276 カムロス平野の戦い・開戦
アンス侯爵の予言どおり、アスロック王国軍が山上にあらわれたことに、騎士団長ゴドヴァンは驚愕した。更に轟音が響く。落石の計により敵の退路も断ったのだという。
「こちらの仕込みが上手くいったようですな」
悠々と、第1ファルマー軍団指揮官アンス侯爵が告げる。いざ実戦となれば第1ファルマー軍団全体の指揮を執るのはアンス侯爵だ。ゴドヴァンの仕事は直下の兵士とともに突破口を開くこと。
山の下に布陣するドレシア帝国軍は、先鋒に重装歩兵、後方に騎馬隊という陣組みである。さらに後ろには魔術師軍団や治癒術士たちが控えていた。軽装歩兵は遊撃だ。
(ルフィナのところにまでは届かせない)
思いながらゴドヴァンは決意する。観念したようにアスロック王国軍が狭い土地に展開を始めたからだ。
「敵は退くに退けなくなったようだな」
まったく戦わないで勝つなどとはあり得ない。逃すことがなくなった、というだけで上々だ、とゴドヴァンは思う。
(あの2人が死ねば事実上アスロック王国軍は消滅する)
思いながらゴドヴァンは敵の様子を注視していた。
狭い山道を抜けたところ、重装騎兵隊、歩兵を中心とする正規軍、魔術師軍団の3段で窮屈そうに布陣している。
ピクトック山道を抜けての奇襲を読んでいたアンス侯爵の手腕に、改めてゴドヴァンは感嘆していた。ピクトック山道などそもそも知らなかったからだ。
(俺は、王都からあまり出なかったからな)
アスロック王国でも騎士団長であったが、今よりも若い時分に最古の魔塔討伐に駆り出されて、裏道や抜け道を把握する間がなかった。その後、すぐに亡命している。
(長くいたなら、きっと把握していたと思いたいな)
とにかく、今回は隠し道を知悉し、退路を断つ手筈まで整えていた、アンス侯爵の功績だ。
「奇襲で来ると分かっていて、おめおめと奇襲をされてやる道理はない」
鼻を鳴らしてアンス侯爵が言う。憎まれ口もこうなってくると心強い。
手で合図してアンス侯爵が歩兵を数歩ずつ進ませる。アスロック王国軍の受ける圧力が増しているはずだ。
逆落しを受けることとなるが馬止めの柵を十分に用意してある。
(まずハイネル率いる重装騎兵隊のよる突撃から入ってくるだろうが。更に後方に控えるワイルダーの魔術師軍団がどう絡んでくるのか)
ゴドヴァンは戦の展開について考えを巡らせる。いざ始まってしまえば頭の中は空っぽになってしまうのだ。
「クリフォード殿下に伝えろ。もう始まるぞ、とな」
アンス侯爵が伝令を飛ばす。まだ若い、ベクトという将校だ。すぐに矢のように駈けていく。
第2皇子クリフォードも第3ブリッツ軍団とともに到着し、もともといた第1ファルマー軍団と第3ブリッツ軍団の魔術師をまとめあげて戦力としている。
「ハイネルのことだ。真っ直ぐに突っ込んでくる。突破力は凄まじいだろうが、果たして俺のところまで届くかな」
ポツリとゴドヴァンは呟いた。アンス侯爵に言ったつもりでいて、答えをもらえなかったから独り言となっている。
だんだんとドレシア帝国軍の重装歩兵が距離を詰めていくのに比例して、お互いの闘気も満ちていくように感じた。
不意に敵陣の後方から黒い魔法陣がいくつか中空に浮かぶ。
「おおっ」
思わずゴドヴァンは声を上げた。
黒い竜巻が幾つも魔法陣から生じて、柵を構える自陣の重装歩兵たちを襲う。
先に魔術が飛んでくる、というのは若干こちらの意表をついている。そもそもあの距離から届くとは思わなかった。
着弾した付近の陣形が乱れる。
「虚仮脅しに怯むなっ!直ちに穴を塞げ!」
アンス侯爵が大声で激を飛ばす。
白い鎧と馬甲で揃えた敵の重装騎兵隊が迫っていた。馬甲が陽光を照り返す。馬の蹄の音にすら乱れがない。先頭で柄まで白い魔槍ミレディンを持つのがハイネルだろう。
逆落しに駈け下りてきて、馬止めの柵に激突する、というところ。
「なにっ!」
思わずゴドヴァンは声を上げた。
ハイネル以下、数騎が跳躍して柵を飛び越えたからだ。柵の内側で乱戦となっている。気が乱れたところに他の騎兵達も殺到してきた。
「ふん、やるものだな、まったく」
アンス侯爵が大槍を手にしたまま毒づく。年齢もあって、ここぞという時以外、自ら先頭に立つ武将ではない。
ハイネルに限らず、アスロック王国軍の重装騎兵隊の暴れぶりに自軍の歩兵が押し込まれている。追い込まれた分、敵も死にものぐるいなのだ。
(敵の狙いは一点突破。そして俺の首だ)
ゴドヴァンはじいっとハイネルの挙動を注視している。
ハイネル以下重装騎兵隊の奮闘をこちらは持て余している格好だ。
敵の正規軍も駆け下りていた。こちらは横に広くぶつかってくる。ハイネルの突破を助けるべく、こちらが集中出来ないようにする狙いなのだ。
更に後方にはワイルダーら黒いローブを纏う一団も見えた。ドレシア帝国側も粘り強い戦いを続けている。
(来るか?来るなら来い)
ゴドヴァンは抜身の大剣を手にしたまま闘志を漲らせていた。
白い魔槍ミレディン。ハイネルが一振りするたび、冷気で動きの鈍った兵士が討たれていく。
ふと、ハイネルが視線を上げて自分を捉えた。目が合う。
(生意気な)
憤怒に満ちた眼差しを受けて、ゴドヴァンは笑った。
少しずつハイネルが近付いてくる。
ドレシア帝国軍の重装歩兵も奮闘していた。簡単にはハイネルを進ませない。本人がだめなら馬を、と槍を突き出していく。まさに馬を倒せそうだった重装歩兵2名が黒い風に呑まれて絶命した。
「ぬっ」
思わずゴドヴァンはハイネルから視線を逸らす。
さらに黒い風の刃が飛来して味方の兵数名を切り裂いた。
正規軍の更に後ろ、ワイルダー率いる魔術師軍団。
ワイルダー本人による黒い魔法陣がこちらを黒い風で狙い撃つ。他の魔術師たちも魔法陣を生み出せずも、それぞれが魔術を放ち、ドレシア帝国軍の歩兵を狙い撃ちしている。
乱戦であるため、後方に構えて大規模魔術を放つのではなく、接近し、1人ずつこちらを始末することとしたのだろう。
(まずいな)
ゴドヴァンは背中に嫌な汗をかく。
1人ずつとはいえ、1000人からいる魔術師に各個撃破をされては甚大な犠牲を出す。間に正規軍もいるので、こちらもすぐには止められない。
「ハイネルの脇から騎馬隊で正規軍に突っ込め、崩して魔術師軍団を倒すのだ」
アンス侯爵が指揮を飛ばす。ドレシア帝国軍の騎馬隊が指示どおりに動き、歩兵の群れへと突撃していく。
少しずつハイネルと自分との距離が縮まる。
「生意気な」
アンス侯爵もハイネルを見て、忌々しげに呟く。
アスロック王国正規軍とドレシア帝国軍の騎馬隊とで混戦となり、未だ魔術師軍団には届かない。
そうしている間にも戦力差を埋められていく。
際どい勝負になりつつあることをゴドヴァンは危惧するのであった。




