268 結婚式〜シェルダンとカティア
結婚式当日をシェルダンは迎えた。
シェルダンとカティアは、かつて2度に渡ってハンスたちと居合わせてしまった、思い出のある聖教会を式場に選んだ。ルベント南部にある、川沿いの教会である。中央教会ほど大きくはないが、風情のある、若者に人気の教会だ。
(ついに、自分にもこんな日が)
シェルダンはまだ準備中のカティアを控室前で待ちながら感慨深く思う。一歩一歩、2人で丁寧に関係を深め、進めてきて今日に至る。そんな印象を自分たちの今までに対して持っていた。
(最後だけは駆け足になってしまったが。それも、喜ばしいことが理由だから後悔はない)
後悔はない、と言い切れるだけ自分は幸せだ、とシェルダンは思うのだった。
「新婦様の準備が整いましたよ」
控室の扉が開いて、中から女性の神官と花嫁衣裳を身に纏うカティアが現れた。純白のドレスに肌の白さが際立つ。つくづく自分は果報者だと思わされる。
「とても、キレイだ」
シェルダンは半ば呆然として、美しすぎるカティアを見て声を漏らした。
「良かった。そんなふうに手放しで言ってもらえて」
カティアが恥ずかしがるように俯き、優雅な仕草で隣に立った。
「本当に夢みたい。こんな幸せな日が来るなんて」
自分が思っていたのと全く同じことを言うカティア。
自然と笑みが溢れてくる。婚約してからも自分を理解し、背中を押してくれることが何度もあった、素敵な女性だ。
「俺も同じ気持ちだよ」
シェルダンはカティアと腕を絡ませる。これから、晴れ姿でもって、親族の待つ礼拝堂へ行き、見守られながら結婚の申請を神に捧げるのだ。
(もしも、出会っていなかったら)
シェルダンはちらりと考える。恋愛など出来ないまま、セニアらの魔塔攻略に巻き込まれ、うんざりしながら味気のない結婚を、別の誰かと我慢してしていたのだろうか。
(あなたのおかげで、俺は本当に今、幸せで楽しいのですよ)
口では親しみを込めて呼び捨てにしたり、普通の話し方をするようになった。
それでも心の内では、丁寧な口調で語りかける。カティアへの感謝と敬意を失いたくないのであった。
(この気持ちを抱いていられれば、俺はずっとカティア殿を大切に思い、大事にしていける気がする)
本気でシェルダンはそう思っている。
「アスロック王国から亡命して、祖国を捨てた身で、こんな幸せを手にできるなんて、思ってもみなかった」
シェルダンはカティアのきれいな肩の線を見下ろして告げる。見れば見るほどカティアの美しさの際立つ衣装だ。
自身もまた、軍服に肩章などという出で立ちを、カティアに許しては貰えなかった。きちんと黒い燕尾服でビシッと決めている。
「本当に私も。家が没落して、でも負けるもんかってやってきて。その果てにこんな日が来るなんて。お腹には赤ちゃんもいて」
うっとりとカティアも自分を見上げてから、自らのお腹をそっと撫でて告げる。
貴族の身でありながら、家が没落した惨めさなどシェルダンには想像するしかないことだった。いつも事もなげにしっかりしているようでも、少女の時には衝撃も大きかったのだろう。
「それにしても」
いたずらっぽく笑って、カティアがそっと、シェルダンの腹を指先で突く。
「今日はつけてないのね」
衣ずれの音にカティアが笑顔のまま言う。いつものような金属音はしてこなかった。
「大切な日だから。無粋はちょっと」
苦笑してシェルダンは告げた。
鎖鎌のことだ。たとえ貴人の前であろうと、いつもはつけているものの、さすがに自身の結婚式ではつけたくはない。ペイドランとイリスの時には隠し持っていたのだが。
ゴホンッと咳払いが聞こえた。
「仲のよろしい、本当に素敵な男女の門出を取り仕切れて、恐縮至極、嬉しい限りですが。ご家族たちがお待ちですぞ」
髪に白いものの混じった、小肥りの神官が温かな笑みを浮かべて立っていた。
放っておけばいつまでも惚気け続ける、と判断されてしまったようだ。シェルダンはカティアと顔を見合わせて笑ってしまった。
神官に導かれるまま、2人で礼拝堂へと向かう。一度、聖教会敷地内ではあるものの、屋外に出ることとなる。
(いい空だ)
シェルダンは晴れ渡る青空を見上げて思う。アスロック王国時代、軍務の中、幾度となく瘴気で曇る空を眺めては暗澹とした気持ちになったものだ。
古びた茶色い扉の前に立つ。
「では、時間です」
本当にひと呼吸だけ整えると、すぐに神官が宣言する。
自分とカティアが待たせてしまっていた分、本当に時間が押していたのかもしれない。午後も神官たちは二組ほどの式を執り行うのだという。
(また、参りました)
内心でシェルダンは神に告げた。
北向きに建てられ、北から入ると、炎と光を象った御神体が祀られている。
両側に設けられた参拝者用の椅子、それぞれの家族が立っていた。ペイドランのときと違い、人数は少ない。合計で5人だけ、それでも心の底から大切な、そして間違いなく血のつながりのある親族だ。
シェルダンの両親とカティアの両親、それにカディスの5人である。
「おめでとう、本当にどうなるかと思っていたが」
父のレイダンが言う。厳しくもビーズリー家として自分をしっかり仕込んでくれた。今でも親族関係では自分を助けてくれている。
息子が結婚し、孫をなすこと。レイダンにとっても悲願だったはずだ。隣に立つ母のマリエルに至っては自分とカティアを見て、嬉し泣きにむせび、言葉も出てこない。
「良かった、カティア。幸せになってくれて、本当にすまなかった」
カティアの父ラウテカも、娘の手を握って喜んでいる。
式の進行が止まってしまい、神官に睨まれているが。
当然、シェルダンも咎めようという気にもならない。
(何も障害なく、大事なご長女と私との結婚を認めて下さり、ありがとうございます)
内心でシェルダンは義父に頭を下げた。
「隊長、姉さん、おめでとうございます」
かつての自分の部下にして、とうとう間違いのない義弟となったカディスが言う。
「うふふ、いろいろあって。ここまで来て、でも、あなたが弟で、本当に良かったって思う」
可愛らしい物言いをカティアがする。つくづく仲の良い姉弟であり、一人っ子のシェルダンは羨ましく思った。
「まぁ、いろいろ、貸しだからね。いつか返してよ」
苦笑いしてカディスも返した。
自分の知らないところで、何かカティアがカディスに借りを作ったのだろうか。
「うん?どうした?我々夫婦の借りなら」
シェルダンは急いでいる様子の神官を無視して尋ねる。聞き捨てならない。
こういうやり取りもまた、結婚式ならではの醍醐味なのだから。
「いえ、義兄さん、何でもないです!本当におめでとうございます」
カディスが露骨に誤魔化した。いつか機会があれば追及してみよう、とシェルダンは決める。
「ええ、あなた、この子、大したこともしてないのに、いつも恩着せがましいの。本当によく気をつけてね」
カティアもたおやかに微笑んで言う。カティアが言うのだから本当に大したことはないのだろう。恩着せがましいのはいつか矯正してやるしかない。
とうとう、またコホン、と咳払いをされてしまった。
「本当に仲のよろしい方々で羨ましい。ですが、こちらもまた進行がありますので」
釘まで刺されてしまう。
シェルダンとカティアは素直に頷きあって、神官に続き、御神体の前で跪く。神官がさりげなく御神体の傍らに立つのを待って、2人は神に今日という日が迎えられたことの喜びと感謝を捧げる。
(今日は、自分の幸せを追求し、そして至ることの出来た日だ。一族への責任とはまた別に、自分の人生は進むってことだ)
シェルダンはその幸せを噛み締めていた。
やがて、御神体が七色の光を発し、晴れてシェルダンとカティアは正式に夫婦となったのである。




