたからです。どこかに神殿があれば、とね。そういう予断も、本当は命を縮めるのですがね」
シェルダンが黒竜に目を向けたまま言う。そういう調査までしっかり徹底して行うのだ。改めてゴドヴァンは頭が下がる思いである。
「どうする?シェルダン、まだ私の射程ではないが」
レナートが聖剣を手にしたまま尋ねる。
「勘の鋭い魔物ですから。これ以上近づけば、起きて戦闘になります」
シェルダンがたらりと額から汗を流して告げる。
「寝ているから不意をつけると油断した人間に、不意討ちをやり返すような魔物ですから」
本当に嫌な魔物だ。ゴドヴァンはルフィナを守るように前に立つ。
「じゃあフィオーラはここで」
ゴドヴァンは告げる。不満を表明したルフィナにペチペチと叩かれる。一人安全な場所に置いていかれるのが気に入らないようだが。
「前を気にしすぎてクロジシ辺りに襲われればひとたまりもないですから。マックス様は前衛を。レナート様に黒竜を仕留めていただき、私は援護とフィオーラ様の守りをします」
シェルダンが言い、鎖鎌を解いた。
(ルフィナの守りなら流星槌のほうを)
ゴドヴァンは思うも、既に間合いを詰めようと前進するレナートに慌てさせられる。すぐに先頭へ出た。
「よし、壊光球」
レナートが離れている内に、と巨大な光球を生む。
同時に目を覚ました黒竜が真っ赤な目で自分たちを睨みつけてくる。
体高は3ゲルド(約6メートル)はあるだろうか。
黒い2枚の羽を広げると幅が増してもっと大きく見える。
「ぐっ!」
ゴドヴァンは大剣でもって、吐き出された黒い火炎球を切り裂いた。
陽光銀で作られた名剣だ。炎には耐性がある。
距離を詰めてくる黒竜。
独特の風を切る音がした。
鎖分銅が黒竜の額を直撃する。シェルダンの身体強化を乗せた一撃は強力なはずなのだが、あえなく鱗に弾かれてしまう。
傷1つつけられず。ただの鉄製の武器など黒竜にとっては玩具みたいなものなのかもしれない。
「シェルダンッ、出し惜しみするな」
ゴドヴァンは怒鳴っていた。
まだ、今更、流星槌を隠そうというのか。
「流星鎚のことを仰っているのなら、まだ射程が届かないのですよ」
涼しい顔で憎たらしくも口答えするシェルダン。日頃の言動のせいで誤解されるのだ。
「光集束」
レナートが光の線を放つ。肩を直撃し黒竜の鱗を砕く。
「グガアッ」
黒竜がのけぞって声を上げた。実によく効いている。
(いけるっ。このまま俺が炎を防いで、レナート様が強力な神聖術を放てば、簡単に勝てる)
ゴドヴァンは思うも甘かった。
風が生じる。黒竜の翼が羽ばたき、巨体を浮かばせた。
飛翔した黒竜が矢のように突っ込んできた。
受け止められない。ただ避ければルフィナを直撃して死なせる。
「フィオーラッ!」
ゴドヴァンは叫び、ルフィナを抱えて、ただ必死で逃げた。回避しきれたものの、束の間、レナートのこともシェルダンのことも忘れる。ただの突進、単純な故に防ぎようもない。
逃げた先、クロジシが3頭いた。
両手にルフィナを抱えていて大剣を振れない。
(しまった、やられる)
ゴドヴァンは覚悟し、ルフィナを抱く腕に力を込めて目をつぶった。
ドゴ、ドゴ、ドゴ、と鈍く重たい音が3度響く。
目を開くとシェルダンが流星槌で3頭とも背骨をへし折って倒したところだった。
「参った、単純に強い」
シェルダンがボヤき、近寄ってくるクロジシや黒檀牛を片端から仕留めていく。ただ、自身も傷ついていく。
また、黒竜が浮んでいるのが見えた。
再びの突撃。
「うおおおっ」
ゴドヴァンはルフィナを抱えたまま、シェルダンを置き去りにして逃げた。身を隠そうとする。
「だめよっ、マックスさん、私はいいから戦って!レナート様とシェルダンが」
抱きかかえられたままのルフィナが叫ぶ。
(だが、お前を一人にして、もし)
どうしようもない恐怖が頭をもたげてくる。
たしかにゴドヴァンがルフィナを抱えて逃げ回っていることで、均衡が崩れ、シェルダンもレナートも防戦一方なのだ。
ルフィナにも気付かれている。
「何をしてるんだ、マックス殿!」
今度はレナートが近づいてきた。
視界の隅では、シェルダンが黒竜を引きつけて流星槌で戦っている。流石のシェルダンも黒竜相手では分が悪い。爪や尾で度々、打たれ、傷つけられていた。
「だが、俺はフィオーラを見捨てられん!大事なんだっ、何よりも!」
とうとうゴドヴァンは弱さをむき出しにして叫んでしまう。
一瞬だけレナートが怯む。本当に一瞬だけだ。
「それでも仲間かっ!」
レナートがゴドヴァンの頬を思いっきり拳で叩いた。
屈強な自分にとって、大した力ではない。それでもなぜかとても痛かった。
「あの、傷ついても君たちのため、戦っているシェルダンが見えないのかっ?我々が戻ることにかけて、逃げずにいるんだぞっ!16歳の子供が!一族の掟にまで逆らって!」
レナートが叫ぶ。
「君が戻れば勝てるっ!私の前に立て!炎から守ってくれ!それで勝てる、いや、必ず勝つ!」
レナートの激の間に、シェルダンが尾の一撃を受けた。流星槌を叩きつけてなお、力負けしてまともに食らっている。
「ああっ、くそっ!」
またも情けない姿を晒した。それでも、いまさらでもこのまま腐っているよりはマシだ。
ゴドヴァンはルフィナを置いて立ち上がる。
「レナート様は大したものでしたね」
しんみりとシェルダンが空っぽのグラスを見つめて言う。
勝ったとはいえ、戦陣ではあるからか、潰れるまでは飲まなかったが、涙ぐんではいる。
ゴドヴァンは頷く。既に寝入っているルフィナが、肩に枝垂れかかってくるのを愛おしく思いながら。ルフィナにも何とか暴れるまでは呑ませなかった。
(余裕ぶってたけど、実際は大忙しだったからな、ルフィナも)
治療行為とシェルダンを探すのとを2人、並行して行っていた。
形はどうあれ、シェルダンを見つけて話すと。絶対に勝ち、酒も入れて説得するのだ、と、2人で決めていたから。
(そう、無理強いじゃない。説得ならいいはずだからな)
禁じられたのはあくまで無理強い。
誘う余地を残していたあたり、第1皇子シオンもまたシェルダンの参戦を心のどこかで望んでいたのではないか。
「最初のあの大光球。あれを拡散して矢のようにして降らせるなんてな」
ゴドヴァンはいろいろな思いの代わりに相槌を打った。
星の降るような攻撃であり、今でもゴドヴァンはあの美しさを思い出す。
(最初の段階で勝ちへの布石を打ってた。神聖術に特化した、本当に天才だったんだろうな)
先代聖騎士レナートについて、ゴドヴァンは思うのだった。
「それに俺への説教もな。仲間として、ダメな態度とって、怒られた。シェルダンはそれどころじゃなかったろうけど」
後で地面に頭がめり込むほど3人には侘びた。
レナートからはダメ押しのように、いかにゴドヴァンを頼りにしているかをコンコンと諭され、シェルダンは傷だらけで死にかけていて、それどころではなく。
ルフィナに至っては真っ赤になって怒って、何度も何度も頬を、本当に何度も、涙を浮かべて張ってきたのだった。
「結局、先の失言を見るに、あまりゴドヴァン様が成長していないということですね」
小声でボソッとシェルダンが言う。
聞かなかったことにする。
(また、俺たち3人で魔塔に上がる。レナート様の娘を守り助けて。それが俺たちの、レナート様を見送った人間の役割だろう?)
ゴドヴァンは思い、また上がるとしてくれたシェルダンの判断を素直に喜ぶこととするのであった。




