246 ガラク地方の魔塔第3階層4
小島がガードナーの雷撃を受けて、震動したのだ。
「セニア殿も随分、可愛らしい声を出せるのだね」
呑気な口調でクリフォードが失言した。本人は震動で情けなくも尻餅をついたのか。起き上がっているところだった。
どういう意味だろうか。
「もうっ、やめてくださいっ!こんなときにっ!」
セニアは腹立ち紛れにクリフォードの肩を叩く。情けないだけではない。おまけに恥ずかしかった。
「ぐぁっ」
貧弱なクリフォードが立ち上がったばかりなのに、再度あっけなく倒れる。
身体が脆弱なのに人を茶化すからである、とセニアは思った。
「ひ、ひえええぇっ」
ガードナーの悲鳴でセニアも我に返った。
小島が回っているような気がする。さらに大口を開けた。
(違う。島のわけがない。動いてるのよ、魔物だわ)
セニアは思い直した。
大きな黒い、魚のような体をした魔物だ。一見して20ケルド(約40メートル)の幅がある。
「戦艦鯨。なんて大きさだ」
呆然としてメイスンが呟く。
「あれが、階層主だな。良かったな、執事。あれが第2階層の階層主じゃなくってよ」
皮肉たっぷりにゴドヴァンが言い、大剣を構えた。確かに1人で戦える相手ではない。海上にいるから近寄るのも難しい相手だ。
「お気をつけて。やつはヤリトビウオなる、槍のような魚を口から無数に撃ち出してくるとか。鈍重なあなたに避けられますかね」
ゴドヴァンの皮肉に対し、メイスンも皮肉で返した。決してゴドヴァンの動きも鈍重ではないのだが。
(ガードナー君がいなかったら、遭遇することも難しかったけど。どうやって近付けば)
セニアは盾を構えて、クリフォードやガードナーを守るべく岸ぎりぎりで立つ。
向かってくる戦艦鯨が海面で動きを止めた。上陸はしてくれない。
「来るぞ。セニアちゃん、執事。俺らで後衛3人を守る。殿下とガードナーは後ろから魔術を打ち込め」
ゴドヴァンが指示を飛ばす。
セニアは頷いた。接近戦が出来ないなら魔術での攻撃に頼るしかない。海中仕様の身体をした魔物と泳いで水中戦をやり、戦って勝てるとはセニアも思わなかった。
「おじ様は、私とゴドヴァン殿より後ろへ」
セニアはメイスンに告げた。剣と身のこなしのみで、相手の攻撃を捌くメイスンより、盾と鎧のある自分が最前線に立つべきだ。
「セニア様」
何事かをメイスンが言いかけた。
「来るぞっ!」
戦艦鯨が大口を開けたのを見て、ゴドヴァンが声を上げた。
キラリと中で何かが光ったと思った時には槍のような魚が飛んできている。
「くうっ」
盾にぶつかる魚の衝撃にセニアは声を漏らす。
貫かれることこそないものの、かなりの衝撃だ。
(撃ち出す力が強いんだわ)
力なく地に落ちてジタバタもがくヤリトビウオを見て、セニアは思う。水面近く落ちた個体は次々に海へと帰っていく。
「ちぃっ」
薄く手負ってメイスンが舌打ちする。軍服に血が滲む。
助けに向かおうか悩み、セニアは足を止めた。
(殿下っ)
熱気が肌を打つ。中空に赤い魔法陣が生じていた。
「よし、喰らえ、ファイアーピラーだ」
クリフォードが詠唱を終えて、炎の柱を戦艦鯨へと放つ。
「なにっ!」
驚きの声をあげるクリフォード。
セニアも驚いていた。戦艦鯨の背中から生じた風圧で炎の柱がかき消されたからだ。
ヤリトビウオを放つ威力を思うにつけて、セニアは妙に納得してしまう。
クリフォードの炎ですら一撃必殺とはいかない。
(距離を保たれるだけでこんなにきついなんて)
セニアは思いつつ、防衛に専念する。
また、ヤリトビウオが飛んできたからだ。
気を抜けばクリフォードが死んでしまうかもしれない。
バチバチと音が響く。
「ライトニングアロー」
ガードナーの声とともに、黄色い魔法陣から雷の矢が生じて、戦艦鯨を直撃した。
束の間、戦艦鯨が身動ぎ、攻撃が止まる。
「やるなっ、ガードナー。でもまだ威力が足りない」
クリフォードがガードナーを称賛し、ポンポンと肩を叩く。
「ひえええぇっ」
褒められたのに悲鳴をあげるガードナー。どうあっても悲鳴をあげねばならないらしい。
「で、でも、と、遠くて、威力がでません」
ガードナーの雷だけが今のところ効果は出ているのだが。
ゴドヴァンとルフィナの2人が前でヤリトビウオの攻撃を捌いている。ゴドヴァンがひたすらルフィナを守り、負った怪我は即座にルフィナが治す。2人が最前線でほぼすべてのヤリトビウオを捌いている。
「ふむ」
2人の奮闘を知ってか知らずか、呑気に考え込むクリフォード。
「よし、時間をかけてでもいい。君の一番得意な術に全力を注ぎ込んで放つんだ。君は焦り過ぎて、速射に頼り過ぎる傾向がある」
クリフォードがガードナーへの講義を開始した。
ヤリトビウオがいくら飛んできて、セニアが忙しくしていてもお構い無しだ。
「いいかい?大袈裟なぐらい、逆に自分でも出来る限り、ゆっくり魔力を練り上げてごらん。具体的には、そうだな、丁寧に、しっかりと、たまには詠唱してみたまえ」
クリフォードに言われるまま、ガードナーが詠唱を始めた。
魔術を解する人々の言葉は常人には理解出来ない。それでも口の動きがゆっくりとしていて、バチバチと物騒な音を立てる、黄色い魔法陣からはセニアですら、恐怖を感じた。
「よし、お前の前を私も張ってやる」
メイスンもガードナーの前に立って剣を振るう。
急にピタリと攻撃が止んだ。
巨大な白い目がガードナーの魔法陣を睨む。自身にとって不穏なものと感じたらしい。
「きゃあっ」
突然の爆風に、セニアは悲鳴を上げた。
「ぬうっ」
メイスンもガードナーの前で剣を地面に突き立てて踏ん張ろうとし、飛ばされていった。
ゴドヴァンがルフィナを抱きかかえるようにしてしゃがみこんでいた。
だが、ガードナーのほうが早い。
「サンダーボルト」
表情1つ変えずガードナーが巨大な雷撃を放った。
ほとぼしる雷光が戦艦鯨の巨体を包み込んだ。本人はあえなくどこかへ飛ばされていった。
(だめだわ、動きを封じても、肉体が残っていたら、それに私の光集束も、閃光矢も、あそこまでは)
セニアは思い、危惧する。
無用な心配だった。
熱気が肌を打つ。赤い魔法陣が悍しいほどの魔力を放っている。
「獄炎の剣」
クリフォードが巨大な炎の剣を撃つ。
未だ電撃に呑まれたままの戦艦鯨。風で防ぐこともできず、貫かれた巨体が焼き尽くされていく。
黒い核が見えた。
この好機を逃してはいけない。距離があり過ぎて届くかは微妙なところだが。
(イチかバチか、撃つしかない)
セニアは思い、法力を練りあげようとする。
「光集束」
いちはやくメイスンが極太の光集束を放っていた。足元にはずぶ濡れのガードナーもいる。
悔しいが自分では届かなかったかもしれない。セニアは1人、唇を噛んだ。
核が砕けて、青空が広がる。
「こんな、苦境もあるのですな。遠距離攻撃しか出来ないとは」
ずぶ濡れのメイスンがクリフォードに話しかけていた。2人で水をだいぶ飲んだらしいガードナーを介抱している。
ただ、ヤリトビウオの攻撃を捌くだけで精一杯だった。自分はなんの役にも立てていない。
「あぁ、イテテ」
ゴドヴァンが左腕に刺さったヤリトビウオの残骸を引き抜きつつこぼした。
ルフィナがすかさず、その傷を癒やす。
ゴドヴァンと目があった。
「まぁ、メイスンのやつは、殿下にも人として負けてらぁな」
クリフォードと話すメイスンを一瞥して、ゴドヴァンが苦々しげに言う。
藪から棒な言葉であり、セニアにはよくわからない。
つい、きょとんとしてしまう。
「殿下はガードナーを伸ばして、みごと、貢献させた。執事のやつは、セニアちゃんが長射程の光集束を放つ機会を奪った」
ゴドヴァンが説明してくれた。よく見ていたのだ、と言いたいらしい。
「もう少し、立ち回りを考えてほしいわねぇ」
ルフィナも苦笑して言い、セニアの傷を治してくれた。
海面に赤い魔法陣が見える。
まるでつまらない邪魔はしないとばかりに、海面が引いて赤い魔法陣までの道が出来ていた。
「まぁ、それでも次は第4階層。なんとか、私たち、この魔塔はしのげるかしら?」
苦笑いを浮かべたまま、ルフィナが言う。
魔塔をしのぐ、という発想にゴドヴァンやルフィナの強さをセニアは感じるのであった。




