252 ガラク地方の魔塔第5階層3
「さすがルフィナだ」
回復円陣の中に立って幸せそうにゴドヴァンが言う。ルフィナもニコニコと嬉しそうだ。
(こ、こっちは戦闘中なんですけど)
盾で腕の連撃を防ぎつつセニアは思う。
メイスンもゴドヴァンとルフィナを殺気に満ちた眼差しで睨みつけていた。
ゴドヴァンとメイスン、どちらかが退がるとセニアは前に出る。時を稼がなくてはならない。
「よし、元気だっ!」
野太い声でゴドヴァンが叫び、宣言通り元気にクラーケンへと向かっていく。
しばらくメイスンとゴドヴァン、2人で最前線を張ってくれる。そうなってくればセニアも少しの間、後ろ目に位置を取ることが出来るのだが。
だが、ケルベロスの時と同じく、再生されてしまうというのは、どうしても消耗戦となるのだった。
「ちぃぃぃっ、埒が明かん」
全身に血を滲ませてメイスンが退がってきた。
さらに後衛の3人にオーラをかけ直している。
自分も腕を上げて、メイスンも加わったことで、全体としては長期戦に強くはなった。ルフィナとメイスンの手が回らなければ、自分も回復役をこなすことも出来る。
最前線を1人で張ることとなったゴドヴァンに負傷が目立つ。セニアは盾でクラーケンの腕を捌きながら、近寄っていく。
「すまねぇな」
回復光で傷を治されたゴドヴァンが言う。
ふと、視線が揺らいだ。
「くっ」
いくら強くなっても足りないのか。法力を使いすぎてしまったようだ。
セニアは膝をつきかけた。なんとか盾で支える。
「あぶねぇ」
ゴドヴァンが迫る腕を大剣で切り払う。
メイスンも切迫した表情で駆け寄ってきた。
「すいません」
セニアは気力を振り絞り後退する。少し呼吸を整えた。
(でも、相手もだいぶ弱ってる)
クラーケンも即座には斬り落とされた腕を再生させられずにいる。少し、新しい腕のほうが細く貧弱になっている気もした。ケルベロスの時と同様だ。
一方で自分たちも、振り回される10本もの巨大な腕を相手に、体力の限界まで戦い続けている。
セニアはクラーケンの眼球を見た。自分たちを執拗に狙う、魔物特有の眼差しだ。殺気とは別の怖さを感じる。
なぜだかゾクリと寒気が走った。
(イケないっ)
セニアは思い、本能的に盾を構える。
10本の足が生えている根本のあたりを、こちらに向けてきた。口に当たる器官だろうか。ポッカリと穴が空いている。
「気をつけろっ、何か狙っているぞ!」
クリフォードが叫んで警戒を促す。
同時に、クラーケンが黒い霧を噴き出してきた。視界を覆い尽くさんばかりの瘴気の霧だ。悍しい負の情念が溢れ出すかのようで。こちらに押し寄せてくる。
「ぐっ!」
最前線にいたゴドヴァンがオーラごしでも瘴気を吸ってしまい、膝をつく。
メイスンを見ると、とっさにオーラを増幅させて耐え抜こうとしている。まるで霧の中に立つ灯台のようだ。
「ゴドヴァンさんっ!」
ルフィナが我が身の危険も顧みず、ゴドヴァンに駆け寄ろうとする。
(ル、ルフィナ様、ダメッ)
思うもセニアも声には出せなかった。自分のいる位置にまで霧が押し寄せてきたからだ。
自身も盾の陰で、押し寄せる濃い瘴気に耐えるだけで精一杯。声を出そうものなら瘴気を呑み込んでしまいそうだった。
セニアは無力感に苛まれながら、ただルフィナが倒れるのを見ることしか出来ずにいる。
「ひ、ひえええぇっ」
ガードナーがその場から走って逃げ出した。赤い転移魔法陣すらも通り過ぎて、一番遠いところ、壁際まで行くと頭を抱えてうずくまってしまう。
おかげで瘴気を吸わずに済んでいるのだが。戦力にならなくなってしまった。
気付くとセニアの眼前にまで瘴気の霧が迫っている。
「ファイアーウォールだ」
熱気が肌を打つ。赤い魔法陣が中空に生じ、炎の壁が守るようにセニアの前に立った。
瘴気が遮られる。動けるようになったセニアは顔を上げてクリフォードの方を見た。
青ざめた顔のクリフォード。瘴気を吸ってしまったようだ。今にも倒れそうでふらついている。
「殿下っ!クリフォード殿下っ!」
セニアはクリフォードの方へと駆け寄る。
今、10本の腕で襲われてしまったなら全員即座に命を落としてしまうのだが。
クラーケンにとっても瘴気の噴霧は奥の手だったらしい。力をかなり使ったのか即座には動き出すことが出来ないようだ。
「セニア様っ、倒れた人々に快癒をかけねば」
メイスンが瘴気の中を駆けつけてくれた。あの瘴気を受けてなお、独力で耐え切ってしまったのだ。やはり実力は間違いのない、メイスンなのであった。
(そんなことより)
セニアは首を横に振って、倒れたルフィナに法力を注ぎ込む。自分も万全ではないから、法力が足りない。
「かなり弱らせたはず。これだけの濃霧を、クラーケンとていつまでも作っていられるものではないでしょう」
メイスンが言いながらルフィナの顔に手を当てる。
金色の光に包まれたルフィナの身体。
「うっ、ゴホッ」
ルフィナが光の中で瘴気を吐きながら咳き込んだ。
「ゴ、ゴドヴァンさんっ、な、治さなきゃ」
少しでも身体が動くならゴドヴァンを助けようとするルフィナ。這ってでも進もうとする。
「ゴドヴァン殿も負傷ではない。私が治すから、大人しくしていなさい」
メイスンが言い聞かせると、最前線のゴドヴァンの元へと向かう。
「すまない、セニア殿。助けようとして、私のほうが倒れてしまうなんてね」
まだ意識を残していたクリフォードが礼を言ってくれる。
「いえ、私の方こそ、また助けられてしまって」
セニアはクリフォードに快癒をかけながら告げる。
炎の壁が防いでくれなければ自分も危なかったかもしれない。
「ははっ、攻撃していれば勝てたかもしれない。奴はまだ動けないのだろう?」
クリフォードが自嘲気味に言う。
自分を大切にしてくれただけではないか。セニアは言いかけて言葉を呑んだ。
(あ、危なかった。戦闘の均衡が崩れかねない攻撃だった)
少しずつ瘴気の霧が薄くなる。クラーケンにとっても予想外だったろう。聖騎士1人だけでは瘴気の霧で犠牲なしとはいかなかった。
「くっ、こんな手を」
メイスンに快癒をかけられて起き上がろうとしたゴドヴァン。
すぐにハッとして、大剣でとっさにクラーケンの腕を防ごうとした。だが、まともに受けたことで吹っ飛ばされて壁に叩きつけられてしまう。
「ぐおおおっ」
さらに執拗に腕で打たれて、再度気絶するゴドヴァン。
敵が力を取り戻す方が早かったのだ。
(くっ、いけないっ、ゴドヴァン殿に倒れられては)
セニアは結局崩れた闘いの均衡を認識して、背中に冷たい汗をかくのであった。




