236 ガラク地方の魔塔第2階層1
視界が変わるなり濃い緑色の魚が飛んできた。丸っこい、玉のような身体つきをしているが、可愛げは全くない。見るからに鋭い牙を剥いて噛みついてくるからだ。
「ちぃっ」
メイスンは舌打ちする。第2階層入りして早々の攻撃だ。
足場は岩。踏ん張って、メイスンは突進してくる魚を片刃剣で切り裂いて倒す。
(1、2、3、4)
数えながら呼吸を整えていく。心気も澄んで敵に集中する。次々に飛びかかってくる魚を次から次へと切り裂いていく。短いヒレを脚のように使い、地面から跳ね上がってくるのだ。
何匹倒したのか。一方向から一匹ずつとは限らない。牙が掠めた箇所に血が滲む。
ようやく攻撃が止んだころには、十数匹もの魚が死体となって転がっていた。
(これは、確かガジハゼと言ったな)
岩の上で跳ねる魚だ。よく見ると黄色と濃い緑色のまだら模様であり、胸ビレと尾ビレによって強力な突進を行う。注意せねばならないのは突進からの噛みつきだけだ。
(岩場と水場が入り交じる地勢、か)
メイスンは、油断なく周囲の状況を視認する。
襲ってくる魔物もいないまま5分ほど待つと、他の皆がきらびやかなオーラを纏って一斉に姿をあらわした。
「うおっ、くせぇっ」
ゴドヴァンが第一声をあげ、顔をしかめた。咎めるようにメイスンを睨み付けてくる。
「本当ね、汚いし臭いわ。シェルダンなら、魔物を始末したあと、掃除する余裕も見せてくれたものだけど?」
ルフィナもゴドヴァンに同調した。
当然、メイスンは2人の戯言を無視する。
この2人はシェルダンに甘えていて、いつまでも埒のあかない文句をしつこく繰り返す。口ばかりで言う程の実力はないのだ、とメイスンには分かってきてもいる。セニアらと違って伸びしろも少ない。
(私がいれば、この2人は要らないのではないか?)
メイスンは2人を睨み返して思う。
ゴドヴァンの剣技もルフィナの回復術も、自分で十分に代用は可能ではないか。
「さすがです、おじ様」
セニアが聖剣を片手に微笑んで言う。侯爵令嬢でありながらも魚の血も臭いも気にする様子はない。逞しいものだ。心強くすらある。
「不意討ちに耐えてくれれば十分、という気もしますが」
遠慮がちにクリフォードも理解を示してくれた。
若い2人の方が妙な屈託もなく、素直な反応を見せてくれる。
「ひ、ひええぇっ」
1名、悲鳴しかあげられない、魔術師のヘタレもいるのだが。
「最早、貴様もこれぐらいは余裕で捌けるだろうが!胸を張れぇっ」
そして、一喝すると落ち着くのがガードナーの不思議さだあった。
怒鳴られるのを嫌だと思わないのだろうか。
不幸中の幸いであるのは、ゴドヴァンとルフィナの嫌悪が向けられているのは自分だけということだ。なぜだかガードナーには優しい。
(まぁ、子供みたいな世代だからな。張り合うのも馬鹿馬鹿しい、か)
自分も歳が近いからゴドヴァンらに対してはムキになる部分もあるのだった。自覚はある。お互い様なのだ。
ガードナーに手伝わせながら、メイスンは天幕を張る。更には中で聖なる香木を焚きしめた。セニアたちが少しでも快適に過ごしてくれれば、と思う。
「で、でも、なんで、こ、ここで、待機なんですか?み、みんなで行けば」
ガードナーが珍しく真っ当な疑問を口にする。
「隊長やペイドラン君もそうしていたらしい。主力であるセニア様らの主力が、戦力を落とすことなく、魔塔の階層主に挑む。そのためには軽装歩兵による索敵、斥候が必須ということだ」
メイスン自身もまだ、有用性に確信の持てない話ではあるが、ガードナーに説明してやった。
「で、でも、メ、メイスンさんの方が、いまは、セ、セニア様より強いんじゃ?」
とんでもないことを言い出す男である。
メイスンはガードナーの頭をパコンと叩く。
「そんなわけがあるかっ、当代の聖騎士様だぞ?いざ始まればうちに秘めた力を、どんどん、ずんずんと発揮されるものだ」
ここぞというときの集中力や瞬発力には目覚ましいものがある。見えているだけの姿でセニアを評価してはならない。
(しかし、こやつ、見えてはいる、と。やはり素質は大したものなのだな)
内心ではメイスンも感心するのであった。『いまは』というのはそういうことだ。
「ひええええっ」
だが悲鳴ですべてが台無しである。
ため息をついてメイスンはガードナーとともに皆の元へ向かう。
「では、しばし、お暇であります」
丁重に、メイスンはセニアとクリフォードに頭を下げた。
腰には予備としてある月光銀の名剣を差し、持ちうる限り多量の香木と兵糧を背嚢に納めてある。
「おじ様。無理だけはなさらないでね」
心配そうにセニアが言う。
ガードナーが自分とセニアとを見比べて微妙な顔をする。更には首を傾げていた。やはりセニアのほうが弱いとでも思ったのかもしれない。
(よし、後で修正だ)
メイスンは決意するのだった。
「まぁ、戦う力だけならシェルダンやペイドランより強いかもしれないぐらいだからね」
クリフォードも自分には概ね好意的だ。
きっと自分のことを未来の義父ぐらいに思ってくれているのではないか。同じ魔術師ということでか、ガードナーともよく話をしてくれている。
(この一行、私とゴドヴァン様らが揉めていても決裂まではしていないのは、殿下もセニア様と一緒になって、間に入ってくれているからだが)
ちらりとメイスンは様子を窺う。
ゴドヴァンとルフィナからは見向きもされない。
「ご期待に応えてみせましょう。では」
構わず、メイスンはすたすたと岩場を歩き始める。
少し天幕から離れると早速ガジハゼに飛び掛かられた。天幕の周辺は自分が準備している間にも、ゴドヴァンが駆除していたのだ。
(まぁ、それぐらいは働いてもらわねばな)
礼を言う程のことではない。
抜き身の片刃剣を手にしたまま、堂々とメイスンは進んでいく。ゴドヴァンになどは見向きもしなかった。
敵意を向けられれば、たとえ魔物が相手でも自分には分かる。
「ぬっ」
メイスンは伸び上がるようにしてあらわれた赤く細長い魔物を睨む。高さだけなら5ケルド(約10メートル)はありそうだ。
ロットフット、というゴカイに似た魔物である。いくつもの体節で構成される身体には斬撃の効果が薄い。斬りつけても幾つかの体節に分かれて一つ一つが取り付いて獲物の体液を吸おうとするのだという。
ペイドランから貰ったビーズリー家の冊子にも載っていた。
「では斬らぬ」
メイスンは無数の閃光矢を生み出し、一つ一つの体節全てに叩き込んでやった。真ん中には神経節が走っているそうだ。
そこを正確に狙い撃ってやったので、すぐに動かなくなる。
倒れたロットフットの脇を悠然とメイスンは進む。
早速飛びかかってきたガジハゼは切り払ってやった。
再び戦いながら進む。
途中で、はたと立ち止まる。
(ぬっ、困ったな)
メイスンは重大な見落としに気付き、停止してしまうのであった。




