240 挿話〜シオン暗殺計画前段
「本当にやるのか?」
禿頭の商人アンセルスが尋ねてくる。
ここまでミリアら実行犯をアスロック王国から先導し、シオン離宮へ潜入するところまで手引きをしてきたのだ。ちょうどセニアらが魔塔攻略に着手し、ドレシア帝国全体が比較的に手薄な状態である。国境も緩かった。
「ええ、やるしかないでしょ」
ミリアは少し離れたところにいる、12名の愛想も笑顔も無い男たちを一瞥して答えた。
12名はマクイーン公爵がつけてきた一団だ。今は庭師の格好を偽装しているが、いずれも間違いなく手練で腕が立つ。土壇場でミリアが裏切れぬよう付けられた監視でもあった。
「でないと、アイシラ様のご家族にマクイーン公爵が何をするのか、知れたもんじゃないわ」
ミリアはこれから討ち入る荘厳な離宮を見上げた。今、集まっているのは人気の少ない裏口である。
ドレシア帝国西部の町ルベント。第1皇子シオンが滞在するだけあって、温暖で過ごしやすく人口も多い。更には平和でもあって。アスロック王国では考えられない豊かさを感じさせられる。
「本来ならアイシラ様も」
アンセルスが物憂げに言う。離宮に美しい町並みに視線を送っていたのだから、おそらくミリアの思いが伝染してしまったようだ。
「そういうこと、言うもんじゃないわ」
同じ思いを抱きつつ、薄く笑ってミリアはたしなめた。
アイシラほどの幻術士であれば、どこででも楽に生きていける。心の唯一弱いところ、家族を盾に取られたのでなければ、多少の悪事に手を染めてでも、もっと豊かな国で幾らでも幸せを手にしていたはずだ。本人の大好きな幻術の使い方も変わっていたのではないか。
(落ち目の国の、次期王妃だなんて。本人は幻術以外、ほんっとうに、なんにも興味も無いようだけど)
ミリアは時折、年少の恩人アイシラを見ていて、もどかしくなることもあったのである。
「すまんが、いざ始まれば、俺はなんの役にも立たん」
アンセルスが申し訳無さそうに言う。
お互いに命を失いかけた上で、アイシラに救われて今がある。甘ったるい感情などなく、間にあるのはアイシラに恩義を返そうという共感だけ、いわば同志なのだ。
「ここまで、私たちを手引きしてくれただけでも、十分過ぎる働きよ」
ポン、と肩をたたいてミリアはアンセルスの苦労をねぎらった。
現在、アスロック王国とドレシア帝国はガラク地方で戦をしている最中なのだ。いくら手薄とはいえ、ここまで大過なく連れてくる、というだけでも並大抵の苦労ではなかったはずだ。
今頃、残してきたアイシラがどうしているのか。ちらりとミリアは考える。
珍しく、マクイーン公爵に対して感情を剥き出しにしてくれていたことを、ミリアは思う。さらには何度も、出発するまで心配の言葉をかけてくれた。
(それだけでも、私には十分過ぎる報いだわ)
ミリアは屋敷の裏側からじいっと、シオンの離宮を眺める。
中にいる人は決して少なくはないことが窓越しにも見て取れた。
(本当に、無茶な要請だわ)
どう見ても武装している人影も多く窓をよぎっていく。
ミリアは常に要求だけを一方的にしてくるマクイーン公爵に怒りを覚えていた。
(知りもしないで、よくも手薄だなんて言えたものね)
思いつつ、ミリアはため息をついた。
どれだけ理不尽でも拒否権などない、という結論に結局、最後には行き着くのだ。
「庭までは問題なく入れる。そこから先は、あんたらの仕事だ」
アンセルスがマクイーン公爵の配下、主に私兵長とでもいうべき年嵩の兵士に説明している。
合計20名の集団だ。12名のマクイーン公爵の私兵に対してミリア本人。加えて本物の庭師たちである。
本物の庭師についてはアンセルスに買収されたうえ、家族まで人質に取られていた。逆らいたくても逆らえまい。
(欲を張る者はどこででも報いを受ける)
ミリアは冷ややかな眼差しを庭師たちに向ける。巻き添えで殺されたとしても文句を言う権利もないのだ。
かつての商人としての伝手を総動員して手配したのだった。アンセルスはかつての信頼を食い潰してまで、アイシラのため尽くしているのである。
「そうだな、殺しについては我らがやる。貴様はもう、用済みだ」
マクイーンの私兵長がアンセルスに告げた。これっきりの関係であり、いちいちミリアも名前など覚えていない。が、不穏な言葉だ。
殺気が漏れ出している。コトの漏洩を恐れてアンセルスを消しておこうということか。
「余計なことをするのなら、私たち、ここで同士討ちしてもいいのよ?」
ミリアもまた、私兵長の背後に忍び寄る。そして、殺気をにじませて、相手の耳元で囁く。相手が12名であってもただでは済まさない自信もある。
「あくまで、任務は第1皇子シオンの暗殺でしょう?」
余計な戦いは人目を引いて計画を失敗させる。
マクイーン公爵の私兵たちにとっても避けたい事態のはずだ。
「ふん、まぁいい、行けっ」
兵士長が鼻を鳴らしてアンセルスを追い立てようとする。
アンセルスが布で禿頭を隠しつつミリアの傍に寄った。腕は立たないものの、肝が太いのだ。下らない脅しになどいちいち動じない。
「必ず生きて帰ってくれ。アイシラ様のために、な」
切実な顔でアンセルスが言う。
生還が難しい仕事だ。暗殺に成功しても失敗しても。
本当はお互いに分かっている。
「ええ、私もそのつもりよ」
ミリアは拳を握ってアンセルスに見せつける。
アンセルスが頷く。
いざ計画が実行に移されればアンセルスも追われる。アイシラのため、せめてアンセルスには生き残って貰わねばならない。
(私が生きて帰れれば、それで、そっちのことは心配はなしなのだけどね)
アンセルスの背中を見送りつつミリアは思う。
庭師の作業用具の中に、皆で武器を隠した。
念のため、ミリアは1番最後にしまう。ギリギリまで得物を手放したくはなかった。
「我らが護衛や守兵どもを引き付ける。庭の真ん中と正門付近におびき寄せる」
庭師たちについて、下を向いて歩きながら私兵長が囁く。
「お前が本当にやれるのなら。お前が第1皇子シオンを仕留めろ」
束の間、誰何されたので黙った。
計画どおり、庭師たちの長が裏門の守衛に説明している。今日の作業がいかに大変で臨時の人手が必要かを説いているのだ。
門番が頷く。あっけなく敷地内に入れた。
やはりアスロック王国と違い、根は平和ボケしている国なのだ。
「分かったわよ」
ミリアは離宮を仰ぎ見た。
下見を繰り返してシオンの居室は割り出している。
3階の真ん中にある広い窓の部屋だ。確実に3階の部屋まで行きつけるのは自分くらいのものだろう。
(窓辺に来てくれれば簡単に首をはねてやるのだけど)
ミリアはふと卑劣な不意討ちで他者の命を奪おうとする今になって、自身の人生は何だったのか、と思う。
アスロック王国に生まれて、国のために働きたくて騎士となった。真面目に勤めていたというのに、つまらない、理不尽な理由で処断されかけて、アイシラが救ってくれたのだが。
(いざ、しくじっても、成功して捕まるにしても。非がアイシラ様や国に及ばないよう、身分も隠しての汚い暗殺なんて、ね。私は一体、何なのかしら)
もはや身分を示すものすら何1つ持たず、誰でもないものとして、この戦いへと身を投じている。
ミリアは唇の端を無理に吊り上げて笑う。
(でも、なんとか生き延びて、再びアイシラ様に仕えたい。私を必要としてくれる、あの方のために)




