239 青空を見上げて
「あんの、大馬鹿野郎っ!」
天幕の外側から、ゴドヴァンの野太い怒声が響いた。空気まで震えるかのような剣幕だ。
ちょうどクリフォードとガードナーがお互いの魔術についての話し合いや連携の仕方について打ち合わせをしているところだったのだが。
2人が驚いて止まるほどの剣幕だ。
「どうしたんですっ?」
手持ち無沙汰だったセニアは外へと飛び出した。
すぐに事態を理解することとなる。
魔塔天井、高さも分からないながら、青空が広がっているたのだ。
「おじ様」
思わずセニアは声を上げた。
偵察に出ていたはずのメイスンが、階層主を倒すところまで、独力で成し遂げてしまった、ということだ。
「丸一日、帰って来ないと思ったら。何なのよ、あの人」
同じく青空を見上げて、紫髪のルフィナが無表情に、渇いた声で告げる。
気持ちは、セニアにもよくわかった。
まだ、第3、第4、第5階層が残っているとはいえ、自分たちは何の為にいるのだと虚しくなってしまう。
「結果が良ければ、というわけにはいきませんね」
クリフォードも苦笑いして言う。
勝てたから良かったものの、階層主は手強い。もし死んでいたら人知れず、ということであり、ただの犬死にだったのだ。
「ルフィナ、帰ろう」
低い声でゴドヴァンが言う。
声を聞くだけでセニアは背筋に寒気を感じてしまった。
「そうね」
軽く返すルフィナからも、いつにない怖さと冷酷さをセニアは感じた。
「あの野郎が俺等なんか要らねぇ、と。そう来るんなら、独りでやらせる。奴が死んだところで仕切り直しだ」
確かにゴドヴァンの怒りもよく分かる。
シェルダンやペイドランが同じことをしたなら自分も詰め寄ったはずだ。
(もっとも、あの2人は絶対にそんな無茶しないけど)
セニアにもまた、2人の仕事について、信頼できるということがどれだけ大きかったのか、今、痛感しているのだった。
(でも、ここで皆がバラバラになってはだめよ)
斥候でしくじったからといって、メイスンを死なせるわけにはいかない。あまりに極端な対応だ。
「ま、待ってください。きっと、何か理由があって」
なんとか思い止まらせようとセニアはゴドヴァンとルフィナに言う。
勝ったとはいえ、階層主を相手取ったのであれば負傷しているかもしれない。セニアは急に心配になってきた。
ガードナーも天幕から這い出してくる。青空を見上げて、目を丸くした。
「こ、これ、さ、さっきクリフォード殿下の仰ってた、勝った後の、ま、魔塔ですか?」
皆を見回してガードナーが言う。
「た、戦わなくて、す、済んだんですか?い、1階分」
心底嬉しそうにガードナーが言う。
なんとなくペイドランとは違った愛嬌があって、ついついセニアは吹き出してしまった。
「お、俺、な、何か変なことを?」
困り顔をクリフォードに向けてガードナーが言う。
ゴドヴァンが深々とため息をついた。見ると苦笑いを浮かべている。
「いいか」
ゴドヴァンが切り出す。ぬっとガードナーに顔を近づけていた。
「ひ、ひええぇっ」
ガードナーが悲鳴で相槌を打った。
「まったく。メイスンのやつが勝手に独り相撲して階層主を倒しちまった。本当はそういう勝手なことは、しちゃいけねえことになってる」
丁寧にゴドヴァンがガードナーに言い聞かせている。
ルフィナも苦笑いして、大きなゴドヴァンの背中をさすさす撫でていた。
2人とも怒りという名の毒気をガードナーに抜かれてしまったようだ。
「じゃ、じゃあ、メイスンさんには、な、何か罰を?」
今にも悲鳴を上げそうな口調でガードナーが尋ねた。
「あーぁ、そうだな。厳罰で何発か殴ることとする」
ゴドヴァンがニタァっと笑って宣言した。
どうやら見捨てて帰る、という考えは捨ててくれたようだ。ただ、ゴドヴァンの馬鹿力で殴られればただでは済まない。
それはそれでやめてほしい、とセニアは思う。
「はぁ。まぁ、そうね。1階層分の体力魔力を温存出来たと思うことにするわ、私も。本当に優しいんだから、ゴドヴァンさんったら」
しぶしぶルフィナも惚気けながらメイスンを許す方向で賛成してくれる。
「でもね、階層主相手にイチかバチかの賭けに出るだなんて、斥候としては1番やってはならないことなのよ。見つけられなくても帰ってくるべき。勝てそうでも、ね。メイスンの判断力には、もう信用がおけないわね」
重ねてルフィナが念を押す。
ゴドヴァンは言うまでもなく、クリフォードも頷いていた。
セニアも我が身に置き換えて考えてみる。もし自分であったなら、最悪の場合、1人ででも戦おうという覚悟はあるものの、それは最早、別のことだ。実際にはすべきではないと分かる。
(確かにシェルダン殿やペイドラン君が1人で階層主と戦うなんてことはなかったし。いつもある程度、状況が分かった状態で動けて、気は楽だった)
役割を果たすということに徹していた、あの2人の有り難みが改めてセニアにも分かってきた。
「とりあえず、奴が戻ってくる気配もねぇ。探してやるか」
ゴドヴァンが苦笑いして告げた。
ガードナーが天幕を不器用な動きで片付ける。頭に畳み方などは入っているようだが、とにかく手先が不器用らしく端と端がズレていた。
セニアも手伝ったものの似たようなものであり、やはり自分が畳んだところもズレている。
「す、すいません、すいません」
ガードナーが謝りながら畳んだ天幕や背嚢を背負ってよろけている。
ゴドヴァンがガードナーの荷物を手に持ってやった。
「ひ、ひええぇっ」
ガードナーが礼を告げた。
「全く、シェルダンの部下とは思えねぇな」
ガードナーを誘ったメイスンのことはさておいて、ガードナー本人にはゴドヴァンもルフィナも辛く当たってはいない。含むところはないようだ。
ホッと安心しながらセニアは皆とともにメイスンを探す。
「あれだな、転移魔法陣が見える」
いつものようにゴドヴァンが遠くを見据えて告げる。
「転移魔法陣の近くにまだ、おじ様、いるかもしれません」
セニアはゴドヴァンの顔を見上げて告げた。
「少なくとも近くにはいるかもな」
頷いてゴドヴァンが皆を転移魔法陣の方へと先導する。
もはや階層主を倒した以上、何の障害もなかった。
「勝手に第3階層へ行っていないといいけど」
ルフィナが不安がらせるようなことを言う。
自然、セニアは脚を速める。先頭に出た。
自分たちの近付く気配を察して、むくりと起き上がった人影。
「いや、助かりました」
メイスンの第一声である。苦笑いして謝罪をした。
「シェルダン殿やペイドラン君のようにはいきませんな」
この言葉からして、メイスン自身にとっても、相当、斥候の役目は大変だったらしい。
「おい、執事、何か言うことがあるんじゃねぇのか?」
険悪な口調で、ゴドヴァンが言う。手を握ったり解いたりを繰り返している。今にも殴りかかりそうな気配だ。
「さて?」
だというのに、メイスンが挑発するようにとぼけてみせる。
「てめぇっ」
ゴドヴァンが気色ばんだ。
ルフィナの眼差しも怖くなるほど冷ややかに刺さる。
「失礼を。分かっております。しくじりました。いや、申し訳ない」
素直にメイスンが頭を下げた。
「階層主を見つけたものの、逆に私も捕捉されてしまい、なし崩しに戦闘となりました。幸い、勝てましたが、運が良かっただけです」
さすがのメイスンも単独で階層主と違う羽目になり、かなり堪えたようだ。
(そこで勝ててしまうのが、いかにもおじ様らしいけど)
セニアは苦笑いである。
「分かった。殴るのも勘弁してやるがな」
ゴドヴァンがメイスンを睨みつけて言う。
「そうね、でも、こんなしくじりするようなら、単独斥候は無理だわ」
ルフィナも言葉を添える。
セニアはクリフォードを見やった。クリフォードも苦笑いしつつ頷いてみせる。
確かに次からは皆で階層主を探して動くほうが、いいかもしれない、とセニアは思うのであった。




