279 カムロス平野の戦い・終戦・ワイルダー
自軍右翼で味方の軽装歩兵と敵の魔術師軍団が混戦となっている。
「殿下」
セニアが血の滴る片刃剣を手に声をかけてくる。何人の敵をここまでセニアに倒してもらったのか。乱戦の中、敵兵が自分の間近にまで迫っていた。
クリフォードは戦況を眺めつつ思う。
(私はまだあまり役に立てていない)
この混戦では派手な炎魔術を使えない。
セニアを害する敵を焼き払うと宣言しておきながら。今のところは逆に守ってもらってばかりいる格好だ。
本隊の近くで歓声が上がる。敵将ハイネルをゴドヴァンが討ったのだという。
「さすがゴドヴァン殿です、あの、ハイネルを討つだなんて」
信じられないという顔でセニアが言う。セニアにとって一度は完敗している相手だ。
「残るはあの、魔術師だね」
クリフォードはなおも右翼へ向かいつつ言う。
同じ魔術師なのだ。使う黒い風からはワイルダーのおぞましい程の魔力もよく感じられる。
最初よりも幾分、数の増えている気がする軽装歩兵たち。中には軍服をすら着ていない者たちも少なくない数がいた。何かの偽装だろうか。
犠牲を出しながらも敵の主力2軍のうち片方を相手に奮戦していた。
だが、後のない敵もまた死にものぐるいで抵抗している。
(何が彼らを突き動かすのだ。ここで勝っても、我々を何人殺しても、彼らには後がないというのに)
思いつつ、クリフォードもワイルダーを討つべく近付いていく。ワイルダーの黒風の魔術を見るにつけ、正面から討てるのは自分だけ、という気がする。
「覚悟っ!」
敵もまたのうのうと自分を放っておいてはくれない。
乱戦の中、飛び出してきた敵の重装騎兵が槍を突き出してくる。
セニアが千光縛で動きを封じ、馬、人の順で斬り倒した。
今、セニアが使っているのは聖剣ではなく、月光銀の名剣だ。人を斬るのに聖剣を用いるべきではない、と開戦時に告げていた。
(覚悟なら、もうしている)
クリフォードは重装騎兵の亡骸を見下ろして思う。
更に進む。射程にワイルダーをまだ捉えていない。
魔術をまだ使わないのは、怯えているのでも覚悟をしていないのでもない。あくまで味方を焼かないためだ。
「ふん、密集しているのなら」
クリフォードはワイルダーらが踏みとどまり、混戦の中、一団となっているのを視認した。バラバラになりかけるのを嫌って、隊形を纏めたのだ。
(だが、私を相手にそれは)
ドレシア帝国軍の軽装歩兵たちと泥沼の消耗戦をしながらも、ワイルダーの直下魔術兵士は未だ500人以上が生き残り、ドレシア帝国兵士と見ては魔術を放っている。
「この混戦だ。それぞれ得意な術で1人ずつ確実に討つんだ。くれぐれも味方は討たないように。死なないこととその2つをすれば、もう勝てる」
クリフォードは第1ファルマー軍団の魔術師団隊長と第3ブリッツ軍団の隊長2人に指示を出した。2人とも素直に頷いてくれる。
それぞれが詠唱を始めた。魔法陣を中空に作れる者など誰もいない。
(まるで手品師だな。ガードナーは特別だった)
クリフォードは味方にすら呆れつつ、他人の部下を懐かしく思う。たどたどしく、まだ未熟ながら雷魔術の才能は本物だった。果ては自分にも分からないような潜在能力まで発現させて。
「ガードナーに顔向けできない戦いはしない」
クリフォードは詠唱を始める。
赤い魔法陣が中空に浮かぶ。
「ファイアーアロー」
炎の矢が魔法陣より生じて、敵陣へと突き刺さる。
敵陣中央付近、一撃のもとに数名を焼き尽くした。
だが、目立つ分、敵からの注目も集めてしまう。
「くうぅぅっ」
セニアが苦悶の声を上げる。クリフォードに向けられた風の刃や竜巻を尽く盾で受け止めてくれたからだ。
(おのれっ)
クリフォードは思うも代わりに詠唱を始める。
敵を倒すことが一番の助けになるのだ。
一際おぞましい魔力を感じた。
黒い魔法陣が中空に浮かぶ。思ったよりも前方、自軍の軽装歩兵たちに近かった。自ら前衛で奮戦していたようだ。
「敵ながら見事だ。だがっ」
クリフォードも自らの魔力を練り上げて赤い魔法陣を生む。
敵よりも早く出来た。
「ファイアーピラーだ」
炎の柱をワイルダーのいるあたりへ叩きこもうとする。
対するワイルダーも風の鎌を生んで、炎の柱を両断した。相性の問題もあって、あえなく炎の柱が吹き消されてしまう。
「ちぃっ」
クリフォードは舌打ちする。自分のほうが早かったのではなく、単純に相手のほうが時間をかけてでも強力な魔術を使ってきただけだったのだ。
お互いの味方を挟んで魔術をぶつけ合う格好である。
視界の隅でセニアが剣を振るう。戦争を嫌いなはずの少女が自分のため奮戦してくれている。
(負けるわけにはいかん)
クリフォードは力を得て、更に魔力を練り上げる。
先よりも巨大な赤い魔法陣。
「獄炎の剣」
巨大な炎の剣に、味方から若干の歓声が上がる。
ワイルダーのいる敵陣へと再度撃ち込んだ。
(ちいぃぃっ)
再度呼応するように生まれた黒い魔法陣。
風の翼が生じて、獄炎の剣を包み込む。ゲルングルン地方の魔塔でラビットウィッチも用いていたフェザーウィンドだ。
炎の進みを妨げられてしまう。しばし、炎と風とがせめぎ合い、最後は双方ともに消失した。
(古代魔法フェザーウィンドまで。さすがだ)
尽く攻撃魔術を潰されるクリフォード。
しかし、ワイルダー側も自分で攻撃を放つ余力はなく、防戦一方という見方も出来た。
ワイルダーの両脇には副官らしき術者も見える。この2人がワイルダーに代わり、自分に向けて次々と攻撃のため風魔術を放ってくるのだ。
「くっ、うっ」
クリフォードの傍から離れず、一方的に打ち込まれる魔術にひたすら耐えるセニア。セニアのおかげで自分は無事なのだ。
一方、ワイルダーに阻まれてしまうため、クリフォードの魔術もまた、副官2人に届かない。
(魔術の腕前は互角。だがっ)
クリフォードは渾身の力を籠めて、魔力を練り上げる。
自身の声が2つにこだましてくるような感覚。
二重詠唱を開始した。
(おそらくワイルダーもまた二重詠唱を出来るのだろう)
クリフォードは思いつつ、自身の2つ作った大きな魔法陣の向こうに、2つの黒い魔法陣を見て取った。
やはり自分に出来ることは相手にも出来るのだ。
(だが、戦は我々のほうが優勢なのだ)
奮戦していた副官2人。
黄土色の軍服を着ている軽装歩兵が忍びより、1人は鉄の杖で1名を打ち倒し、もう一人も風魔術を受けつつも、刺し違えるように片刃剣で切り倒していた。上背があり、手足が長いのだ。
動揺し、更に憤怒したと見えるワイルダー。一目散に逃げる軽装歩兵かクリフォードを迎撃するかで束の間、迷ったようだ。
「その迷いが命取りだ」
クリフォードは獄炎の双剣をすかさず放った。
迎撃が間に合わず、ワイルダーが炎に呑まれる。そして後には焦土と化した地面だけが残る。
「す、すごい」
ボロボロになったセニアが呆然として呟く。ただ、魔術の規模に圧倒されただけなのだろう。
「あぁ、人間でありながら私と同じほどに魔術を使いこなせる者がいるなんてね」
クリフォードも敵に敬意を評して返すのであった。




