284 ゴドヴァンの謝罪
アンス侯爵の天幕でのやり取り後、ゴドヴァンに引きずられて、結局シェルダンはあの派手な総大将の天幕に入る羽目となった。夜の闇と戦後の喧騒に紛れて、あまり人目につかなかった、とシェルダンとしては思いたい。
(しかし、なぜ、怒る立場の俺が引きずられているんだ?)
シェルダンは釈然としないものを感じる。それでも古い付き合いの2人であるから、本気で怒る気にはなれないのであった。それは、昔から変わらない。
アンス侯爵と話していた天幕の軽く5倍はありそうな天幕の中、もう一人ルフィナもいた。いそいそと楽しそうに酒盛りの準備を始めている。なぜ、戦地にまで酒を持ってきているのか。疲れ果てて指摘する気にもなれなかった。
(あまり飲ませるわけにはいかんな、この方には)
シェルダンは苦笑いでゴドヴァンに目配せする。
緊張した顔でゴドヴァンも頷く。
(いや、あなたはむしろ飲ませてどうかしてしまったほうが良いかもしれませんね。そしたら、私は雰囲気を読んで、抜け出して)
ふと、思い直して、しょうもない自分の考えに笑ってしまう。何年も進展のない、仲間2人なのだ。
「負傷兵の救護はよろしいのですか?」
代わりにシェルダンはルフィナに尋ねた。
「あら、私の部下は優秀よ。問題ないわ。それに」
ルフィナが愛おしげにゴドヴァンに身を寄せて見上げる。
「この人の怪我が、心配だったから」
ぽっと頬を赤らめるルフィナ。
自分の責務を何だと思っているのだろうか。
「お2人はとっとと、くっついたほうが。最古の魔塔から、ずっとその調子でしょう」
シェルダンはうんざりして告げる。
咎めるような調子も声に篭もってしまったか。
「冗談よ。私でないと助けられないような人、私でも駄目な人の救護はもう、終わっているから」
真面目な調子で、ルフィナがしんみりと言う。あれだけの激戦だったから、かなりの人数を諦めるしかなかったのかもしれない。
「今は休憩時間なのよ」
この後でまた、治療に戻るのだろう。いかにルフィナとて魔力に限界はあるのだから。
(なら、飲みすぎることもない、か)
シェルダンもまた戦死者、怪我した仲間を思い、頷いた。
先程の失言を侘びたい、とゴドヴァンに強弁されて引っ張られてきたのである。分隊員たちには、少し遅くなると、面白がっていたアンス侯爵から連絡をしておいてくれるという。
「ふふっ、それにね」
ルフィナが幸せそうに微笑む。いつもと少し様子が異なる。
「いや、シェルダン、実は」
照れ臭そうにゴドヴァンが切り出す。
「ガラク地方の魔塔攻略前に、俺、ルフィナにプロポーズしたんだよ」
自分に謝罪すると強弁していた大男が、真っ赤になって代わりに打ち明けた。
ルフィナもキャッと可愛い声を出して恥じらう。
実はもう飲んでいたのだろうか。
「婚約式の後にプロポーズしたということですか?」
思わずシェルダンは指摘してしまう。
確かドレシアの魔塔攻略直後に、2人は大々的に婚約式なる、聞いたこともない独自の式典をしていたはずだ。
「ええ、そうよ?」
不思議そうにルフィナが返す。一緒に喜ばないシェルダンを訝しく思っているようだ。
「あぁ、全部、落ち着いたら、その、結婚しようって」
ゴドヴァンも恥ずかしそうに言う。
この2人にとって婚約とは何だったのだろうか。
軽く眉間を押さえる。シェルダンは混乱してきた。
(それとも俺がおかしいのか?プロポーズしたなら、その段階で結婚の約束をしたということで。それが婚約じゃないのか?)
自然、渋い顔でつい眉間を押さえてしまう。ほのかに頭痛をすら感じる。
「いや、シェルダン、すまねぇな。思っても見なかった話で、驚かしちまったと思うが。でも、シェルダンには言っておかないと」
どう誤解したのかゴドヴァンが焦った風に言う。
シェルダンは何に驚き、混乱してしまったのか、どう説明したものか悩み、諦めた。とりあえず黙って頷き、俯いたまま拍手をしてやる。
「さっきも、シェルダンに上がってほしいだけでな。あの2人を侮辱する気はなかった。本当にすまねぇ」
諦めて正解だった。無事に話が本来のところへと帰ってくる。
「あんまりなことを仰るので、私はもう上がるのをお断りしようかと思いましたよ、今回も」
それでもシェルダンは一応釘を刺しておく。
ゴドヴァンの失言癖は今に始まったことではないのである。
「あ、いや」
慌てて極り悪げに頭を掻くゴドヴァン。
「もうっ、あなたのそういう物言いのせいで、大変なことになるとこだったのね?」
ルフィナもツンケンとして言う。
(あなたもうんうん、と頷いていたではないですか)
シェルダンは口には出さず心の中で指摘する。
「しかし、シェルダン、良いのか?本当に」
ゴドヴァンが念押ししてくる。
「妻のカティアが妊娠しました。私もそうなると多少心境が変わってくるものなのですね」
父のレイダンとは激しく言い合ったが、最後は渋々納得させたことを、シェルダンは思い出す。
(父さんは)
結局、自分の身を心配してくれていただけだったのだ、と今にしてシェルダンは思う。『では孫が上る羽目になってもいいのか』と告げたところ、最後はレイダンも了承したのだった。
「そりゃ本当か、目出度いな」
ビーズリー家でのやり取りなど知る由もないゴドヴァンが無邪気に喜んでくれる。
「なら、魔塔に上がるのは子供のため?」
ルフィナもたおやかに微笑んで問うてくる。
「そればっかりでもありませんがね」
頷いてシェルダンは答えた。
「あなたらしいわね。じゃあ、私たちが何も余計なことを言わなくても、ついてきてくれたのかしら?」
ルフィナがとうとうグラスに酒を注ぎ始めた。そしてあっという間に一杯を飲み干す。
さり気なくゴドヴァンとシェルダンの分にも注ぐ。
自分が飲んでから人の分を注ぐ、というまでの時間が異様に早いので、周りが気がついたときには手遅れなことも多いのである。
「私が皆様をご案内するのでしょう?」
シェルダンの返しにゴドヴァンとルフィナが苦笑する。
2人とも困らされることは多くあれ、古い知り合い、戦友なのであった。最古の魔塔に始まり、とうとう祖国との戦いでも共闘している。
シェルダンもゴドヴァンと顔を見合わせ、それぞれのグラスを飲み干す。
「しかし、セニアちゃんはまだ強くなるのか」
何杯かを3人で空けて、ゴドヴァンがしみじみという。
「早計ですよ。本人がちゃんと励まないと。レナート様にはまだ遠く及ばない」
シェルダンは渋面を作って答えた。
「あら、あなたもある程度、認めたから教練書を渡したのではなくって?魔塔でもよく頑張ってたし。ゴドヴァンさんをぶっ叩いてた時、あなた、嬉しそうだったわよ?」
ルフィナが酒精で頬を赤くして指摘してきた。
「俺もだ」
ゴドヴァンも頷く。叩かれたことを嬉しいと言ってしまった格好だ。
酔ったルフィナに何事かを疑われて、上腕をペチペチと叩かれてしまう。
「まぁ、亡命してきた当初よりかは、だいぶ近づかれたようにも思いましたので」
なんとなくレナートの姿を思い出した。
教練書の第3巻。息絶える寸前のレナートから3巻分を預けられ、遺言どおりにゴドヴァンとルフィナに第1、第2巻を渡したのだ。短い時間の共闘ではあっても、レナートが自分たちを仲間として信じてくれた、大切な証でもある。
「もし、我々がもっと以前の魔塔で出会い、共闘していたら」
ポツリとシェルダンは零す。
短くも強烈な経験であった。最後にヒュドラドレイクを倒せなかったことだけが痛恨の極みだ。
「もっと連携がな、いろいろ出来たかもな」
ゴドヴァンも頷く。
考えてみてもしょうがないことだ、とシェルダンは思う。
「そうねぇ。でも、それにしても、あの子のあなたを怒る姿ときたら、レナート様を思い出しちゃったわ」
ルフィナが相槌を打って微笑む。
「えぇ、私もですよ」
シェルダンも頷く。話は次第次第に、最古の魔塔第4階層での思い出話へと移っていく。




