232 ガラク地方の魔塔第1階層1
瘴気を思わせるどんよりとした曇り空に、圧倒的な水量。彼方の水面には生け簀が並んでいるのも見える。ただ、働いている人がいない。皆、避難したのだ。
ガードナーにとっては、生まれて初めての海だった。
潮の匂いを運ぶ海風も同じく初めてだが、高揚感はない。海沿いの崖から見下ろす海辺で、友軍とシーサーペントとの戦闘を目の当たりにしたからだ。
重装歩兵たちが隊列を組んで、上陸しようとする巨体を食い止め、後衛の魔術師たちが詠唱を始めている。
(あんなもんなんだ、本職の人たちも)
単純な魔力だけなら、自分の唱える雷魔術が彼ら数人分の威力であると、容易に見て取れた。
安全地帯にいるのを良いことに、ガードナーは助けてやろうという気になる。
小声で詠唱を始め、術式を展開、中空に黄色い魔法陣が浮かぶ。まだ慣れない魔術なので少し時間がかかった。それでも数秒の違いだ。
詠唱の時間も自分のほうが圧倒的に早いと知った。ただし雷魔術だけである。
「ライトニングアロー」
他の魔術師の術に上手く混ぜ込んで、ガードナーは崖上から、自身最大射程を誇る雷撃、雷の矢を放った。威力はサンダーボルトよりも少し落ちる。
自分でも随分と変わったものだと思う。今までは自分から戦おう、攻撃しようなどと思ったことはない。
(助けにはなれたかな)
ほぼ一撃で決まったことに、現場の人々が驚いている。
シーサーペントが痙攣して息絶えるのを確認して、ガードナーは背中を向けた。陣営のほうへと戻る。陸地の方を見ると嫌でも巨大な黒い魔塔が視界に入るのだ。
昨日は陣営が少し騒がしかった。リュッグが言うには聖騎士セニアと第2皇子クリフォードたち『魔塔の勇者』が到着したのだそうだ。
(いよいよ、中に入るのかな)
魔塔を見上げてガードナーは思う。前回のものより少しだけ低い気がする。ただ太い。魔塔にもそれぞれ違いがあるようだ。
「あまり、独りで歩くなよ」
分隊の待機している位置にまで辿り着くと、苦手な筋肉男のデレクが声をかけてきた。今は陣地の内側にいるので、シェルダンもあまりうるさくは言ってこない。外縁部の配置になると、厳しくなるのだが。
「ひえぇっ」
小さくガードナーは悲鳴をあげる。
デレクがため息をついた。
「お前は、魔術が使えるのはすげぇけど。魔物に不意をつかれて、距離、詰められるときついだろ。嫌かもしれねぇが、言ってくれりゃ、前を張ってやるよ」
シェルダンかハンター辺りの薫陶によるのか、まともな助言をデレクがくれた。
ちゃんとしたことも考えられるのか、とガードナーはとても失礼な感心をする。
確かにいくら魔術が使えても、単独で魔物に襲われればひとたまりもない。せっかく鍛えた技術も能力も空しいものとなってしまう。
おとなしくガードナーは頷いた。ただ、内心では同行してもらうとなれば別の人間に頼むだろう、とも思いつつ。
既に、第3ブリッツ軍団が魔塔近くに布陣して10日が経過している。割合に、ゲルングルン地方の時よりも魔物との戦闘も少なかった。
「いよいよ始まると。明後日の早朝、魔塔内部への進軍を始める」
夕刻、シェルダンが分隊員を集めて告げた。小隊長から知らされたのだという。
(今回は隊長、特命を受けたり上層行ったりしないのかな。俺も連れてって貰えないかな。俺しか魔術使えないし、頼って貰えたら嬉しい)
魔塔攻略に功績ありと、実家にも知れ渡るほど活躍すれば、さぞや気分が良いだろう。
「また、魔塔内部への進軍前には、有り難い、激励のお言葉をクリフォード殿下から頂けるそうだ」
皮肉な笑みを浮かべてシェルダンが言う。下らないとでも思っているのかもしれない。他の分隊員がシェルダンの笑顔に微妙な顔をする。古参の隊員たちはシェルダンが笑うと碌なことがない、と思っているからだ。
シェルダンにとっては下らなくとも、ガードナーにとっては胸の熱くなる光景である。
(何てったって、魔塔の勇者様たちなんだから)
雑誌でも魔塔の勇者たちを取り扱ったものは漏れなく購入して目を通してきた。貧弱で情けない、異相の自分などとは違う人々、つまりは英雄なのだ。
「嬉しそうだね」
リュッグがにこにこ笑って言う。戦う前に笑うリュッグも珍しい。
無事、通信技術士官の試験に通ったのだ、と既にガードナーも知らされている。
我が事のようにガードナーも嬉しかった。
ただ、浮かれ過ぎていた、ということでリュッグ本人がしばしばシェルダンから叱責を受けている。真面目なリュッグにしては珍しい光景で最初のときにはガードナーも驚いた。
「え、英雄なんだから。そ、そんな人たちを生で見られるんだよ?」
ガードナーは勢いよく頷いた。顔をあげるとムスッとしたシェルダンがリュッグの横に立っている。
「ひええええっ」
ガードナーは悲鳴で挨拶をした。あくまで、挨拶である。
「まったく、何を馬鹿なことを」
コツン、とシェルダンから軽く額を小突かれてしまう。悲鳴の件はあくまで無視である。
「リュッグの次はガードナーか。魔物が少ないのも気が抜けて考え物だな、まったく。2人とも気合を入れ直せ」
改めてしっかりと、2人並んで叱られてしまう。浮ついていることが如何に命を縮めるかを力説された。
「まったく、合格通知を戦地に寄越すなと、苦情を入れてやる」
ブツブツ言いながらシェルダンが離れていく。さらには試験管理の部署に苦情を申し立てるか通信部門に告げるべきかを真剣に悩み続けているのが、いかにもシェルダンらしかった。
(た、多分、く、苦情は本当に言うんだろうな)
なんとなくガードナーは笑ってしまうのだった。
その2日後の早朝、第3ブリッツ軍団並びに第4ギブラス軍団総出で魔塔前に整列させられる。軽装歩兵、重装歩兵、魔術師軍団に騎馬隊もすべて、だ。
正面に設けられた壇上には聖騎士セニア、第2皇子クリフォード、ゴドヴァン騎士団長に、治療院のルフィナ院長が並んでいる。遠目にも、背後に控えるメイスン・ブランダードも見えた。
(あ、あれ、メ、メイスンさんだ。す、すごいな。セニア様たちの、す、すぐ後ろにいる。魔塔攻略に行くんだ、きっと)
ガードナーは思い、尊敬の念を新たにする。ただの傲慢な人物ではなかったのだ。
「我々はドレシア帝国に繁栄をもたらす!だが、それだけではない!」
クリフォードがよく通る声で檄を飛ばしていた。
「アスロック王国の民すら救う。彼らのためという意味でもまた、此度の戦は我々に繁栄と栄光をもたらすだろう!これは、歴史に残る大事業である!」
全軍の熱がクリフォードの言葉で上がっていく。
最後には全軍から上がるどよめきで、ガードナーの耳にはクリフォードの言葉が届かなくなったほどだ。
ゲルングルン地方の魔塔攻略時と同じく、クリフォードが炎を纏った拳を突き上げる。周囲の兵士と一緒になって、ガードナーも拳を突き上げていた。
(や、やるんだ。俺だって、う、腕を上げて、前より出来るんだ、って見せてやる)
そうすれば、いつか自身の実力で魔塔攻略に従事させてもらえる日も来るかもしれない。
夢のようなことを思いつつ、ガードナーは胸を高鳴らせていた。
(そ、それに、お、俺は恵まれてる。なんたって、シェルダン隊長はついてけば。間違いない分隊長だ)
更にガードナーは思い、安心するのであった。




