273 出征〜ミルロ地方へ3
そのまま更に進軍していくにつれて、第1ファルマー軍団と合流する時が近付く。行軍中、シェルダンは幾度かセニアやクリフォードを目の当たりにするも、自ら接触はしなかった。人目が多すぎたのだ。
(あの2人は厳密には軍属ではないしな)
誰にどう伝えるべきなのか。シェルダンは判断に困っていた。そのまま日が過ぎていく。
行軍中、夜営する度、随時、親戚が深夜に陣営に忍び込んでは報せをもたらしてくれる。
(やはり、カムロス平野、か)
小さな紙片を一瞥し、シェルダンは呑み込んだ。呑んでしまえば何の証拠も残らない。
(まだ、第1軍団が無事なうちに)
自分の分隊を率いつつ、シェルダンは焦っていた。
近づいて貰わないと報せる伝手がないというのに、かつてシオンから貰った後ろ盾のせいか、ゴドヴァンもルフィナも、クリフォードやセニアも誰も近づいてきてはくれない。
愚図愚図していると奇襲を食らう。
思いつつも、ついに第1ファルマー軍団と第3ブリッツ軍団とが合流した矢先のことだった。
「第3ブリッツ軍団軽装歩兵連隊第7分隊分隊長シェルダン・ビーズリーはいるかっ!」
見るからに上級将校と思しき騎乗の若い男が触れまわっていた。
意図と目的、相手が誰かも分からない。
(ゴドヴァン殿らなら直接に出向いて来るだろう)
シェルダンは思い、しばし様子を見ることとする。
「第1ファルマー軍団指揮官アンス侯爵の呼び出しである。居場所のわかる者は教えてくれ」
挙げ句、馬から降りて近くにいる歩兵たちにまで頭を下げ、頼み始めている。よほど必死なのだ。遅かれ早かれ見つかってしまいそうでもある。
「私です」
少し離れたところに移動してからシェルダンは声をあげた。
「そうか。アンス侯爵閣下が呼んでいる。一緒に来てくれないか?」
あくまで頼むような口調だが、そもそも自分に断る権利などないのだろう。
(ミズドラ砦のときの指揮官殿か)
シェルダンは思い出しつつなんとなく頷いた。あまり良い思い出のある相手ではないのだが。
「了解であります」
直立してシェルダンは告げる。
あからさまに若い将校がホッと安心した表情を浮かべた。
「そうか、馬には乗れるか?」
一頭しか連れていない。男2人で相乗りしようというのか。
「申し訳ありません」
いずれにせよシェルダンは馬に乗れないのであった。歩兵として生きていくつもりでいて、無意味な修練を積む余裕もなかったのである。
「分かった。構わない。私も馬を引いて歩く」
気さくに応じる将校とともに、シェルダンは徒歩でアンス侯爵のいる本営へと向かった。
途中、丁重にどのような用件での呼び出しかを尋ねたのだが、まったく分からないという。ただ相手の名前がベクトということだけは分かった。
「失礼しますっ」
一際大きな天幕へと至ると、将校ベクトが声を上げる。
「入れ」
いつぞやと同じく感じの悪い声とともに、シェルダンは中へと招き入れられた。
天幕の中には2名、アンス侯爵と遠目にしか見たことのない、第3ブリッツ軍団の指揮官シドマル伯爵がいる。穏やかな風貌をした、白髪混じりの男性だ。
「やっと来たか。待たせおって」
直立しているシェルダンに、偏屈そうな初老の男アンス侯爵が告げる。挨拶も何も無しだ。
驚くべきことにいそいそとベクトが背中を向けて逃げようとする。紹介すらしてくれないというのか。
「報告はせんのか?お前は」
ジロリとベクトを睨んでアンス侯爵が告げる。
「はっ、シェルダン・ビーズリーを連行して参りました!」
驚くべきことをベクトが叫ぶ。
自分は何か軍律違反をしたのだろうか。目まぐるしく頭を回転させるシェルダン。
「馬鹿者っ!罪人でもないのに連行などという言い方があるかっ!」
すかさずアンスが一喝した。隣のシドマルが苦笑いである。
「はっ、お連れしました!」
ベクトがすくみ上がって言い直す。今度は自分は出世した。
「王侯貴族でもないわいっ!馬鹿たれっ!」
アンス侯爵がもう一度、一喝してベクトを追い払った。
どうしたものか。とりあえずシェルダンは沈黙してアンス侯爵らが話し出すのを待つ。
「ふんっ、久しぶりだな。ミズドラ砦以来か」
驚くべきことにアンス侯爵に覚えられていたらしい。
顔に驚きも出てしまったようだ。
「ゲルングルン地方入りする前、スケルトンどもに我が軍は襲撃されていた。情けないことに対処法も知らず手を焼いていたところ、動きの良い分隊から倒し方を聞いて打開した、ということがあった。あれは貴様から寄越された分隊だったな?シドマル伯爵」
黙っていて正解だった。アンス侯爵が話しかけているのはシドマル伯爵だ。
「当初は1個分隊しか寄越さず、随分軽んじてくれるではないかと腹も立てたが。貴様の部下は良い仕事をしてくれたものだった」
まるで褒められている気がしない。もともと温厚であると評判のシドマル伯爵も言い返さずにいる。
「もっとも気付いたら勝手に現場交代していなくなっていたが。あぁ、分かっとる。誰を寄越すかは貴様次第だものな?だが、動きの良い若いのを一旦、寄越しておいて隠すなどとは随分ではないか、んん?」
皮肉たっぷりにアンス侯爵がシドマル伯爵に言う。
シェルダンには話の行き先がまるで見えない。
なんで呼ばれたのかすら、ここまでの話の流れではまだ分からなかった。ただ、スケルトンとの交戦時から自分が目をつけられていたなどとは夢にも思わない。
「こちらも決して余裕のある編成ではありませんので」
穏やかに笑って当たり障りのないことをシドマル伯爵が言う。ちらちらと窺うようにシェルダンを眺めてくるので、シドマル伯爵にもアンス侯爵の意図が分からないのだろう。
「ふん」
アンス侯爵が鼻を鳴らす。ジロリとシェルダンに視線を向けてきた。
「貴様、なぜ呼ばれたか分からぬという顔をしているな。まったく、とぼけおって」
今度はシェルダンに向かって言う。
(何の話だか本当に分からない)
ただシェルダンは戸惑うしかないのであった。




