253 ガラク地方の魔塔第5階層4
「ゴドヴァンさんっ!」
ルフィナが駆け寄ろうとするも、まだ走るほどの体力が戻ってはいない。這うようにして進んでいく。
ゴドヴァン自身はまだ息があるのか、手先に動きは見えるのだが。立ち上がって戦うことまでは出来ていない。だからクラーケンにも攻撃されずに済んでいる。とりあえず死体扱いのようだ。
「ちぃぃぃっ」
メイスンが迫りくる腕を一刀両断する。
同じくセニアも自身に向かってきた腕を盾でいなした。父から受け継いだ聖騎士の盾も、一方的に攻撃され続けて凹みや傷が目立ち始めている。
セニアもメイスンも最早、ルフィナの無茶を止めるどころではなかった。ゴドヴァンの救出に向かう余裕もない。
「ああぁっ、ダメだ、強い、負ける。ダメだ、強い、負ける」
ガードナーの声が隅っこの方から聞こえてきた。
まだ頭を抱えてうずくまっている。
「くっ、マズい」
初めて焦りもあらわにクリフォードが言う。だが、まだふらついている。それでも立ち上がって魔術を放とうとし始めた。
(だめっ、このままじゃ)
セニアはクラーケンの腕が再び力強さを取り戻し、振り回されるのを絶望とともに見つめた。
「ヤバい負ける死ぬ。ヤバい負ける死ぬ。ヤバい負ける死ぬ」
呪詛のようにガードナーが呟き続ける。いまだ、隅っこにうずくまったままだ。
「危ないっ」
セニアはクリフォードに向けられた腕を盾で防ごうとする。もう何度目になるのか。
「ぐっ」
なんとか防ぐも、とうとう腕に力が入らず、盾を弾き飛ばされてしまった。
続いて鈎状の突起がびっしりついた腕が迫ってくる。
盾をも失った今、防ぐ術が、セニアにはもはや無い。
(負けるの?死ぬの?まだ、こんなところで)
道半ばにして、信じられない思いでセニアは視界を圧する尖った鈎の一つ一つを見つめる。
「じぇいっ」
メイスンが迫りくるクラーケンの腕を切り裂いた。
「おじ様っ」
そのメイスンをまた別の触腕がたやすく弾き飛ばした。斬ることに専念してしまったメイスンがあえなく壁へと叩きつけられる。
「おじ様」
セニアはもう一度叫ぶ。
もう誰もいなくなった。逃げることもできない。逃げる間に背中から触腕で潰される。
「ヤバい死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ」
ガードナーの声が裏返っている。
ゾワリとセニアは恐怖を感じた。クラーケンから受けた死の恐怖とは別物だ。
「ガ、ガードナー、落ち着け」
クリフォードが呟く。驚きに目を見開いている。
中空に幾重もの黄色い三角形が浮かび上がっていた。ガードナーから生じてクラーケンのほうへ向けて。
「ヤバい負ける死ぬヤバい負ける死ぬ」
恐慌状態のガードナーがゆらりと立ち上がった。
魔力がほとばしり、全身をバチバチと音を立てながら雷が揺らめいている。
「死ぬのだけはだめだ。死ぬのだけはだめだ。死ぬのだけは」
別人のようにガードナーがぼそぼそと呟く。
クラーケンの巨大な眼球がガードナーを捉えた。脅威だと、見做したらしい。
立て続けに触腕を放っては、バチィッと音を立てて雷に弾かれる。
「な、なんだ。これは。私も知らない」
呆然としてクリフォードが言う。クリフォードも知らない、ガードナーの何か。何かの魔術とは思えなかった。
もっと何か怖い、もっと恐ろしい現象だ。
「ひっ」
セニアは声を上げる。
唐突に一番クラーケン寄りの三角形の真ん中に雷の眼球が生じた。
ギョロリと動いてセニアを、そしてクリフォードを雷の目玉が睨みつける。
そしてクラーケンを見据えた。ガードナーに死をもたらす、敵だと認識したかのように。
「キエエエエエエエッ」
ガードナーが絶叫し、雷の眼球から莫大な雷光が生じてクラーケンへと向かった。
回避も防御もない。クラーケンの巨体を触腕もろとも完全に呑み込んでしまう。
動きを封じるどころか、体組織を次第次第に崩壊させていく。雷光の中、ぼろぼろと崩れ行くクラーケンの巨体。
(あれは)
体の真ん中辺りに、巨大な黒い核が露出するのと、糸が切れたようにガードナーが倒れるのとが同時だった。
雷光が途絶える。
なおも再生しようと瘴気を集束させようとする核。グズグズしていると復活される。
「光集束」
好機を逃すわけにはいかない。自身も混乱しつつも、すかさずセニアは、核のど真ん中を撃ち抜いた。
核が砕けて、瘴気が晴れる。
信じられないくらいの、あっさりとした逆転劇だった。
「な、なんだったんだ。勝ったのか」
クリフォードも呆然として呟く。視線は倒れたガードナーに注がれている。
地面が揺れた。倒れそうになるクリフォードを慌ててセニアは支える。
「クリフォード殿下、とにかく魔塔は崩れます。逃げましょう」
赤い転移魔法陣が5つ生じるのを見て、セニアは告げる。
みな、ボロボロだ。
「あぁ、ゴドヴァン殿たちも無事なようだ」
幸い、壁に叩きつけられたことでゴドヴァン、メイスン、ルフィナもクラーケンから見逃され、生きてはいる。セニアからはかなり距離があるものの、3人の近くに別の赤い転移魔法陣が見えた。
(みんな、大丈夫かしら)
セニアは不安に思う。
多少回復術をかけてもらえたらしく、ゴドヴァンがよろよろと立ち上がり、ルフィナを抱きかかえ、メイスンの首根っこを掴んでいる。言葉は出せないまでも、大丈夫だとばかりに、セニアの方へ手を振って見せてくれた。
「殿下、肩を」
セニアはクリフォードに肩を貸し、まったく意識のないガードナーを抱えた。可哀想なぐらいに貧弱で軽い体だ。
(生きてるのかしら。この子のおかげで、わたしたちは命拾いした)
つい数分前まで確実に負ける流れの戦いだった。
「ほ、本当の天才だ。だが、無理に力を引きずり出した代償だ。これは、長く動けなくなるよ、彼は」
クリフォードがガードナーをセニア越しに見て言う。
意識して発動させたものとは、セニアにも見えなかった。ただガードナーが自らを死なせないためのもの。
(勝ったの?勝ったと言えるの?でも、私達は生きてまた、魔塔を去ろうとしてる)
セニアは半ば混乱しつつも、赤い転移魔法陣に身を乗せて、その場を後にするのだった。




