265 第4次第7分隊〜バーンズ3
狭い店内、左右両側からはせり出すように棚が迫っている。縫製問屋であるナイアン商会、店舗内だ。縫製問屋ということだから、棚の中には布地や糸などが納められているのだろう。
「いらっしゃい」
最奥のカウンター向こうに座る赤毛の女性が声をかけてきた。ぱっちりした瞳の可愛い、若く、整った顔立ちの美人だ。年も自分やデレクと同い年ぐらいではないか、とラッドは思う。緑色を基調としたドレスがよく似合っている。
「って、デレクさん?あなた、また大暴れして軍服が破けたの?」
美しい眉を上げて、女性が咎めるような声を出す。どこかうんざりしたような口調だ。どうやらデレクがこの店に来るのは結構な頻度らしい。
「いや、その、コレットさん、今回は」
デレクが緊張しきった顔で縮こまる。耳まで真っ赤だ。どうやらこの、赤毛の美人がコレットらしい。
(なるほどねぇ)
デレクの様子を見て、ラッドはニヤリと笑ってしまう。見た目によらず初心な反応をしているではないか、と。鉄球を振り回しているのと同じ人物とは思えない。
「あら、その灰色の髪。アスロック王国の方?」
対して、コレットが自分には嫌な顔を向けた。
ラッドは心のうちで身構える。
どこの国にも移民嫌いはいるのが現実だ、と頭で理解はしていた。だが、まさかデレクに連れられた店でアスロック王国人嫌いに出くわすとは思わなかったのである。
「ええ、私は軽装歩兵のラッドです。このデレクとは同僚でね。アスロック王国の出身で間違いありません。あまりに暗い国なんで亡命してきました」
内心の不安を押し殺して、にこやかにラッドは自己紹介する。デレクの心象が悪くならないように、との配慮だ。
当のデレクはただ惚れ惚れとコレットに見入っている。
「私、アスロック王国の、特に軍人の御方には良い思い出が無いの」
そっけなくコレットが言い、横を向いた。
「こっちの気も知らないで、いつまでも他人行儀で」
ブツブツとコレットの呟きが聞こえてくる。
デレクの知り合いで、他にアスロック王国出身といえばシェルダンのことだろうか。
なんとなくラッドにもピンと来た。
(まったく、あいつも罪作りな奴だ)
シェルダン自身も知らぬ間に、目の前のコレットを失恋させたのだろう。
アスロック王国時代から女性に人気のある男だった。見た目がよく、性格も真面目、生活態度も堅実と来れば、かなり安心できる相手なのだろう。
(だが、当の朴念仁はいつもまったく気付かないときたもんだ)
ラッドも横で見ていて焦れったくなるときもあったのだが。シェルダン本人が父親と同じくお見合い結婚をするのだ、などと言っていたので放っておいたのだった。
「こんな美人を放っておいた男でも、アスロック出身者にいましたか?俺には理解出来ないな」
あえてとぼけた顔でラッドは告げて、カウンター越しにコレットを見つめる。神官見習いの修行中にはまず許されなかった行為だ。
「ま、お上手ね」
ポッと頬を赤らめてコレットが言う。表情の動き1つとっても可愛らしい女性だ。デレクが見惚れるのもよく分かる。「世辞は苦手でね。本音ですよ」
そっと、コレットの手を握ってラッドは言う。
てっきりコレットに気があるのかと思ったデレクだが、どうやら違うようだ。シェルダンに忠実なのは数日で分かった。シェルダンに惚れていた女性を口説こうと言う発想を持てないようだ。
「実は、亡命してきて軍に入れてもらったはいいが、軍服が小さくて。ちょっと繕ってもらいたい、とお願いがしたくて」
ひたすら見惚れ続けるデレクを他所に、ラッドはコレットに告げる。
(本当に何をしに来たんだ、デレクよ)
また別なときにどういう存念なのか、トサンヌあたりで聞いてやろう、とラッドは思った。
「あら、確かにそれじゃ、どんなに格好良くても台無しだわ」
冗談めかしてコレットが告げる。自分との会話を楽しんでくれるなら僥倖だ。
「はは、そっちの方こそお上手だ」
ラッドは混ぜっ返してやった。
それから楽しく語らいながら、ラッドはコレットに採寸してもらう。
3日で仕上げる、とコレットがにこやかに言うのを、ラッドも嬉しく聞いた。さすがに3日ということであれば、戦にも間に合うことだろう。
「助かったよ」
帰り道、ラッドはデレクに告げた。2人とも寮住まいなのである。
「いやこっちこそ、良い機会だったぜ。コレットさんはいつ見てもキレイだ」
未だに惚れ惚れとした顔でデレクが言う。
(ダメだ、こりゃ)
苦笑しつつ、ラッドは軍営に着くとデレクと別れる。
本当に見ているだけで満足してしまったらしい。気のいい男なのだ、と思えてラッドは親近感を覚えたのだが。
やはりまだ訓練の方針には口を出してやることは出来なかった。
「おら、バーンズ、どうした!もっと根性を見せろ!」
翌日もデレクがバーンズに激しい訓練をつけていた。むしろ昨日よりも激しいぐらいだ。コレットを見つめていた事で、何か力でも得たのか、と思うほど。
(やっぱりまだ、筋力強化って段階じゃ。まだ若いんだから。身体壊しちまうぜ)
神官になるため、医学も齧っていた。身体を作るのもとても大事だが、そればっかりというのもよろしくはない。
腕立て伏せをさせられていて、バーンズが汗だくである。翌日には、また激しい筋肉痛に襲われることだろう。
少し泣きそうな顔のバーンズの精神面も心配になった。
「式をやってすぐに、遠征となるだろうな。まったく、魔塔なんてなけりゃ、カティアともゆっくり過ごせるんだが」
ラッドに適切な訓練を施しつつ、シェルダンが呟いた。
さすがのシェルダンも自身の人生における、最大の晴れ舞台を前にして、バーンズに気を向けてやれないでいる。
副官であるハンターもまた、やきもきしながらデレクとバーンズへ時折、視線を向けていることにラッドも気付く。
(意図は分かるがさすがに)
もう一人の若手であるロウエンも当てにはならない。どちらかというと大人しく、自身の訓練を黙々とこなすことに集中しているようだった。
「まったく、シェルダン、このままじゃ、バーンズのやつ、駄目になるぞ」
ラッドは助け舟を出すことにした。
すぐにシェルダンもラッドの言いたいことに気付いたようだ。デレクとバーンズを一瞥して悄気げたような顔をする。
「そうか。俺は許容範囲だと思っていたが。デレクなりに抑えているのも、俺らは分かってしまうからな。もともとは私生活にまで介入しようとする奴だったらしい」
残念そうにシェルダンが言う。見てはいてもなお、問題だとは思わず、デレクに任せてやりたい、となったのだろう。
「まだバーンズのやつは相当若い。ロウエンなんかの世代とはまた別だ。俺らみたいなのが、気を回してやんないとな」
ラッドから見れば、今のシェルダンもデレク程ではなくとも十分に厳しい男であった。
「俺から上手くやっといてやるよ。デレクのやつもバーンズも接してみると良い奴だからな」
昨日のそれぞれとのやり取りを思い返してラッドは言う。
「俺とハンターから」
責任感の強いシェルダンである。内心では今頃、自分の失敗だと自責しているのだろう。
「それだとデレクが間違ってるみたいになる。それも違うだろ。あくまで程度の問題で。隊長でも副官でもない俺から、してやれることもあるさ」
笑ってラッドは言い、早速、一肌脱ぐことを決意するのであった。




