269 ガラク地方制圧
敵将レパルトがとうとう降伏勧告を受け入れた。
奇しくもちょうどシェルダンとカティアの結婚式当日だったのだが、当然、知らされていないゴドヴァンらには知る由もない。
(有能は、とても有能なんだけどな)
ガラク地方の魔塔攻略直後、アスロック王国との戦闘に備えるため、砦攻略中の第1ファルマー軍団と合流したのである。
「思ったより早かったな」
陥落した砦の壁を見上げて、ゴドヴァンは隣に立つアンス侯爵に告げる。第1ファルマー軍団の指揮官だ。
(直接、戦ったら、かなり手強かったんじゃないか?)
砦は小高い丘の上に建てられ、高い城壁で囲まれている。おまけに中の兵士の士気も高いとあっては、力攻めを敢行した場合には、かなりの犠牲が出たことは明らかだった。
故に無理をしないアンス侯爵が選んだのは兵糧攻めであり、本来ならばもっと長期戦化していただろう。
「ふん、貧しい国の軍が痩我慢などしおって。土台、長持ちするわけもない。我々の手を無意味に煩わされた、違いますか?んん?」
怒った顔でアンス侯爵が言う。
言っている内容はともかく、アンス侯爵の機嫌が悪いということだけは、ゴドヴァンにもよく分かった。機嫌が良いときなど、ついぞ見たこともないのだが。
「上がおかしいと、下が大変な思いをする。どこも一緒ということですな」
さらにアンス侯爵が誰のことを本当は言いたいのか、と勘繰りたくなるようなことを続けた。一応、アンス侯爵の上にいる、というのは自分のことなのである。
敵兵の大半は飢えに弱りきって、足腰も立たない者ばかりだ。闘志だけは当初、十分にあったらしい。
抵抗も頑強だったというが、気持ちばかりではどうにもならない、こともある。物資もない国が長期戦など出来るわけもなかった。
「だから、あなた方はしっかりしてください」
アンス侯爵が顰め面で言う。
やはり自分たちへの苦情だった、とゴドヴァンは苦笑いだ。
「俺も下の側だ」
ゴドヴァンは笑って告げるも、返事をもらえなかった。
ただじとりと感じの悪い目で睨まれるばかりである。
(こいつめ)
実は有能、ではなかったなら、とっくの昔に殴り倒しているところだ。
「侯爵閣下、失礼します!」
活気のある声で若い将校が声をかけて直立する。
「捕虜の扱いについてはいかがしますか。飢えて弱っている者ばかりですが」
砦のアスロック王国の兵士1500人ほどが捕虜となった。指揮官のレパルドが『自分の命と引き換えに助けてもらいたい』などと言っていたが。
『一兵卒に毛が生えたやつの首に何の価値があるのだ、見縊りおって』とのアンス侯爵からの助命嘆願もあって、武装の解除だけを行った。ゴドヴァンも了承済みだ。
「降伏して、武装解除にも応じている以上、飯は食わせてやるしかないだろう、自分で分からんのか、まったく」
アンス侯爵にどやされて、若い将校が駆け去ろうとする。
「ちょっと待てっ!」
険しい顔でアンス侯爵が若者を呼び止めた。
「はっ!」
足元から火花が出そうなほどの勢いで将校が急制動をかけて立ち止まる。
「くれぐれも急に一気に食わせるな。貴様らみたいに元気だけが取り柄の若造とは違う。煮てふやかした物を1日かけてゆっくり食わせろ。長い飢えの後、急に食わせると最悪、死ぬからな」
やはり見るべきところはよく見ているのが、アンス侯爵という男だった。
「な、なるほど。分かりました!」
アンス侯爵に尊敬の眼差しを向けてから若い将校が走り去る。
「まったく、こんなもの、教えごとですらないというのに。若い連中はまるで物を知らん。そうは思いませんか?んん?」
ブツブツグチグチネチネチ、とアンス侯爵がゴドヴァンに文句を言う。
ゴドヴァン自身のことも、いない場所ではそっくりそのまま似たようなことで、散々に罵っているのが丸わかりだ。
言葉ではなく、ゴドヴァンはただ苦笑いを返した。
「しかし、敵軍はどうしたものやら。ここまで取られてもなお、出てこないとでも?ハイネルやらワイルダーやらは何をしているので?」
本当に状況を把握しているのか、と言わんばかりの顔でアンス侯爵が言う。
感じは悪いが浮ついてもいない。考えようによっては悪態ですら心強く感じられる男だ。
「どうも、アスロック王国軍ばかりを狙う賊徒にわずらわされてるらしい。あの国もいよいよだな」
代わりに把握している情報をゴドヴァンは告げた。もしかするとアンス侯爵も既に知っていることかもしれない。
「ゴドヴァン騎士団長殿は不自然なものを何も感じないようですな」
更にアンス侯爵がゴドヴァンの発言を無視して続けた。
「なに?」
さすがに興味を引かれてゴドヴァンは聞き返した。
「ゲルングルン地方では、聖騎士セニアを秘匿で拉致しようと画策して失敗。ラルランドル地方では、戦わずして敗戦」
アンス侯爵の眼には怜悧なものが宿っていた。こういうときのアンス侯爵は本当に油断ならないのだ。
「何が言いたいんだ?アンス侯爵?」
改まってゴドヴァンは尋ねた。
「少し気になりましてな。聖騎士セニアをハイネルら重装騎兵から助けた者は不明。さらにはラルランドル地方の合戦では信号弾の誤射をした者がいる。しかし、これも不明」
何もゴドヴァンが分からぬと見るや、ニヤニヤと笑顔を作り出すアンス侯爵。
「まさか誰だか分かってんのか?お前は」
驚いてゴドヴァンは尋ねた。実戦の傍らそんなことを調べ上げていたというのか。
「騎士団長殿が魔塔攻略に忙しげにしてましたからな。お暇なら当然していたであろうことを、しておきました」
皮肉たっぷりにアンス侯爵が言う。暇だったとしてもどうせしていないだろう、と遠回しに皮肉っているのだ。
「誰なんだ?そいつは」
ここぞとばかりに並べられる嫌味にうんざりしてゴドヴァンは尋ねた。
「さて」
とぼけてアンス侯爵が首を傾げた。
「おい」
意図的に情報を隠すのはいただけない。ゴドヴァンは声を荒げた。
「なに、他所の軍団にちょっと動きの良い若手がいて、元々気にかけていた。若い中でも多少はマシ程度ですが。他国人だったのでね、どうしようかと思っていたが、いやはや」
どうやらゴドヴァンに情報を与えることは三の次であり、皮肉を言うのは二の次だったらしい。
本音は諸々の事柄から有能な人物に行き着けた、という自身の慧眼を自慢したいようだ。
(こりゃ、こいつ、教える気ねぇな、くそ。命令すりゃ吐くんだろうが)
負けたみたいで嫌である。ゴドヴァンは忌々しくなった。
「ハイネルやワイルダーもさすがに次は出てくるだろ。しかも、俺の首を狙ってだ」
代わりに無理矢理ゴドヴァンは話を戦に戻した。
ハイネル率いる重装騎兵隊の突破力は侮れない。そこへワイルダーも加わってくれば必然的に激しい戦となる。
「では、私はその備えをせねば」
のっしのっしと、アンス侯爵が歩き去る。
「まったく、分かっているなら自分で指示出しの1つぐらいするものだ、若造め」
小声で文句を言いながらも一応、自分で警戒を促しに行ってくれたようだ。
「大剣を振り回すしか能がないのだからな」
耳が良いゴドヴァンはつい、アンス侯爵の愚痴も拾ってしまう。おそらく、聞こえているのは自分だけだ。こういうときに聞き咎めるのは器の小ささを露呈するだけだ。
(まぁ、アンスのやつは俺には聞こえるって、分かってて言っているんだろうがな)
砦の中は忙しくもどことなく、再びの勝ち戦に喜んでいる雰囲気が漂っていた。
魔塔攻略に功績を挙げた第3、第4軍団に、第1軍団としては『負けたくない』とどこか思っていた気配もある。
「皆、嬉しそうだけど、こういうときこそ、足元を掬われないようにしないとね、ゴドヴァン騎士団長?」
鈴を転がすような声。たおやかな笑みとともにルフィナがあらわれた。治癒術士の部隊は今はむしろ投降した敵兵の介護に忙しいようだ。
対アスロック王国という側面では魔塔攻略後のほうがむしろ危ない。ゲルングルン地方のときと同様、2人で急ぎ合流したのであった。
「あぁ、さすがに次は死にものぐるいで来るぞ」
低い声でゴドヴァンも応じた。
「今回はハイネルとワイルダー、手強いのが2人とも揃う」
ルフィナも、この2つの名前には顔をしかめる。
氷の魔槍ミレディンにはゴドヴァンでも手を焼く。
「あの坊やたちが、敵の指揮官なんてね」
アスロック王国時代から名前は知っていた。当時は2人ともまだ子供だったので感慨深いものがある。
「相手は魔術師だから、クリフォード殿下の協力もあおぐ。応援の第3ブリッツ軍団と5日後には出発するそうだ」
ゴドヴァンはルフィナに告げる。第3ブリッツ軍団と聞いてルフィナが複雑な表情を浮かべた。
「そう」
ルフィナが少し迷った顔をする。
「なら、シェルダンも一緒ね」
少し迷った末に結局ルフィナは、言葉に出した。
傷ついたガードナーとメイスンを目の当たりにしてから、第1軍団と合流するまでの道中、話し合っている。
「あぁ」
ゴドヴァンは頷く。
今でも瘴気に呑まれて負けると覚悟したときの悔しさ、ルフィナを失いかけた恐怖がよみがえる。
「次はもう間違わないし、遠慮もしない」
シェルダンに代わり、たとえ消極的でもメイスンを受け入れた責任は自分にもある。
ルフィナが力付けるように頷いてくれた。
「何としてでも次は、シェルダンに上ってもらう」




