281 戦の後2
無言でシドマル伯爵の後について、負傷者だらけの戦場をトボトボと歩く。陣営の中、すれ違う顔は疲れていながらも一様に明るい。
(うちの隊の連中と話したかったが)
特に新兵のバーンズなどには注意を払ってやるべきだ。ハンター、デレク、ラッドが上手くやっているだろうとも思いつつ、シェルダンは自分も当然、その場にいたいのだった。
「一応、君の分隊へ連絡はさせてある。心配はいらない。さ、着いたぞ」
頼んでもいない、一分隊長へ破格の気遣いを示しつつ、シドマル伯爵が振り向いた。
(いや、目立ち過ぎるだろう)
威容に、シェルダンはげんなりしてしまう。
第1ファルマー軍団の本営、入口の両脇に篝火が据えられ、設けられた大きな天幕。控えていた見張りの兵士に一礼し、シェルダンはシドマル伯爵と共に、その隣にある、すぐには気付かなかった、小さな天幕へと招き入れられる。
(隣の立派なのが嫌すぎて、見落としてしまったな)
思いつつ、扉代わりの布をくぐって、シェルダンは天幕の中に足を踏み入れる。
入って正面、小さな卓の前に座っていた初老の男。不機嫌そうな顔は間違いなくアンス侯爵である。ギョロリとシェルダンを見た。
ビシッとシェルダンは直立する。軍人としての習性だ。
「貴様はこっちの方が良いだろう?目立つのは嫌いだと見える」
例のごとく、挨拶も抜きにアンス侯爵がニヤリと笑って言う。
「はっ、ありがとうございます」
そもそも呼び出さないでほしいと思いながらシェルダンは謝辞を述べた。自分の名前を使い、シドマル伯爵に連れてこさせれば目立たないわけがない。
(絶対分かっていてやってるな、この人は)
決して口には出せないことをシェルダンは思う。
「犠牲は出たが、敵も精兵だ。まったく犠牲が出ないなどあり得ん。お互い、よくやった方だとは思わんか?んん?」
上機嫌でアンス侯爵が言う。
アスロック王国を制圧するにあたって、決して生かしておいてはいけない相手を討ち取れたのだから、アンス侯爵の上機嫌も理解できる。
(勝ち負けよりもそっちが大きい)
シェルダンにとっても、逃げ延びて頑強に抵抗されることのほうが困る。確実に逃さない、そのためのお膳立てがもっとも相手にとって嫌な手で、シェルダンにも出来ることだった。勝って逃げられるくらいなら、負けてでも殺したほうが良いという相手だ。シェルダンにもよく理解できる。
(そして、この人さえ見抜かなければ、誰にも知られずにそれを為せたのだが)
恨めしい気持ちを隠してシェルダンはじっと直立を続ける。礼儀は本心を隠す格好の仮面になるのだ。
「アスロック王国にとっては、大きな痛手となりました。王太子エヴァンズの両腕をもいでやった格好ですから、致命的ですらあります」
口では形式的なことをシェルダンは言う。挨拶も何もないので、まだ呼び出された意図がまるで分からない。
「貴様、家が1000年続いているのが自慢らしいな」
唐突にアンス侯爵が話題を変えた。
曖昧に頷くしかない。誰に聞いたのか、何が言いたいのか疑問は幾つもあるのだが。
「だが、わしはそんなものはまったく評価しない」
いきなり喧嘩を売られた。
シェルダンはグッと我慢する。こみ上げる反感も顔に出すことなく無理矢理に抑え込んだ。
今更、自分の家について、内と外との差異など問題にも思わない。ここまで面と向かって言われるのも珍しいのだが。
(こんなやり取りは何年も前にアスロックのときから、何度も繰り返してる)
内実も何も知ろうともせず適当にお愛想で褒められるのにも、もう慣れた。そういう相手はただ漠然と、1000年という時間を褒める。まだ礼を失していないだけマシ、とシェルダンは思うことにしていたのだが。
「例えば、だ」
面白がるように自分の反応を窺っていたアンス侯爵がまた口を開く。
「その鎖鎌の術は、そのご先祖とやらのおかげで、楽して身につけられたのか?なんの苦労も修行もせずに?」
アンス侯爵が妙な質問をしてきた。技術というものを甘く見過ぎである。幼い頃から鎖鎌も流星槌も血のにじむような修練をしてきた。
「それは、当然に修練を積んでおります」
丁重にシェルダンは答えるに留めた。
先祖など家の歴史など要らぬ、と論破でもしたいのだろうか。
満足げにアンス侯爵が頷く。
「それに、今回、退路を岩で塞いだのも一族の知恵か?」
更にアンス侯爵が尋ねてくる。
「いえ、違います」
分家筋を活用してどうにか出来ないかと思考を重ねて、シェルダンが自分で考えたことだ。
「うちの単細胞な総大将を助けるため、周りの誰もしなかった、木の上からの狙撃。それをしようと思ったのも、そうだ」
今度は勝手にアンス侯爵が決めつけ始めた。
もちろん、間違ってはいない。全部が全部、逐一あらかじめ家訓が指定してくれているわけはないのだから。
「全部が全部、あらかじめ全てを一族が考えておいてくれているわけがない」
挙げ句に、シェルダンが考えていたのとまったく同じことを言うアンス侯爵。
感じの悪い笑顔を見るにつけ、符合が嫌でしょうがない。
「自分の力で為したことは自分の功績だ。家に賞賛など、わしはしない」
どうやら、アンス侯爵がしたいのは自分への賞賛らしい。
(それなのに、なんで家を馬鹿にされているんだ、俺は?)
若干、シェルダンは状況の矛盾に面食らってしまう。
自分にもし特別優れたところがあるのなら、ビーズリー家が1000年続いてきたことに依る。
(それこそ、カティアのような素敵な女性とだって結婚出来なかっただろう)
一介の軽装歩兵が結婚できる相手ではなかった。カティアとて貴族の血筋なのだから。
「家の歴史など関係ない。今回の手腕も、魔物への知識も、鎖鎌の腕前も貴様が自分で考え、身につけたものだろう」
笑顔を消して、真剣な顔でアンス侯爵が告げる。
「それは、そうですが」
シェルダンは言葉に詰まってしまった。
当然、生まれたときから自分はビーズリー家の人間である。家と自分を切り離して考えたことはない。
「貴様は上を舐め腐っているがな。見ている人間は実によく見ているのだ」
アンス侯爵が言い、ずっと面白がってニコニコしていたシドマル伯爵を睨みつける。
「そこの男はあまり気にせず、見てもおらず。分隊長などと遊ばせておったようだがな」
悪態がシドマル伯爵へと飛び火した。
「有能な分、隠すのも巧妙でしたから、そこの彼は」
苦笑いしてシドマル伯爵が答える。
「ふん、まぁ、良い」
アンス侯爵が鼻を鳴らした。
「うちの単細胞の総大将を上手く助けてくれた。本当によくやった。どうせ、貴様は上手く隠して、誰にも褒められんからな。わしが褒めてやる」
あまり嬉しくはない。
思わぬ言われように対し、むしろまだ驚きのほうが勝る。
「ありがとうございます」
それでも素直にシェルダンは頭を下げた。
「ふん、まったく喜んでおらんくせによく言うわ」
鼻を鳴らして、アンス侯爵が憎まれ口を叩く。
このままシェルダンは退出するつもりだった。
アンス侯爵もシドマル伯爵も思ってもみなかったことらしい。




