274 出征〜ミルロ地方へ4
第1ファルマー軍団の本営に据えられた天幕の中、外からは兵士たちの気忙しげな声が聞こえてくる。第1軍団と第3軍団それぞれの最高指揮官両名にシェルダンは呼び出されている、という格好だった。
「いつぞや聖騎士セニアが非公表だが、敵の騎士団長ハイネルに拉致されかけて、救出されたことがあった」
唐突にアンス侯爵が語り始めた。ハイネルたちの案件のことだ。
シェルダンは嫌な予感を抱くとともに、背中を汗が流れ落ちるのを感じる。
「まぁ、間の抜けた話ではあったがな、あれは。ところで、下手人と思われるアスロック王国自慢の重装騎兵どもが、少し離れたところで死体を晒していたが、何か鈍器のような物で頭蓋を兜ごと撃ち抜かれ、砕かれていたそうだ」
アンス侯爵がシェルダンを見てニヤリと笑う。実に嫌な笑顔だ。
埋めてしまうなどの、死体処理をしなかった。それをすると今度は当時の分隊員達に怪しまれることとなっただろう。
「貴様、鎖と錘、それに鎌のついた妙な武器を使うそうだな?もう突き合わせるわけにもいかんが、傷跡とピタリと一致したのではないか?まぁ、そもそもあのときは重装騎兵どもと聖騎士セニアの囚われていた馬車とを、繋げて考える者もいなかったしな」
アンス侯爵の言葉を受けて、シドマル伯爵まで面白がるような視線を自分に向けてきた。
あのときシェルダンは、セニアを保護したクリフォードらと、重装騎兵の動向を報告した軍部との齟齬を利用したのである。が、甘くない人間がいた、ということだ。
(バレている)
痛切にシェルダンは感じた。自分があまり重要ではないと思っていたことをことごとく注目されているようにも。
ただ、話がどこに行き着くのかがシェルダンには分からなかった。
「もう一つはもっと巧妙だった」
シェルダンの戸惑いを置き去りにして、更にアンス侯爵が話を進める。
「ラルランドル地方での勝ち戦。どこぞの単細胞は無邪気に喜んでいたが、あれにも不自然なところが幾つもあった。あの信号弾を撃ったのは誰だ?それに崩れるにしても鮮やか過ぎた。はて?」
わざとらしく首を傾げて見せるアンス侯爵。実に嫌な笑顔だ。全部お見通しだと言わんばかりである。
「少し調べさせた。感心なことに、お前の分隊は実にしっかり通信具を管理しているな?誤作動をした信号弾一発分の記録もしっかり残っていた。日付もピタリとあの日と符合する。そして、貴様はアスロックの出身だったそうだが。はて?」
もう一度、アンス侯爵がわざとらしく首を傾げて見せる。もはや嫌がらせだ。
リュッグの仕事が完璧すぎた。少し適当というものも教えておけばよかった、とシェルダンは後悔する。或いは不当に誤射させられたことへの、リュッグなりの、ささやかな反抗であったのかもしれない。
「なんのことでしょうか」
それでもシェルダンにはとぼけるしか選択肢はない。認めてしまうと、どのような面倒ごとが待っているのか。分からなくて単に怖かった。
「まぁいい。全て、とぼければとぼけきれるようには出来ている。せっかくの大手柄2つ。誰も隠すとは思わん。見事なものだな?」
挙げ句にダメ押しのような皮肉をアンス侯爵が告げる。
まったく信じていないのが丸わかりの口調だ。アンス侯爵が、シェルダンについては2つのことをした人間である、と扱い利用するぞ、と宣言したようなものである。
シドマル伯爵にまで、ほぼ暴露された格好だ。
「結局、なぜ軽装歩兵の分隊長などと、シドマルの奴が遊ばせているかは分からんがな。使えば、実に使い道のありそうな男だ。最近の若いものにしては、よく出来ている。無駄口も叩かんしな」
ひどく上機嫌なアンス侯爵。黙らず失言しておけば良かったとシェルダンは後悔した。
「まぁ、上を舐め腐っているところはあるか。だがな、見ている人間は実によく見ているのだぞ?」
まったく嬉しくない。裏返すとアンス侯爵が、自分の方が人として上を行っているのだぞ、と暗に自慢したいだけではないかとも思う。
(少なくともたちの悪さでは上だ)
仏頂面でシェルダンはそう思うのであった。
「では、この男をアンス侯爵はどのように使いますか?」
穏やかな口調でシドマル伯爵が問う。
シェルダンにとっては自身の所属する軍団長であるが、雲の上の存在だ。直接話したことなどない。
明らかに面白がっているのだ、とだけは、よく分かる。
「昇進させますか?」
とうとうシドマル伯爵の口からシェルダンの恐れていた言葉が突いて出た。
「わしにそんな権限などないわ。貴様の配下なのだからな。まぁ、わしの部下になったなら、上をなめ腐った態度だけは叩き直して、超一流の部下に仕上げてやるのだが」
アンス侯爵がシドマルを睨みつけて言う。
シェルダンは心の底から第3ブリッツ軍団の所属で良かったと感じた。
「だが、知恵を出させろ」
思わぬことばかりである。
「貴様、アスロック王国の地理にも通じているだろう。いや、精通しているな?奴らが狙っているのは致命的な奇襲だ。どう来るつもりか?どこで戦うつもりか?存念を言え」
アンス侯爵がのしのしと天幕内の大きな卓へと向かう。
思わぬ話の連続で気付かなかったのだが。卓には付近の大きな地形図が広げられていた。
当然、アスロック王国軍の動向は把握している。
(ようやく、上層部に伝える機会ができたということではあるが)
ラッドとここ最近話し合っていて、答えを見つけることの出来なかった問題。第1ファルマー軍団の指揮官であるアンス侯爵に報せられれば御の字だ。
(しかも奇襲をあらかじめ警戒していたのだから、なおのこと有能な人に伝えられる、ということだが)
隠そうと思っていたことまで知られているのだ。
(まったく嬉しくない)
かえってまずい事態となっていることにシェルダンはまったく喜べないのであった。
それでも死にたくはない、という気持ちも頭をもたげてくる。負け戦は死に直結するのだ。ひいてはドレシア帝国で幸せを掴むはずの自分にカティア、お腹の中の子供にも危険が及ぶ。
シェルダンは意を決して地図を見下ろし、指で敵の動きを描いた。
「このピクトック山道を通り、カムロス平野を抜ければ、北上しようという我が軍の横腹を奴らは食い破ることが出来ます」
古い山道だが数千規模の軍であれば通行可能だ。あまり知られていない道でもある。
「こんなところに道が?誰も知らないが」
シドマル伯爵が信じられないという顔をした。
「その辺りは未だ敵の勢力圏だ。まだこちらの探りも甘い。隠し道ぐらいはあるだろうよ」
アンス侯爵が腕組みして言う。
「で、仕込みは?」
またしても思わぬ問が飛んでくる。当たり前のようにシェルダンがなにか目論んでいるとアンス侯爵には思われているのだ。
シドマル伯爵も何か期待しているかのような眼差しである。
シェルダンはアンス侯爵を甘く見ていた、ということにほぞを噛むのであった。




