263 第4次第7分隊〜バーンズ1
アスロック王国では、神官或いは神官の見習いから一般の職に就くことを『俗落ち』と呼んでいる。まさにラッドもまた俗落ちした、元神官見習いだ。
(信仰心はあったさ、だが)
他国とはいえ軍営にいて居心地の良さを覚える自分を、ラッドはしっかりと認識している。自分は根っからの軍人であり、どこか荒々しい人間なのだ、という自覚でもあった。
「し、しんどい」
汗まみれの顔で呟くバーンズに、ラッドは笑顔を向けた。線の細い印象だがデレクのシゴキにも初日からよく耐えている。もう入隊して4日目が過ぎた。
結局、自分は軍隊にいるほうが神殿にいるよりも肌にあっているのだ、とこういう時につくづく思う。
(軍にいるときは神殿の静かさを、神殿にいるときは軍の賑やかさを思い出しちまう。俺も浅ましいな)
自嘲しつつラッドは、バーンズに濡れた冷たい布を渡してやる。
「ラ、ラッドさん。どこも軽装歩兵ってこんなにキツいんですか?」
冷たい布を顔に当てて、生き返ったようになったバーンズが尋ねてくる。年長の上、軍人としても先輩だが、同時入隊であるから話しやすいのか、バーンズも自分には遠慮なく尋ねるのだった。
「いやぁ、この分隊はかなり厳しいほうじゃないか」
のんびりした口調でラッドは応じる。
デレクとかいう男の影響なのか。アスロック王国時代、敵には苛烈だが部下にはのんびり構えていた印象のシェルダンも、輪をかけて厳しくなっていた。
「ちょっと確認しただけでも、他所の分隊の2倍は筋力強化訓練をやってるな」
ラッドは肩をすくめて言う。噂はちょっとしたところからだけでも、いくらでも聴けるのだ。
(分隊規模の訓練が多いせいもあるんだろうが)
シェルダンら第7分隊の所属する第3ブリッツ軍団は魔塔の魔物相手の戦いが続いていたせいか、現在も集団戦の訓練にあまり時間を費やしていない。
集団での動き方の確認、号令のかけ方などもしていれば、バーンズのような新兵にとっては良い息の抜きどころになっていただろう。
(しかも無駄にはならない訓練でもあるし。人間相手の戦にまったく出ないわけではないんだから。筋力強化訓練に比重を置きすぎるのも、バーンズのために今はどうか、と思うがな)
ラッドは訓練終了後にもなお、自主訓練を続けるデレクを一瞥する。自己研鑽は申し分ないが、人を引っ張っていくのが苦手そうに見えた。
「そんなぁ、とんでもない分隊にいきなり」
バーンズが情けない声を出した。
「ついていけばシェルダンの奴は間違いない奴だから。めげずに頑張れ」
軽く肩を叩いて、ラッドは元気づけてやった。唯一癪なのは、ラッド自身も体の各所が筋肉痛を訴えていることだ。かなり鈍っている。
叩かれた痛みに顔を歪めるバーンズと、笑ってラッドは別れた。
時折、立ち止まっては屈伸して身体をいたわりつつ、ラッドはシェルダンの執務室へと向かう。
「忙しそうだな」
ノックもせずに開けっ放しのドアに寄りかかってラッドはシェルダンに告げる。アスロック王国時代から気のおけない友人にして、親戚だった。
(こっちじゃ残業も余分な魔物との戦闘もない、か。良いねぇ)
生真面目なシェルダンが早くも紺色の上下に着替えて、帰宅しようとしている。アスロック王国時代には想像することすら出来なかった、シェルダンの姿だ。
「式までに日数がない。すぐにカティアと合流して教会へ打ち合わせに行かねばならない」
肩をすくめてシェルダンが言う。苦笑いだが、幸せそうで羨ましい。任務のような話し方すら微笑ましかった。
(あぁ、俺ももう、誰かと結婚してもいいんだよな。もう神官になるわけにゃいかねぇし)
なんとなくラッドも思うのだった。だが、残念ながら相手がいないのである。
「式自体は両親だけの参加だろ?」
ラッドは自身にとっても他人事ではないので確認する。
元来、スタックハウス家も含めてビーズリー家の分家筋が参列することはない。恐ろしい人数になるからだ。
(本家が破産しちまうもんな)
心のうちでラッドは苦笑する。
本家とはいえ、決して裕福ではないビーズリー家の財政を思う。
「最初はもう少し広げるつもりだったが、忙し過ぎる。断念した」
淡々とシェルダンが答える。何やら必要な持ち物の確認をしていた。
(相手は没落したとはいえお貴族様なのに、こっちのやり方に合わせさせるのか)
ラッドは苦笑した。シェルダンだけではなく、カティアなる美女もシェルダンに対して首ったけなのではないか。身内だけしか呼ばない、後日に分家筋が随時訪問する、というのはビーズリー家側のしきたりだ。
「理解のある女性なんだ。言っただろ、素晴らしいって」
シェルダンがラッドの苦笑の意味に気付いて憮然とした顔をする。
「へいへい、分かったからやめてくれよ。酔っ払って泣きながら惚気話するの」
再会してから聞かされるのは、いかにカティアなる女性が素晴らしいのか、自分が果報者かということばかりだ。
(再会した時期が、悪かったな)
女性に入れ込むことのほうがシェルダンには珍しいことくらい、ラッドも知っている。本人にその気があればアスロック王国にいる内に結婚できていたはずなのだ。
「そんなことより、別の話をしたいんだよ。分隊のことでな」
ラッドは急いでいるシェルダンを引き止めに来たのだった。
分隊と聞くや、時計をちらりと一瞥し、シェルダンが身支度を中断する。長くなければ構わない、ということなのだろう。
「デレクってやつは、あれでいいのか?」
ラッドは簡潔に尋ねた。新兵のバーンズに対しても筋力強化訓練ばかりである。出征が近く、いきなり初陣となりかねない若者にどうなのか、ということだ。
「間違ったことはしていない。程度と順番はともかくとして、な」
シェルダンも肩をすくめて言う。
(ハンターって副官ともども様子を見てやがるのか)
ラッドもシェルダンたちの意図を理解した。バーンズだけではなくデレクも育てたいのだろう。ハンターの次に副官を、ぐらいに考えているのではないか。
いくら忙しいとはいえ、分隊など軍務のことまで省みなくなるシェルダンではない。
「もう、この分隊の中心になりつつある。俺が何でも頭ごなしってわけにはいかないし。俺が忙しいこのときに、お前が赴任してきたんじゃないか」
笑ってシェルダンが言う。親戚とはいえ自分を当てにしすぎだ、とラッドは感じた。
「俺だって、バーンズのやつと同じく新人なんだぜ?」
だから一応ラッドは釘を刺しておくこととした。
「3人離脱して、新兵と一緒にお前が来たんだから、3人分は働け」
とんでもないことを言う分隊長である。せめて2人分か言葉尻だけでもいいから1人分としてほしい。
ラッドはため息で返した。
「だから、デレクとはお前もよく話してやってくれ。あれで良いやつだし、腕も立つ」
シェルダンが笑顔で頼み込んでくる。そしてもう一度、時計を一瞥すると今度こそすれ違い、部屋を出ようとした。
「見てりゃ分かるよ」
立ち去るシェルダンの背中にラッドは言ってやった。
副官はハンターだが、腕前の面ではシェルダンの次がデレクであることぐらい、見れば分かる。
(問題はヤツが阿呆ってことか)
少し話しただけでも、何も考えていないと分かる男だ。豪快で人間味もあるようだが。
クック、と笑いながらラッドは練兵場へと戻るのだった。




