243 ガラク地方の魔塔第3階層1
海のように広大な水面に点々とする小島を、水面に挟まれた細い道が繋ぐ。
ガラク地方の魔塔第3階層である。
「1つの階層がまるまる水中じゃないっていうのは助かるが」
ゴドヴァンが辺りを油断なく見回しながら呟く。
セニアは頷いた。確かに息もできない環境では厳しい。
「不意討ちもなし、とは有り難い」
第2階層で苦労をしたメイスンが呟く。第2階層では、登った直後からガジハゼの群れと乱闘していたとのこと。
ゲルングルン地方でも最初からスケルトンに囲まれたことを、セニアは思い出す。
(本当に厄介な魔塔は、私たちに不利なことばかりしてくるのよね)
セニアの胸中は複雑である。事実上、メイスンがたった1人で第2階層を制圧したようなものだった。1階層分、セニアたちは体力魔力を温存出来た格好だが。
(確かに偵察、斥候としての役割は果たせなかったわけだけど)
聞いている限りでは、引き際を誤っただけ、という状況だったらしい。しつこく責めるのも可哀想にセニアには思えるのだった。
「この階層では、全員でまとまって動こう。宜しく頼むよ」
クリフォードがセニアに向かって告げる。おどおどと脇に立つ、黄土色の軍服を着たガードナーがまるで付き人のようだ。
確かに後衛の魔術師2人に、治療士のルフィナを守るのはセニアの役目になるだろう。ゴドヴァンとメイスンには盾や鎧を使わず、防御に不安が残る、という共通点がある。
「2人とも、あまり無理をしないでくださいね」
セニアはメイスンとゴドヴァンとを見比べて、心の底からクリフォードに告げる。無理をして、本気になるあまりの諍いをクリフォードやガードナーにはしないでもらいたい。
メイスンとゴドヴァンのやり取りには、見ていて心苦しいものがある。この争いにクリフォードまで加わったらと思うと、収拾がつかなくなるのではないかと不安なのだ。
だが、年長2人から返ってくるのは苦笑ばかり。先が思いやられる。
「私は君を困らせるようなことはしないよ」
代わりに、何か察したように、いつもどおりの端正な笑顔でクリフォードが言う。本当は今まで、散々困らされてばかりなのだが。
なぜだかひどくホッとさせられて、セニアはドキリとして胸を押さえた。
(変だわ、私。おじ様はどうしたの?それにここは魔塔で。これから魔物と戦うのよ?)
今までにも散々、クリフォードには言い寄られてきたというのに、今更何だというのか。セニアは自分の気持ちが、自分ではまるで理解できなくなった。
「え、えぇ、よろしくお願いします」
セニアは首を横に振って、気合を入れ直す。
どこまでも温かいクリフォードの視線はあえて気にしないこととした。
「よし、進むぞ。とりあえず一つ一つ、島を回っていくしかねえだろう」
ゴドヴァンが大剣を手にしたまま告げる。
転移魔法陣から離れて海面に目をやると、白い球体がいくつも突き出てていた。淡い光を放っている。
水面に挟まれた細い道にゴドヴァンが至った。
「なんだ、こりゃ」
ゴドヴァンが大剣の先で用心しながらつつく。なぜだかメイスンが横を向いてクッと笑う。
「ぐおっ」
ゴドヴァンが驚いて身を引く。
白い球体が弾けた。更に水面が揺れる。何もない空中へ口を開けて茶色い魚が飛び出してきた。幸い、大剣の長さ分だけ離れていたことで、ゴドヴァンの身体にはかすりもしない。
「そいつはチョウチンナマズの頭にある囮です。ほれ、本体は触角で繋がっているので」
涼しい顔でメイスンが言い、水中に無数の閃光矢を放つ。
水面がしばらく震えて、やがて揺れが収まった。プカリプカリと白い腹を見せて魚体が幾つも浮かび上がる。
「執事、てめぇ、先に言え」
怒ったゴドヴァンが言う。
セニアとしてもいたずらな挑発は止めてほしいところだった。笑っていたのまでセニアにはしっかり見えていたのだから。
「迂闊なのが悪い」
メイスンがふてぶてしくも口答えをする。全く悪びれた様子すらない。
セニアは2人が揉めている間に飛んできたチョウチンナマズの白い発光体を盾で受け止める。さらに伸びている触角の根元へ閃光矢を放つ。
放っておいても向こうから、歩く振動で察して攻撃してくるらしい。驚いて水中に落ちでもすれば、クリフォードやガードナーなど、ひとたまりもないだろう。
ゴドヴァンも同じ考えらしく、愛しいルフィナの位置にまで退がってきた。
「シェルダンなら」
ゴドヴァンが退がってきたことで、ルフィナも不満げにメイスンに何かを言いかける。
対して、メイスンの方が見るからにうんざりした表情をルフィナに向けた。言っても無駄だとルフィナも黙る。
(シェルダン殿なら、ゴドヴァン殿がつつく前に、さりげなくチョウチンナマズの特性を教えてくれた)
セニアも横で見ていて思った。態度はともかくシェルダンのほうがよく気を遣ってくれてはいたのだ。
「私は私、彼は彼ですよ」
不遜にメイスンが言い放ち、2人の言い分など聞こうともしない。
何か自分も言うべきだろうか。セニアは思うも適切な言葉が分からない。親しい人同士が揉めているところに居合わせたこともないのだ。
メイスンとゴドヴァンが、睨み合っている。
辺りをしっかり警戒していたのはガードナーだけだ。
「あ、あれは?」
ガードナーが一点を指差して言う。
セニアも視線を向けると、ひらひらとした、マントのようなものが遠くの海面上を飛んでくるところだった。真っ直ぐに、こちらを目指している。
「カッタマント。水中から風を纏って身体ごと斬りつけてくる魔物だ。エイという海の生き物を模したのだな」
涼しい顔でメイスンが説明してくれた。
まだ遠くだから小さく見える。が、実際のところは人間よりも大きいのではないか。
「ひ、ひえええぇ」
ガードナーが詠唱を始めた。早口な上に見るからに焦っていて、本当にきちんと詠唱出来ているのか、セニアは心配になる。
セニアの心配を他所に、中空にしっかりとした黄色い魔法陣が浮かぶ。パチパチと音も立てている。
「早いな」
感心してクリフォードが言うのと同時だった。
「ライトニングアロー」
雷の矢が正面からカッタマントを撃ち抜いた。
離れた水面に墜落して、まったく動きがなくなる。どうやら遥か遠くで絶命したらしい。
「どうです、ガードナーも役に立つでしょう」
ふん、と鼻を鳴らしてメイスンがゴドヴァンらに言い放つ。
言外に『あなたがたよりは』と言っているように、セニアには聞こえた。ただ、さらに言うと、メイスン自身よりも役に立ったのだが。
ゴドヴァンとルフィナが揃ってメイスンを睨みつける。
(だめっ、おじ様。このままじゃ、おじ様のせいで皆がバラバラになっちゃう)
どうしても勝手に階層主を倒したときのゴドヴァンらの『帰るぞ』が脳裏をよぎってしまう。
「ひえぇっ、セ、セニア様が、ま、守ってくれたのと。と、とにかく、ち、近づいて、ほ、ほしくないので、ひぃぃぃっ、ま、またお願いします」
ガードナーが腰を抜かして叫んだ。
クッとゴドヴァンが吹き出す。ルフィナも仕方ないわね、という顔でため息をついた。とりあえずメイスンだけではなく、ガードナーとしてはゴドヴァン、セニアにも盾として、いてほしくてたまらないらしい、とよく分かった。
「まぁ、ガードナーが目を離せないから勘弁してやる」
低い声でゴドヴァンが言い、前を向く。
まだ最初の小島にも辿り着けていない。先が思いやられてセニアも肩を落とすのだった。




