25 アスロック王国に復興の兆し〜聖騎士の身柄引渡要求
アスロック王国の王都アズル、王太子エヴァンズは今日も執務室にて、書類と格闘していた。隣にはついに婚約したアイシラ男爵令嬢も座って、同じく書類に塗れている。
業務は変わらず多く、2人共、甘い雰囲気を醸すどころではないのだが、一つ一つの書類に記載された事態は改善の傾向にある。エヴァンズの目にあった隈もいつしか消えていた。
聖騎士セニアを追放してから取り組んできた産業の振興、主に漁業だが、魔塔から離れた地域での耕作などが実を結びつつある。
最初の麦秋までの間をアンセルスから押収した物資での配給により凌げたことも大きい。
どうにか民を最低限、飢えからは守ることが出来そうだった。
「エヴァンズ殿下」
執務室の外から、侍従のシャットンがノックをしてくる。
「ハイネル将軍とワイルダー様がお見えです」
シャットンも最近では一時期とは打って変わって落ち着きを見せるようになっていた。良い傾向である。
「通せ」
上機嫌でエヴァンズは命じた。
数日前に、ドレシア帝国に放った密偵から朗報が届いたことも上機嫌の理由の1つだ。
そしてハイネル、ワイルダーの両名と会うのは実に2ヶ月ぶりである。
「殿下、お久しぶりです」
鎧を着込んだままのハイネルが口を開く。一緒に入ってきたワイルダーが頭を下げた。
2人が各魔塔の第1階層を根気よく攻め続けたことで、各地の治安がだいぶ落ち着いた。特にハイネルの重装騎兵隊の戦果はすさまじく、騎馬の機動力を駆使して広域を駆除し尽くしたのだ。腐敗した軍の体たらくを補って余りある程だ。
騎兵では倒せない魔物と遭遇すればワイルダーに伝令を送り、魔術ですかさず倒すという死角の無さである。おかげで、魔塔付近に居住していた民たちを無傷で移住させるという事業にも着手出来た。
麦の収穫も当初の想定をはるかに上回っている。
「2人ともよくやってくれている。私は頭が上がらない」
言葉通り、まずエヴァンズは二人ともに頭を下げた。
「おやめください、殿下。この国のためではないですか」
慌てた口調でハイネルが言う。
エヴァンズは頭を上げた。落ち着かない表情のワイルダーが微笑ましい。
「3人とも私の誇りだ。ここまで国を立て直せるなど、奇跡に近い、と思う」
4本目の魔塔が発生したときの絶望からは想像もしていなかった状況である。アイシラも眠る間を惜しんで自分の仕事に力を貸してくれていた。
無論、まだ課題は山積だ。貴族の既得権益にも手を入れたいし、いまだ民にかかる税は重い。
「あとはこの4本の魔塔を減らしていかないと、ですね」
ワイルダーが冷静に告げる。さらに机上に地図を広げた。
依然として、4本の魔塔が国内で健在というのは苦しい状況だ。居住の面でも交通の面でも、民の活動が大きく制限される。かさむ軍費のせいで税の減免もしたいのに出来ない。
「1本に専念すれば、2人とも倒せないか?」
エヴァンズはハイネルとワイルダーを交互に見て尋ねた。命じれば二人とも意気高く取り組んでくれることは分かっているが、可能かどうかはまた別だ。
「1番新しい、4本目のものならばあるいは。あれは第1階層だけで見ても、他のものより新しい分、瘴気も薄いですから」
ハイネルが答え、ワイルダーも頷いた。あの恐ろしい魔塔に部隊を率いて突入しただけでも称賛に値する。
「ただ、私もハイネル殿も、最上階はおろか第2階層より上での実戦経験がありません。未知数ですな。ちゃんとした聖騎士不在の弊害です」
ワイルダーの言うとおりだった。
先代聖騎士レナートを失ってから、第1階層の魔物討滅が精一杯であり、現役の戦士で第2階層より上を踏破したものはほとんどいない。
最古の魔塔に至っては中の様子は謎に包まれている。
「全くよりによって、あのセニアが当代であったことが悲運だな」
エヴァンズは我が身の不幸を嘆いた。
まともな聖騎士さえいれば、今頃は魔塔の数を減らし、民に安寧を与えられていたはずだ。
「しかも、あの女はドレシア帝国の騎士団長殿に敗れて、聖剣まで失ったそうだ。我が国にどれだけ恥をかかせれば気が済むのか」
ゴドヴァンという大剣遣いに手もなくひねられたと聞く。
ただ、良い面もあって、ようやく民衆もセニアを追放したエヴァンズの判断を支持するようになりつつある。
「ふと、最近考えたのですが、聖騎士というのはあの女でなくては駄目なのですか?」
ワイルダーが静かな口調で切り出した。
「どういうことだ?」
興味を惹かれて、エヴァンズは身を乗り出した。
「例えばここにいるハイネル殿のような遣い手であれば、聖剣に認められ、聖騎士となることも可能なのではありませんか?あのような女ですら認めたのですから」
ワイルダーが淡々と言葉を重ねる。
エヴァンズは腕組みして考え込む。セニアを聖騎士と認める儀については、父王と教会の秘密とされエヴァンズもよく知らないのだ。代々、そのようにしてきたらしい。
「しかし、ワイルダー殿。私は神聖術など使ったことも使おうと考えたことすらありませんよ。無論、剣術のほうはセニア嬢にも負けぬと自負しておりますが」
ハイネルが卑下して言う。実際はセニアなど足元にも及ばぬ遣い手である。
「それはあの女も同じだったはず。しかし、何か先代が早くに亡くなった場合に備えて、神聖術の手解き書などがあるのではありませんか?そしてそれを使えばハイネル殿を新たな聖騎士となし、魔塔を倒すこともたやすいのでは」
ワイルダーの提案は素晴らしいものに、エヴァンズには感じられた。
結界に守られた神山ランゲルに神聖教会は存在する。聖剣の祀られる聖地だったという。魔塔の魔物も寄り付けない、聖域である。
「そうだな、早速、神聖教会へ使いを出そう」
エヴァンズは頷いた。
「あとはセニア殿が取り上げられたという聖剣ですが」
ワイルダーが更に言葉を重ねる。
「あれは我が国のものではありませんか?元はと言えば」
見落としていたあまりに大事なことを、ワイルダーが思い出させてくれた。
確かにドレシア帝国は何を勝手に取り上げているのだろうか。ふつふつと怒りがこみ上げてくる。
「また、私の手の者が探ったところによると、ドレシア帝国におけるセニア殿への風当たりが相当強まっているようです」
さらに興味深い話題がワイルダーの口から飛び出してきた。
「ほう」
エヴァンズは机に頬杖をついてワイルダーの話の先を待つ。
「何でもまた性懲りもなく、あの国の第2皇子をたぶらかしたところ、聡明な第1皇子と国民までは騙せず、離宮に篭っているしかなくなったと」
今度は怒りとともに羨ましさがこみ上げてくる。
「我が国もそれくらい民を教化出来ればよかったのだが」
エヴァンズはセニア追放時に寄せられた民からの反発を思い出して、苦々しくなるのだった。
「豊かさをまたこの国が取り戻せば、それも可能でしょう」
いたわるようにワイルダーが言う。
「つまりワイルダー殿。我が国が聖剣とセニア嬢の引渡しを求めればドレシア帝国がそれに応じるやもしれぬと」
ハイネルの言葉に対してワイルダーが力強く頷いた。
腹心からの素晴らしい提案。
あれだけ多忙を極め、ここまで考えてくれていたことにエヴァンズは頭が下がるおもいであった。
翌日には、ドレシア帝国へは貴族の使者を出立させ、神聖教会には侍従のシャットンを向かわせた。
しかし、先に戻ったシャットンからの報せは驚くべきものだった。
「数年前から、聖騎士の教練書が見当たらぬだとぉっ」
エヴァンズの叫びが王宮にこだました。