270 戦に向けて
アスロック王国の旧領土における前線からは、ガラク地方の制圧という分かりやすい戦果が届いているそうだ。
(国が湧き立っている)
兄である第1皇子シオンとの情報交換を終えて、第2皇子クリフォードは自身のルベントにある離宮へ帰ってきたところだった。
部屋着に着替えていると、正門から玄関へと向かって歩いてくるセニアが見える。クリフォードは急ぎ玄関へと向かった。
「おかえり。まだメイスンは?」
治療院からの帰りであることは分かっている。
クリフォードはセニアに尋ねた。
こうして見ると、黒いドレス姿の可憐な女性である。小柄なお仕着せ姿のシエラも従えていた。魔塔での凛々しい姿からはまた雰囲気が変わり、違った魅力を放つ。
「かなり無理をしてくれていたみたいで。瘴気も本当はあのとき、かなり吸っていて、動けるはずはなかったのに」
悄然としてセニアが言う。
最後の最後、セニアを助けるため猛然と剣を振るっていたメイスンの姿をクリフォードは思い出す。
(やはり、まるで兄か父親のようだった)
斥候としては問題があったものの、戦う男としては一流だった、とクリフォードも思う。自分には真似のできない戦い方だった。
(そして、セニア殿、寄り添い慰めて、が普通の対応だが)
クリフォードも、もうセニアという女性を理解しているのだった。
「だが、彼は生きている。まだ動けないがね。そして我々は生きていて、しかも動ける。出来ることをどんどん、やっていかなくてはならない。神聖術そのものの威力も剣術との合わせも、見ていて君はまだメイスンには遠く及ばない」
軽く、セニアの肩を叩いてクリフォードは告げた。
普通の令嬢ならば優しく肩を抱くところ、セニアにはこのほうが良いのだ。
「はい」
強張った顔でセニアが頷く。
ただ具体的には目下、できることは限られている。神聖術の教練書も既に新しい技はなく、次の巻もどこにあるのか分からない。
「今、思えば、ペイドランもメイスンも。それにガードナーも並外れた才能の持ち主だったね」
代わりにクリフォードは告げた。
クリフォードですら、自分がもっとしっかりしていれば、と忸怩たる思いを抱く。
「そういう人たちに助けられて、やっと魔塔3本を倒しました。彼らのおかげで。それなのに私達は無事で」
何か勘違いをさせてしまったようだ。意味のない反省をさせたいわけではなかった。
「いずれもシェルダンの部下だった」
クリフォードは意識してサラリと告げた。
セニアがハッとした顔をする。
(そうなると当然、じゃあシェルダン本人は、となるが)
兄のシオンからシェルダンの来訪があったことは聞いている。カティアが妊娠して、いよいよ正式に結婚するのだろうということも。
「シェルダン殿にも、また、迷惑をかけました」
魔塔崩壊直後の剣幕を思い出したのか、また悄気返ってセニアが言う。
(これは駄目だな)
クリフォードは苦笑して、たしなめるつもりでセニアの綺麗なおでこに軽く触れようとする。
今度はあえなく避けられてしまった。
「見出して、自分が上がらないまでも、協力してくれたシェルダンのためにも、今度こそ我々がしっかりしないとねってお話さ」
苦笑いを浮かべたまま、クリフォードは告げた。
「ええ、そうですね、そのとおりです」
握り拳を作って、気合を入れ直すセニア。
シェルダンへの精神的な頼りっぷり、メイスンへの態度を見ていて、クリフォードも悟った。
(セニア殿はまだ頼りなくて、自身を引っ張ってくれる男を求めているのだな)
だから、優しくすればいいということでは全くない。むしろ、戦う同志としての力強さを見せなくてはならないのだ。
(まだシェルダンのことは言わないほうが良い)
クリフォードはシェルダンの変化もまたシオンとペイドランから聞かされている。
極めて遠回しに魔塔攻略へ前向きであると伝えてきたのかもしれない、と。
(どうするのが一番良いだろうか。私は燃やすことにしか能がない。それしか磨いて来なかったことが、今となってはもどかしい)
難物のシェルダンである。迂闊な対応の仕方をすれば、また逃げられてしまう。どう進めたらよいのか。
「殿下はなんだか、だいぶ、変わられましたね」
ポツリとセニアがこぼす。
クリフォードは我に返った。
「え?なんだい?急に」
思わず聴き返してしまう。
「頼りない方だったのに、ガラク地方の魔塔から、なんだかとても頼りになって」
嬉しいことをセニアが言う。唐突だがあまりに嬉しくなって、クリフォードは抱きしめようとする。
「やめてくださいっ」
あえなく突き飛ばされて倒れてしまうクリフォード。腕力に差が有りすぎるのである。
「まぁ、ガードナーの影響かな?彼を見ることで、ね」
立ち上がりながらクリフォードは告げる。
頼りないながらも自分に出来ないことをしてくれる魔術師だった。自分が役に立てずとも、ガードナーに的確な指示を飛ばすと思いの外うまくいったのだ。
(自分が戦えずとも、やりようはあるのだ、と彼は教えてくれた)
クリフォードは思い、自分は何か大事なことを掴みかけている気がした。燃やす以外の解決策を何か思いつけそうな。
「そうですね、ガードナー君への対応、なんだかシェルダン殿を思い出しました。全然、似てなかったのに」
更にセニアが言う。なんとなく頷きながら、クリフォードは立ち上がる。
(あぁ、そうだ。シェルダンをどうやって、味方に引き込むかだった)
クリフォードは思考を戻すもやはり、具体的な解決策は思いつけない。
「あぁ、ゴドヴァン殿とルフィナ殿がいればな」
思わずこぼしていた。
2人ともガラク地方の魔塔を攻略してすぐに、疲れた身体をおして、アスロック王国の砦を包囲する第1ファルマー軍団と合流したのである。
「2人ともまた戦争へ」
セニアが呟く。戦う女性ではあるが、人同士ではなく魔物との戦いに尽力してきたのだ。人を斬ったことはあっても、抵抗があるのだろう。
「君は戦争が嫌いだものね」
クリフォードは微笑んで、そっとセニアの肩に触れる。
避けられなかった。最近では避けられることも減っている。
「好きな人なんて、いないと思います」
うつむいて小さな声でセニアが言う。
「もし、自分のせいと思っているなら大間違いだ」
魔塔を独力で崩せないことに責任を感じているのなら。
クリフォードは続けた。
「あの情勢では、いずれ、アスロック王国側から何かしらか挑発があっただろう」
現に散々セニア関係の愚にもつかない親書を送ってきたものだった。さすがに今となっては送ってこないが。
「殿下」
うるんだ瞳でセニアが見上げてくる。か弱く儚げな反応だが、自分よりも、よほど生き物としては強い女性だ。
「そしてあの兄だ。挑発には毅然として対応するだろう。つまり、一歩も退かず、戦争も辞さない」
クリフォードは細い、鋭い、怖い、と三拍子揃った異母兄を思い浮かべる。
「だから、君は後ろめたく思うことはない。君は君で、聖騎士として魔塔を攻略する役割に専念してくれ。それがひいてはこの国を助けることとなる」
少ししたかった話とはずれた。話し下手な自分をクリフォードは自嘲する。
また、話の路線を戻したい。
「だから、君の戦う舞台を、その障害となるものは私が焼き払う」
クリフォードは力を込めて宣言した。
「次のアスロック王国との戦には私も出るつもりだ。敵の魔術師がかなり手強いというからね」
ゴドヴァンたちから要請があった。断るわけもない、と既にクリフォードは第3ブリッツ軍団とともに前線へ向かう手筈である。
「それは、黒風の魔術師ワイルダー?殿下、かれは危険な手練です。私を捕らえたハイネルと同じぐらいの」
セニアが弾かれたように顔を上げて、心配の言葉をかけてくれる。
クリフォードとしては、セニアのハイネルに捕われた時に抱えた心の傷が痛ましいほどだ。だが、甘やかすとまた逆効果なのである。
「今、戦っている兵士のためでも、兄のためでも、仲間であるゴドヴァン、ルフィナ殿のためでもあるが」
クリフォードはセニアの顔を正面から見据えた。
「でも、やはり、私は君のために戦う。君を苦しめた祖国。今なお苦しめ、邪魔だてするなら容赦はしない。君の障害となるものは全て私が焼き払う」
自分が焼き払い整えた舞台で、セニアが聖騎士としての責任を果たせばいい。
だが、やはりセニアもまた、ただ守られるだけの女性ではないのだ。瞳に力が戻ったのを見てクリフォードは気付く。
「では、私も行きます」
セニアがたおやかに微笑んだ。している話はひどく物騒だというのに。紫がかった瞳は優しく、引き込まれるようだ。
「魔塔のときと同じです。相手は人間ですけど。私が殿下に襲いかかる敵から、攻撃から守ります。殿下は安全な中で存分に魔術を振るってください」
ふとクリフォードは思った。
本当に自分はセニアの美しさに一目惚れしたのだろうかと。
(私の方こそ対等な実力で、ともに肩を並べて戦ってくれる相手を求めていたのではないか?)




