238 ガラク地方の魔塔第2階層3
(まだ、私の倒した魔物の死体が残っている。辿ればセニア様たちへの元へと戻り、更にはここへと戻ってくることも可能だろう)
慣れない環境に、地図を引けなかった不手際もあったものの、無事に役割を果たすことが出来たのだ、とメイスンは思う。
多少、気が抜けてしまったところもあるだろうか。
メイスンは一歩、後ずさった。慎重に下がったつもりだったが。
パシャリと水の音が響く。ガリガリとロットフットを齧るキングロブスターが動きを止めた。
(なにっ)
慌てて上体を動かした結果、さらに片刃剣が黒岩と接触して、カツッと高く、よく響く音を立ててしまう。
細長いキングロブスターの頭が完全に自分の方へと向いた。
無機質な黒い目が自分を捉える。
「しまった!」
勘付かれたことに動揺しつつも、すぐにメイスンは自分を立て直した。
(退がれば水流を飛ばしてくる。人間の骨など容易く砕けるほどの威力だという)
冷静にメイスンは、片刃剣を構える。
キングロブスターのハサミが自身に向けられていた。
メイスンは即座に横へ身を躱す。水流が走る。案の定、先ほど自分のいた位置の後方にあった黒岩が粉々に砕けて散った。
「ちいぃぃっ」
声を上げながら、メイスンは支給品の片刃剣でもって、斬り掛かっていく。
逃げることは諦めた。幸い、斬れない相手ではない、はずだ。はずであってほしい。
鋭い真ん中の2対4本の爪足が突きかかってくる。
掻い潜ってメイスンは斬りつけてやった。
(硬いかっ!)
剣ごと弾き返されるような手応えだ。脆いと見た、甲殻の隙間でさえもかなり硬い。
メイスンは一旦、大きく飛び退いた。
ガジハゼ3匹が岩の合間から飛びかかってくる。
(煩わしい)
メイスンは表情1つ変えずに斬り倒すとそのまま剣を納める。
代わりにシェルダンからの餞別である、月光銀の名剣を抜き放った。
「見たところ、貴様。関節などは甲殻ほど硬くはあるまい。そこを、この名剣で斬り裂いてやろう」
自然と強敵を前にして、笑みがこぼれてくる。
本当は、笑ってなどいられる状況ではない。相手は階層主なのだ。一対一をやる羽目になっている段階で、立場としては失敗である。そんなこととは別に剣士としての闘志が昂ぶってくるのだ。
(私はこうやって生きてきたのだ)
もう、声に出すのもやめた。
魔物と意思疎通など出来るわけもないのだ。
案の定、自分の言葉など無視して、キングロブスターが両腕のハサミから水流を放ってくる。
「光壁」
メイスンは光の壁でもって水流を防ぐ。神聖術の幅は実際のところは、法力による光を自在に操ることであり、教練書の説く技だけにとどまらない。
自身が剣に法力を纏わせていたことから、メイスンは幾つかの技を、自分なりに編み出していた。
光壁もその1つだ。大した技ではない。ただ法力を壁とするだけ。セニアも少しコツを掴めば簡単に出来るだろう。
一瞬しか持たない。
(だが、一瞬で十分だ)
キングロブスターの尾が水面に浸かっていることに、メイスンは気付いていた。尾から水を吸い上げて遠距離攻撃を行なっているのだ。
メイスンは水流と光壁が激突した横をすり抜け、キングロブスターの左後方へ回る。
「じえぃっ!」
裂帛の気合とともに体節に沿って、斬撃を放った。法力も纏わせた斬撃である。レナートの使っていたという光刃の下位互換だ。
(私は広く放出することは出来ん。だが、一点集中なら可能だ)
あくまで自分は消し飛ばすのではない。斬るのである。
尾と本体が切り離されて、キングロブスターがよろけた。切断面がポンプのようになっているのが見える。
「これでもう水流は使えまい」
メイスンは告げて大きく距離を取った。
黒い岩に挟まれた空間である。躊躇なく距離を詰めてくるキングロブスター。小回りが利くようにも見えない。
メイスンは片刃剣を手にしたまま懐に潜り込んだ。
尖った爪を持つ真ん中の2対4本の脚が襲いかかってくる。
メイスンは右へ左へ避けながら、隙を見つけては1本ずつ、接合部を狙って斬撃を放つ。
(うぬっ、素晴らしい斬れ味だ)
名剣の斬れ味に高揚しつつ、メイスンはキングロブスターの身体を斬り裂いていく。
自身も無傷では済まなかった。軍服越しに掠めた爪が肌にも傷をつけていく。血がにじむのを感じる。重装歩兵のように鎧を装備していれば防げるのかもしれない。
(だが、それでは鎧で防げない攻撃が来たときに回避することが出来ぬ)
動きを阻害される方が自分には致命的だ。
思いながら自身より巨大な相手を、技術と動きで圧倒していく。
ついには4本全ての脚を切り落とすことに成功した。
「ちぃっ」
まだ2本のハサミが残ってはいる。
振り下ろされた一撃を、メイスンは最低限の動きでいなすように躱した。
「とどめだ」
メイスンは法力を纏わせた剣先で、無防備となったキングロブスターの腹部に、存分の法力でもって、十文字の斬撃を放った。
噴き出すキングロブスターの体液。腹部が崩れたことで上体も落ちてくる。
さらにもう一撃。メイスンは力を振り絞って十文字の斬撃を放つ。これもセニアやレナートには出来ない、今のところ自分だけの技だ。
(見えたっ!これが核かっ!)
四つ切にされたキングロブスターの身体、その中枢。
黒光りする球体が見えた。
「閃光矢」
メイスンは光の矢を放って、キングロブスターの核を砕いた。
瘴気が晴れて、青空が広がる。
キングロブスターの死骸が音を立てて崩れていく。
完全に敵の気配がしなくなったことを確認して、メイスンは大の字になった。
「ふふっ、やってしまった」
青空を見上げてメイスンは呟く。
赤い転移魔法陣がすぐ脇に生じている。
斥候としての役割を果たすことなく、独力で階層主を倒してしまった。
(他にもう、私には手がなかった)
道にも迷い、再度魔物に囲まれ続けていたら、セニアたちの元へ無事生還できていたか、微妙なところだ。
(この階層自体を無力化したのだから。体力が回復次第、ゆっくりセニア様たちを探すこととしよう)
メイスンは自分なりに戦果を挙げられたことに満足しつつ、体力の回復に努めるのであった。




