256 シェルダンの帰還
ルベントの街にて、カティアはガラク地方の魔塔が崩れたことを新聞で知った。魔塔崩壊は既に10日も前のことであり、現在、カティアは実家にて、シェルダンの帰還を今か今かと待っているところだ。
ちょうど今日の午前中に、第3ブリッツ軍団がルベントに着いたのであった。一時、静かだった町はまた賑わいを取り戻しつつある。
(どんな顔をするかしら)
ときに浮かれて、ときに不安に駆られながら、カティアはずっとシェルダンの帰還を待っていた。手には治療院でもらった診断書を握りしめている。
不在の間、頻繁に手紙のやり取りはあったのだが本件はまだ伝えていない。
(手紙で伝えたいことではなかったから)
カティアは自分のお腹を撫でる。そっと愛おしさを籠めて。
今日の午前中にルベントへ戻ってきたのだから、解散する時間も考えると、ちょうど夕刻少し前の今ぐらいにシェルダンは着くのだ、とカティアは読んでいた。つまり今時分だ。
扉を叩く音が響く。
急いでカティアは玄関へと向かう。既に母のリベラがいて、ニコニコしている。
シェルダンで間違いない、とカティアも察した。
「カティア」
案の定、黒いボタンシャツにグレーのズボンという出で立ちのシェルダンが立っている。カティアのもとを訪れるときは軍服では来ない、と決めてくれているのだ。
(格好いい人なのよね、本当に)
自分を見て、シェルダンが微笑む。どこか弱々しい。隠しようのない疲れが滲み出ているような。
カティアはおや、と思った。
「どうか、したの?」
見るからに元気のないシェルダンを見て、カティアはつい尋ねてしまう。
「いや」
シェルダンが言いよどむと、どこか甘えるように自分を抱き締めた。まるで大切なものを確かめているかのようでもあって。
カティアも愛する人の背中をポンポンと優しく叩く。思いの外、筋肉質で硬い反応が返ってくる。細身なシェルダンだったが、身体は鍛え上げられているのであった。
「怪我を?それとも誰か分隊の人が?」
シェルダンの耳元まで背伸びして、そっとカティアは尋ねた。
「ガードナーの奴が、ちょっと大変な目に。少し、悔いが残る、そんな戦いだった、そう、感じてしまって」
あまり他人に弱みを見せようとしないシェルダン。カティアに対してすら、同じである。今回の魔塔攻略が過去2回よりも大変だった、という噂は聞いていた。怪我人や死者が過去一番であったと。
シェルダン自身は一見して無事なようだ。ただ声にだけは隠しようのない苦々しさが滲み出ていた。
珍しいことだ。
「ちゃんと、全部聞きたいから。私の部屋へ」
優しくシェルダンの手を引いて、靴を脱いだシェルダンをカティアは自室へと招き入れた。
住み慣れた部屋だが、近々出ることになるだろう、とふとカティアは思う。シェルダンと一緒になれば新居を持つこととなるのだから。
「それにね、私からもたくさん、話しておきたいことがあるから」
部屋に入って、カティアは後ろ手に扉を締めて告げる。
もう一度、シェルダンが後ろからカティアを抱きしめる。
「もうっ、今日はどうしたの?本当に、いつになく甘えん坊さんだわ」
冗談めかして笑い、カティアは言う。愛情表現自体はいつでも嬉しいのだが。
「ごめん」
シェルダンがまず謝る。一向に離れようとはしない。
「また、無事でいてくれて嬉しい。いつも変わらぬ素敵な笑顔を向けてくれて嬉しい。いつも変わらぬ愛情を注いでくれることも」
自分を抱きしめたまま、シェルダンが耳元で言う。
嬉しすぎる言葉だ。酔い潰れている時ですら、ここまで真っ直ぐには言ってくれない。
「そっくりそのまま、私があなたに言いたいことよ?」
カティアもまた愛おしい気持ちをそのままに返した。
寝台に少しずつ近寄って、カティアはストン、と自ら腰を落とす。このままでは、いつまでも話が進まない、と思ったのだ。
(この、くすぐったい気持ちもホントは心地良いのだけど)
カティアは思いつつも自分の隣をポフポフと叩いて示し、シェルダンにも座るよう促す。
「さ、今回は何があったのか、教えてくださる?」
微笑んでカティアは尋ねる。
シェルダンが弱々しく苦笑いして隣りに座った。
「あぁ、もちろん。我々第3ブリッツ軍団がガラク地方入りした当初から」
ポツリポツリとシェルダンが語りだす。
カティアは黙って耳を傾ける。
「そう、今回はほとんど、上手くいったのにね」
思わずカティアは一通りを聞いてこぼした。
ガードナーをメイスンに連れていかれたこと以外は全て、シェルダンの思い通りだったようだ。
それでも、魔塔上層へシェルダン自身は行かずに済んでおり、第1階層で他の軽装歩兵たちと同程度の仕事を危なげなくこなしている。
「その通りなんだが」
シェルダンが悄気げたような顔をして、心を痛めている。
ドレシアの魔塔では、セニアの父親への借財感から協力して上層へ上った。死んだふりをして、次に上らない工夫をした上で。
ゲルングルン地方の魔塔では、聖剣を奪うという余計なことをして面倒ごとになりかけた。
(今回は上手くいった、というのに。最初から全部。それなのにこの人は。こんな可哀想な顔して)
カティアは隣りに座ったシェルダンが愛おしくて、手を握る。
「自分が上れば良かったって思っちゃって」
カティアはそっと告げた。
口に出すと弾かれたようにシェルダンが顔を上げる。
「でも、そんな自分が許せないのね?」
違うと言われるその前に、カティアは言い当ててやった。上がれば良かった、などシェルダンとしては単純すぎる思いだ。
たとえ顔合わせのときに話した、カティアからの許諾が有っても魔塔上層を進んで上ろう、とはシェルダンには思えないのだ。
(この人は家系の責任にまだ縛られてる。ホントに真面目なんだから)
だから好きなのだが、とカティアは惚気けたことを考えてしまう。
「正しいことをしているはずなんだが。上れば上ったで、間違えたって気がしてしまうに決まってる」
絞り出すようにシェルダンが告げる。
「だが、実際に代わりに上って負傷した部下を見ると辛いものがあった。これも邪魔な思いのはずなんだが」
生き延びることに専念しなくてはならない。先祖からの引き継いできた血の責任があると。
かつてシェルダンの言っていたことをカティアは思う。
(じゃあ、私は?)
自分の今までをカティアも思い返す。
シェルダンに死んでほしくない。危険も冒してほしくない反面、辛い思いもしてほしくなくて、いざとなったら背中を押してやりたいと思っている。
「私ね、あなたにするべき話があるの」
カティアは握りしめてしまった診断書を開きながら切り出した。おそらく、自分の話はシェルダンの気持ちを少しは楽にできる、嬉しい話のはずだ。
訝しげにシェルダンが自分の顔を見つめる。
「私、妊娠したみたい」




