271 出征〜ミルロ地方へ1
ルベントからの行軍は実に順調に進む。
(敵軍も魔物もいないってなるとこんなに楽なのか)
シェルダンはしみじみと思うのであった。
今は第3ブリッツ軍団の兵員として、ラルランドル地方を抜けて、更に西方、ミルロ地方へと駆けている。
カティアとの結婚式から5日後の出立であり、式後の3日間をシェルダンはゆっくりと共に過ごすことが出来て満足していた。
3日間の休暇の間、副官のハンターだけではなく、デレクとラッドの2人が組んで、よくバーンズの面倒を見てくれていたようだ。ロウエンの方は元々しっかりしている。
(今回もまた、必ず生きて帰る)
シェルダンは手首に巻いた、カティアからのお守りに触れて思う。妻から無事を祈られている。心の中のどこかで、こそばゆくも死んでたまるかという思いもこみ上げてきた。
(より、厳しい戦いを、俺の世代で終わらせるとしても。それは死んでも良いということじゃない)
たとえ、魔塔上層へ行くことを受け入れるとこととなっても、当然、死にたくはないのである。
現在は軍団の先頭付近で、旧国境のラトラップ川を越えて、ゲルングルン地方に入ったところだった。
「大丈夫か?」
駆けながらシェルダンはバーンズに声をかける。
初めての出征ながらよく走っているように見えた。ほんの数日だが、ラッドのおかげでうまく均整が取れたということだろう。
「こんなに色々背負うなんて、意外でしたけど、頑張ります」
バーンズからは元気の良い返事が飛んできた。
今は療養中の、もう一人いる若手からは悲鳴ばかりだったので、とても新鮮に感じられる。確かに軽装歩兵とはいっても、兵糧から装備から穴を掘る道具まで様々なものを背負う。
(やはり新兵っていうのは、こうでないとな)
なんとなくシェルダンは思い、頷いた。
「根性はありますよ、そいつは」
笑いながらデレクが割り込んできた。いつもどおりに必要以上の重装備を軽々と背負っている。部隊全体の備品など、もろもろの品々も請け負っているのだが、まるで苦にしていない。
「お前は走れない筋肉男に仕立てあげようとしただろう?」
すかさずラッドに指摘されている。こちらは通常の装備に加えて、鉄杖を背負っていた。腰には通常に支給された片刃剣を差す。だが、いざとなるとラッドが振り回すのは鉄杖が多いことをシェルダンは知っている。
いつの間にかラッドの軍服が新調されていることに気付く。丈があっているどころか新品ではないか。
話題にされたバーンズが少し居心地悪そうにする。
「もう軍服が支給されたのか?」
話しながら駆けるのも今のバーンズには辛いだろうから、部下でも親戚でもあるラッドにシェルダンは話を逸した。
(ただでさえ、他のアスロックから亡命してきた連中も軍に入ろうとしている中で、よく手配できたもんだ)
もともと要領のいい男ではあるが、流石に今はまだ事務方に伝手もないはずだ、とシェルダンは考える。
「デレクが素敵な女性を紹介してくれたからな」
ラッドが冗談めかして言う。
デレクがなぜだか照れ臭そうに頭を掻いた。
「素敵な女性?」
シェルダンは首を傾げる。
軍服と素敵な女性というのが頭の中でうまく繋がらない。女性のあしらいもアスロック王国時代からそつのなかったラッドなので、早速恋人でも作ったのだろうか。
「ナイアン商会のコレットさんですよ」
デレクが横から教えてくれた。
「ああ」
確かにコレット・ナイアンの敏腕ならば金さえ出せば仕事は早い。
シェルダンは納得した。ただ『素敵な女性』という言い回しに軽率なものを感じる。ラッドの場合、そこから言い寄りかねない。
「若い美人さんだが、しっかりした人だし、軍の協力者だ。粗相がないようにな」
一応、言い含めておくこととした。
ラッドとデレクが顔を見合わせる。2人揃ってため息をつく。何だというのか。
思い、戸惑っているとラッドに肩を軽く小突かれた。
「まったく、どっかの同郷人が朴念仁で野暮だから、第一印象が悪くなったんだぜ?」
ラッドが皮肉な口調で言う。どういうつもりかは分からないが、自分が朴念仁と言われているのだとシェルダンにも分かる。
「隊長、自分が結婚できたからって、んなこと言ってたら、部下はいつまでも誰も結婚できねぇって」
デレクにまで言われてしまった。確かに男ばかりの軍営では女性との出会いが限られている、という現実はあるが。
(なんで俺、二人がかりで部下から怒られてるんだ?)
駆けながらシェルダンは首を傾げるのである。
「おいっ、女の話ばかりしてんじゃねぇっ!走るのも仕事だ!」
とうとう先頭を走るハンターからも怒られてしまう。
「すんません」
ラッドとデレクがしれっと謝り、シェルダンから離れる。
「って、また隊長ですか」
振り向いたハンターが苦笑する。またも何も、ハンターに怒られることなど滅多になかったはずだ。
「あんた、まさか、同い年連中とふざけたいから、俺を副官に据え置きにしたんじゃ」
挙げ句、心外にしてとんでもない疑いをかけられてしまった。
「今のはラッドが悪い」
シェルダンは少し距離を取ったラッドを逃すまい、と名前を挙げてやった。軍の協力者に色目を使っているようなことを、言い出したのはラッドである。
「隊長殿、すいません」
悪びれずにラッドが言い、横を向いた。反省しているわけがない。
「隊長たちぐらいになると、ふざけながらでも行軍出来るんですね」
バーンズが汗だくで誰にとも無く言う。
「いや、隊長たちがおかしいんだ」
小さな声でポツリとロウエンがこぼすのも聞こえた。確かに他の分隊は走るのに必死であり、あまり雑談などは聞こえてこない。
(体力に余裕があるならな、こういうときにも話をしておいて意思疎通を円滑にしておいたほうが良いんだ)
苦笑してシェルダンは自分を正当化する。ましてや第7分隊は古株になっていたハンスとリュッグが揃って退役してしまったのだから。
現在はガードナーも離脱して、6人で活動せざるを得ないが、うまくバーンズも含めて纏まっているようにシェルダンは思う。
(まぁ、ガードナーのやつが戻ってくるとどうなるか分からんが)
またけたたましい悲鳴と雷鳴が響くこととなる。
「さて、今回は上手くいくかな」
シェルダンは口に出して呟く。
ビーズリー家としての仕込みである。カティアと新婚生活を楽しんでばかりいたわけではない。父レイダンを通じて、再びアスロック王国が次の戦で不利となるよう、手配をつけていた。
(上手く行けば、俺は勝ち戦でまた死ぬ確率が減る)
今、話している部下たちの安全もまた守りやすくはなるはずだ。
(それに何より、上手くすれば今度こそ)
シェルダンはゲルングルン地方を抜けたラルランドル地方とミルロ地方との境目付近の地勢を思い浮かべる。
(今度こそアスロック王国の軍を壊滅させることができる)
それは、亡きレナートの娘セニアを無下に取り扱ったことへの、最高の意趣返しになる。暗い歓びに束の間、シェルダンは浸るのであった。




