278 カムロス平野の戦い・終戦・ハイネル
返り血を浴びたハイネルが迫ってくる。
ゴドヴァンは馬上で大剣を掲げ、部下数名をハイネルの部下へとぶつけた。これでハイネルとの一騎打ちとなる。
「アンス、お前は乱戦をまとめろっ!この中で、上手くやれば圧倒的に優勢だっ!」
お互いに指揮系統が完全には活きていない。
逆に自分とハイネルの争いに巻き込まれて、アンス侯爵が討たれることも避けたかった。
「総大将自ら何をやっておるのかぁっ!部下に任せてとっとと離れぃっ!」
アンス侯爵が後方から激昂して怒鳴り返してくる。
逆に自分とハイネルの争いに巻き込まれて、アンス侯爵が討たれることも避けたかった。
ワイルダーら魔術師軍団の一方的な攻勢にどうなることかとも思ったが、軽装歩兵たちの奮闘で魔術師軍団を釘付けにしている。全体としてはドレシア帝国軍が優勢であった。
(あとは俺がハイネルを討つ。それで勝てる)
ゴドヴァンは大剣を構えた。
多少の傷など物ともせず、迫ってくるハイネル。
進行を阻むために兵士を向けてはいたずらに犠牲を増やすこととなる。
「俺が勝てば良いだけだ」
ポツリとゴドヴァンは呟く。
ハイネルと正対する形となった。
「貴様っ、マックス・ヘンダーか!」
自分を見てハイネルが叫んだ。近くで見るまで分からなかったらしい。最後に会ったのはお互いに何年も前なのだ。
「今はドレシア帝国騎士団長のゴドヴァンだ」
ニヤリと笑ってゴドヴァンは応じる。
自分が亡命したあとに、空席となった騎士団長の席に就いた若僧がハイネルだ。名門の出で前途有望な少年ではあったが、自分に勝って就いたわけではない。
「おのれっ、裏切り者めっ」
いきりたってハイネルが魔槍ミレディンを振るう。
氷の礫が飛んでくるのを、ゴドヴァンは大剣で叩き落とした。
視線を戻すと、正面から恐ろしい勢いでハイネルが突っ込んでくる。
鋭く力強い刺突。
槍の穂先を、すんでのところでゴドヴァンは躱す。
「ちぃぃっ」
忌々しげにハイネルが舌打ちした。
お互いの部下が何人か介入しようとしてくる。
「ふんっ」
ハイネルが魔槍ミレディンを一振りする。
氷の障壁が生じて、自分とハイネルを取り囲む。邪魔者は誰も介入出来ない空間を作り上げたのだ。
「あくまで、一騎打ちでケリをつけようってか」
ゴドヴァンは苦笑いである。恨まれたものだ、と。
ただ、どうしても言っておきたいことがあった。
「俺を討てば、この戦は勝てるかもしれねぇがな。だが、アスロック王国はもう詰んでる、ここで勝っても先はねぇぞ」
意味のない一騎打ちだ、ともゴドヴァンは思うのだった。ハイネルとワイルダーが全体を見られればそれで終わる。無駄な犠牲もお互いに出ないのだが。
(いや、魔塔を倒すことを、セニアちゃんを追放して選択肢から消す前から、本当は)
ゴドヴァンにとってもアスロック王国は祖国であった。レナートの死後、セニアを助けようともせず、自分やルフィナにはただ聖騎士の敗北を口止めしたのである。
都合の悪いことには蓋をする祖国だ。
「貴様に何が分かるっ!国を裏切り、ぬくぬくと居心地の良いぬるま湯を求めた貴様らにっ、崩れそうなこの国を支えてきた我々の何がっ!」
心底からの憎しみを籠めてハイネルが叫ぶ。見ているのはゴドヴァンだけではないのだろう、と感じられた。おそらく苦労をしてきたのは間違いのないことだ。
「お前の国はもう崩れて跡形もねぇよ」
つぶやいてゴドヴァンは大剣を構え直す。
(もう、話をする段階じゃないか)
元より自分も口は上手ではないのだ。
「つべこべ言わずにかかってこいよ」
笑ってゴドヴァンはハイネルを挑発した。
「話し始めたのは貴様だろうがっ!」
もっともな激高とともに、ハイネルが再度突撃してくる。
鋭い突きが捌きづらい。多少の傷を厭わず、刺し違えてでも殺そうとしてくるのだ。若僧で視野が狭くとも武芸の腕前には間違いがない。
「ぐっ」
槍の穂先が肩を掠めて、ゴドヴァンは呻く。躱したはずだった。
違和感。大剣をいつもより重く感じる。
自分の吐く息も白いことにゴドヴァンは気付く。
(寒い。冷気に動きを鈍らされているのか)
互角の戦いの中で大きな不利を負うこととなった。
距離を取ろうにも氷壁で封鎖されている。氷の壁を割る余裕などハイネルが与えてくれるわけもない。
「どうした?そんな薄着で戦場に来るからだ」
せせら笑うようにハイネルが告げる。
一気に人間を凍りつかせることまでは出来ないらしい。ただ徐々に寒さが増してくる。
「うおおおおっ」
長期戦は不利だ。ゴドヴァンは大声で自分を奮い立たせるとハイネルに、自ら猛然と斬りかかる。
「ぬっ」
驚いた表情を浮かべ、白い槍の柄で斬撃を受け止めるハイネル。柄も特上の魔石でできているのか、両断出来ない。
ゴドヴァンは身体に鞭打って攻め続ける。
(こごえていると最初から分かっているなら)
最初から気合を入れればいいだけのことだ。
ゴドヴァンは流れるように連撃を放つ。
「やるなっ!」
驚いて叫ぶハイネルも上手く躱し、斬撃を受け止める。
気を抜くと鋭い突きが飛んでくるので、ゴドヴァンも必死だ。
互角の接近戦を続けた。
決め手を欠く中でゴドヴァンは気付く。
(狙い目は分かった)
白い息を吐きつつ、ゴドヴァンは見切っていた。
渾身の突きを両手で放った直後、ハイネルの右肩には僅かな隙が生じる。
ギリギリの攻防の中、ゴドヴァンはわざと身を引いて僅かな隙を見せた。誘いである。
「隙ありいいいぃいぃっ」
狙い通り、渾身の突きをゴドヴァンの胸板めがけて放つハイネル。
(避けられるか)
来ると分かっていてなお、胸板を穂先が掠めて血が滲む。
だが、仕留められてはいない。生きている。つまりは勝ったということ。
ゴドヴァンはハイネルの右肩を狙い、斬りつけようとして、出来なかった。
(なにっ!)
ゴドヴァンの乗る馬のほうが先に潰れた。泡を吹いて膝を折る。寒さに耐えられなかったのだ。乗っているのも重量のあるゴドヴァンだった。負担は自分の馬のほうが大きい。
「くっ」
ゴドヴァンは、とっさに倒れかけた馬から飛び降りて下敷きになることだけは避ける。
「何か狙っていたようだが、もうおしまいだ」
悠然とハイネルが見下ろして告げる。
槍をしごき、馬を返して距離を取った。
「舐めるなよ、俺は徒歩のほうが強え」
ゴドヴァンは応じ、大剣を構えた。本当のところ、それは徒歩同士なら、の話だ。
馬ごと斬り倒すしかない。馬甲まで完全装備した馬相手にどこまで出来るのか。
分からないまま、ハイネルが迫ってくる。
(刺し違えになるか?ルフィナ)
ゴドヴァンは愛しい人の名前を心の中で叫びつつ、大剣を振るおうとする。
風を切る独特の音がした。
更に外から氷の障壁が叩かれる音も。
一瞬、ハイネルの注意が氷の障壁へと向く。直後、ハイネルの馬の脚を、さらに何かが直撃した。
「ビヒィッ」
悲鳴をあげて、ハイネルの馬が脚を折った。
投げ出されたハイネルの身体。膝立ちだ。
「おらぁっ」
ゴドヴァンは大剣を一閃させた。鎧ごと切り裂いて、肉体にまで至る。
「ば、ばかな。エヴァンズ殿下、む、無念」
斬られた胸から血を噴き出して、ハイネルが崩れた。
信じられない思いで、ゴドヴァンはハイネルの亡骸を見下ろす。
「まったく、何をやっているんですか」
声が聞こえた気がする。
溶けていく氷の障壁の向こう。
見上げると、樹上からするすると降りていく黄土色の軍服が見えた。




