26 聖騎士の決意
闇雲に剣を振ることを、セニアは止めた。
カティアから渡された、聖騎士の教練書に目を通す毎日である。
教練書をカティアから渡された当初、一体どのようにして入手したのかを、気になって尋ねてしまった。極めてそっけなく『そんなの知りませんわ』と答えられて、それ以上追及出来なくなったのだが。
(知らないわけがないと思うのだけど)
今は雑念を払って、離宮の庭園の隅、芝生の上で瞑想をしている。かつてシェルダンが平伏を繰り返した場所だ。近くの四阿ではカティアがのんびりと書き物をしている。
「セニア殿、こんなところにいたのか!」
ドレシア帝国第2皇子クリフォードが駆け寄ってくる。
皇都にて、ゴドヴァン騎士団長に敗れてから、クリフォードのことをわずらわしいと感じている自分に気づき、セニアは戸惑ってもいた。世話になっている身であるのに、と。
「殿下、お願いです。瞑想の邪魔はしないでください。あれほど申し上げましたのに」
セニアは目を開けて、芝生の上から立ち上がって告げる。
かたわらで何やら書き物をしていたカティアがプッと吹き出した。
一時、カティアとの関係も相当に悪化してしまった。というよりも一方的にセニアがカティアに嫌われてしまったのだが。
(本当になんだったのかしら。とにかく凄く怖かった)
原因は未だに分からない。ただ、事ある毎に視線だけで人を殺せるのではないか、と思えるほどに睨まれていた。
「法力という、神聖術を使うのに必要な力を向上させるのに重要なそうですわ、瞑想」
くすりとカティアが笑って、クリフォードに説明する。
一度、真剣にセニアはカティアと話し合おうと思っていた矢先、急に機嫌を直したのである。最近では見るからにウキウキしていて、今日も幸せそうだ。
(ていうより、何か以前にも増して綺麗になってないかしら?)
セニアは首を傾げるのだった。ツンと以前は澄ましているような印象だったのが、どこかフワリとした、柔らかい印象を最近のカティアからは受ける。
「聖騎士として、法力というのが必要だと分かったが。あまり根を詰めすぎない方が」
クリフォードの言葉に、セニアはげんなりとしてしまう。
話している素振りもどこか頼りない。ちらりとカティアを覗ってから自分に言うのだ。会ったばかりのときは、もっとキビキビして頼れる人物に見えたのだが。
「今でも、だらけ過ぎなくらいです。ドレシア帝国に来てから腕が鈍る一方ですから」
そっけなくセニアは言った。今までの体たらく、自分に全く非がないわけではないのだが。処刑されかけたことで心のどこかが弱ったのだろうか。
「まさか、またシェルダンの言っていた最古の魔塔を倒したいと言うんじゃ。私は反対だ」
恐る恐るという感じでクリフォードが言う。
神聖術を用いるのには法力、という魔力とは別の力が必要だ。法力を増すのには、よく心を落ち着けて民の安寧を祈るのが良い、とされていた。もっとも、そもそも聖騎士たるもの民の安寧を願うことは当たり前だ、と但書が添えてあったのだが。セニアとしては恥じ入るばかりである。
セニアの場合は、魔物討伐に飛び回りすぎて、心が落ち着いていなかった。もともとの性格も落ち着きがない。また、剣術に特化しすぎた聖騎士も、法力が伸びるのには遅れる傾向にある、とも書いてあった。
ドレシア帝国に来てからも心は乱れ続けていて。ゆえに瞑想なのである。
(でも効果はあった)
閃光矢、という光の矢を習得した。教練書には初歩中の初歩、最低限とまで書いてあったが。初めて手にした剣撃以外の攻撃手段だ。まだ、自分は実力を伸ばして人々のために戦える、と改めて思えた。
「それなのですが、クリフォード殿下。急に最古の魔塔に挑もうというのは、たしかに無謀と思えてきました」
セニアは考え始めていたことをクリフォードに告げる。
クリフォードが露骨に安堵した表情を浮かべた。
閃光矢だけではまだ、最古の魔塔攻略は不可能だ。
「ですのでまず、ドレシア帝国の魔塔に挑みたいのです」
もっと実地でも戦い、腕を上げねばならない。
立ち止まっている暇はないのだ。
「私は反対だ」
クリフォードが端正な顔をしかめ、口をへの字に結ぶ。
「なぜ、好き好んで危険を冒そうとするんだ?君は散々尽くしてきたアスロック王国を追放された。この国でくらい、私に甘えて幸せに暮せばいいじゃないか。私はそうさせてあげたいんだ」
クリフォードの言葉にカティアが失笑した。どう反論しようか悩んでいたセニアよりも早い。
書物をしていた薄桃色のノートを閉じて大事そうに抱く。
「男の人って本当に馬鹿」
ただ口から出てきた言葉は辛辣だった。
「何だと」
クリフォードがカティアを睨みつける。
セニアは心配になった。カティアはただの侍女だ。本気でクリフォードを怒らせれば、どんな罰を受けるかも分からない。
「いえね、私も随分と男の人に気を持たされて」
カティアがニコニコして言う。
「私なんて、破産した子爵の娘に過ぎないって言うのに、やれ身分が違うだなんだって。見当違いな心配ばっかり。ついこの間も、下級兵士の自分と私とじゃ収入が違いすぎる、申し訳ないって、書いて送ってきて。本当にもうっ」
止めどない愚痴がクリフォードを襲う。一見、自身と全く関係のない話にクリフォードは戸惑いを隠せない。
なんとなく聞いていて、シェルダン・ビーズリーのことだろうか、とセニアは思った。いかにもシェルダン・ビーズリーの言いそうなことだ。どうやら文通しているらしい。ようやくセニアは気付いた。
「つまり、何が言いたいんだ?」
いくぶん落ち着いた口調でクリフォードが尋ねる。
「せっかく炎の魔法を高度に使いこなせる稀代にしてお強い殿下なのですから。私も一緒に戦う。思う様頑張れとでも言っていれば格好いいのに。セニア様も虜にできるのに、残念な人、と思って」
不意をつかれたような顔をして、クリフォードがセニアを見た。
「え、えぇ、虜になるかは別ですが。そうおっしゃっていただけていたら、とても嬉しかったし、心強かったです」
セニアもカティアに同調するしかなかった。当然あながち間違いでもないからだ。
「そ、そうか。考えてみる」
沈痛な面持ちでクリフォードが言う。ただの愚痴にも聞こえたが、カティアの言葉はクリフォードの心に刺さったようだ。
「私たちだって、これからどうするとか、次のデートのお誘いとかほしいのに」
カティアがまだ愚痴を続けている。やはりクリフォードの醜態を皮切りに愚痴を言いたかっただけなのかもしれない。
「あー、カティア、分かった。悪かったから。その話は今度ゆっくりと聞かせてくれ」
気まずそうにクリフォードが言う。
「あら、人にお聞かせするような話じゃありませんわ」
カティアが満足そうに言い、優雅なお辞儀をして立ち去ってしまう。
「そう言うなら、話し始めるんじゃないよ」
苦虫を噛み潰したような顔でカティアを見送りつつ、クリフォードが言う。
「殿下、ドレシア帝国の魔塔の討伐は私にとって、この国と殿下への恩返しになります、ぜひ」
セニアは念を押す。カティアの援護射撃のおかげで色好い返事をもらえそうな気がする。
「分かっている。ただ、私の一存では決められない。いくら何でも君一人で、行うことではないのだから。だが兄上、父上に相談はしてみよう。そして当然、私も行く」
本当は一人ででも切り込みたい。
しかし、クリフォードがここまで言ってくれるのも大きな進歩なのだった。
カティアが小走りで戻ってきた。珍しい所作だ。
「クリフォード殿下」
息を切らせている。見たことのない光景だ。自然、セニアも緊張してしまう。
「どうした、これは」
真紅の封筒を見てクリフォードも顔を歪めた。
「シオン第1皇子からです。この色は至急の」
カティアがクリフォードに真紅の封筒を渡す。
クリフォードが封を切って中の文書に目を通していく。見る見るうちに顔色が険しくなった。
「なんて図々しい、恥知らずめっ」
クリフォードが叫び、セニアに文書を投げて寄越した。
そこにはアスロック王国王太子エヴァンズから、セニア自身の身柄と聖剣の引渡し要請があったということ。
シオンとしては、クリフォードと本件について、今までの経緯を忘れ、改めて話し合いをしたい、と丁寧に書かれていた。
「くそっ、一刻の猶予もない。皇都に行って兄上と話をつけてくる」
クリフォードが怒鳴り、去っていくのをセニアはただ見送ることしか出来なかった。




