231 マクイーン公爵の暗躍
アスロック王国王都アズルにあるマクイーン公爵の屋敷を、アイシラは訪れていた。護衛の剣士ミリアも一緒だ。更には臙脂色のヴェールで顔も隠している。
(仕方ないわよね)
無防備に顔を晒して、独り歩きが出来る情勢ではない。ガラク地方を奪われたことで一般民衆に飢えが襲いかかっている。その不満は政務を担うエヴァンズと、聖騎士セニアを追い出す端緒となった自分に向けられているのであった。
(聖騎士セニア様を受け入れたドレシア帝国がどんどん順調に魔塔を崩しながら侵攻してきて、追い出したアスロック王国はこのザマなんだから)
アイシラにも自分たちを恨む民衆の気持ちは十分に理解できるのだった。
しかしマクイーン公爵の屋敷周りだけは相変わらず整然としている。そこだけ別天地のようだ。
無愛想な門番に訪いを入れると、まもなくマクイーンの元へと通された。
「このままでは、ドレシア帝国が圧倒的に勝ちすぎてしまうな」
椅子に埋もれそうな体勢のまま、指を絶えず動かしながらマクイーン公爵が切り出した。挨拶も抜きだ。いつもどおりに無駄を嫌う。
「アスロック王国が情けなくて、腐り切っているのは狙い通りなのでしょう?」
自分にとってはどうでもいいことだ。表情1つ変えずアイシラは言い放った。
例えば暴動が起きるのなら起きれば良い。荒れ狂う民草の中、幻術で自分は生き延びられるのだろうか。とても興味深かった。
(そして、生き延びられれば私はそれをもまた幻とする)
ここまで割り切って生きていると、人生そのものすら幻に思えてくるのであった。
「均衡が大事なのだ。極めて低く、醜いところで争ってもらわないとな」
マクイーンもまた表情を動かすことはない。
現在のところ、ドレシア帝国軍によりガラク地方はほぼ制圧されつつあった。代官レパルドの軍は未だ籠城戦を続けており、よく粘ってはいるが、ガラク鉱山周辺も魔塔周辺もドレシア帝国の手に落ちている。
「ラルランドル地方での、まったく不甲斐ない、何も出来ない敗戦が余分であった。さすがに何も出来ずに帰ってくるとは私でも読めなかった」
指だけを動かしながらマクイーン公爵が零した。心底、呆れ果てたという口調だ。
ガラク地方の沿岸漁業にエヴァンズが活路を見出していたこともあり、侵攻された結果、辛うじて保たれていた王都アズルにおける食の確保も難しくなっている。
アイシラはもちろん、エヴァンズもまた顔を隠さないと外に出られない情勢になった。
(私なんかはセニア様を追い出した悪女、と思われているものね)
アイシラからして、王宮の外を出歩くときはフードを目深に被って顔を隠さないと危険だ。ただ、実際は地味で平凡な容姿にも関わらず、派手好きという悪評が広まったおかげで、フードだけで隠せている、とも言えるのだが。
民衆からエヴァンズたちや自分を糾弾する声は日増しに高まっている。
(あの人も懸命は懸命なのだけどね)
自身の食事や生活にかかる費用を切り詰めに切り詰めているエヴァンズについて、さすがにアイシラも気の毒にはなるのであった。ここ数日でだいぶ痩せてしまっている。
「せめて、相手がひと呼吸置かざるを得ない程度の損耗は与えてほしかったがな。ワイルダーもいたのだから」
マクイーン公爵がまだ戦の話をしていた。
内容とは裏腹にさほど感情が動いているようには見えない。指と目玉だけが絶えず動き続けている。
「愚痴を言うために私を呼び出したのですか?」
微笑んでアイシラは尋ねた。珍しく今のところ、戦の文句しかマクイーン公爵が口にしていない。
ミリアが縋るように顔を向けてきた。いつもどおりの山猫のお面だ。顔が見えないまでも、不気味なマクイーンを『刺激しないでくれ』と思っているのがよく分かる。
「聖騎士セニアが2本目の魔塔を倒した。次は3本目、ガラク地方のものだ」
再び、マクイーン公爵が話題を変えた。
本題、ということだろうか。
「1冊目の教練書を奪った時、2冊目はなかったそうだが。確実に腕を上げているようだ」
マクイーンの目がギョロリと動いてミリアを捉えた。
ぶるりとミリアが身体を震わせる。
「時間差で2冊目を手に入れたようだな」
確かにマクイーンの言うとおりなのかもしれない。
「では、またミリアに教練書を奪って来いとでも?」
アイシラは話の行く先が見えないまま尋ねた。ここに来て聖騎士の教練書について言及するとは思わなかったのだが。
「先日、攫おうとしたことで、アンセルスはこちらの手の者とバレました。さすがに迂闊なセニアといえども、もう騙されないでしょう」
緊張と恐怖で声を震わせながらもミリアが言うべきことを言う。
「そうだ。優秀だな。あれが上手くいっていれば、それはそれで良かった。セニアが死ぬなら一番良い」
座ったままマクイーン公爵が告げる。
「閣下は聖騎士セニアの死をお望みですか?」
話の流れがどんどんキナ臭くなってきた。アイシラは緊張しつつも尋ねる。
「あの娘も腕は立つ。増して成長し続けているのでは、魔塔の外で殺すのは難しい。特にドレシア帝国と結託している内は更に、だ」
感情の篭もらない瞳がミリアに向けられる。まるで魔物が獲物を見るような、そんな眼差しだ。
なんとなく、アイシラも落ち着かない気分にさせられた。自分も自分でマクイーン公爵に家族の命を握られていることを思い出す。
「故にドレシアの方を崩す。枝が膨れ上がった大樹だ。幹の方を断てば良い」
マクイーン公爵が断言した。
倒すのではなく崩すとはどういうことなのか。
「ドレシア帝国への潜入自体はまだ可能か」
マクイーン公爵が更に尋ねてくる。
「それは、いくらでもやりようはありますけど」
ミリアが口籠る。気が乗らないのだろう。
先日の報酬により、新たな戸籍を手にしている。リリアンという名前で新たな人生を王都アズルの片隅で始めた。一応、アイシラ付きの侍女ということになっていた。恋人もいない気楽な人生をのんびりと過ごしている。
滅びかけている国の中にあって、理不尽な処断を受けかけたミリアの幸せをアイシラも素直に喜んでいた。家族以外に自分の幻術で幸せになりつつある、初めての人物なのだ。
「では、あの国の第1皇子シオンを消せ」
高いところのものを取ってくれ、と言うのと同じぐらい簡単な口調でマクイーン公爵が命じた。
「手練はセニアについて尽く魔塔入りするはずだ。そう、難しい仕事ではないだろう」
さらにマクイーン公爵が補足して告げる。確かに教練書を奪ったときも魔塔攻略中の隙を狙ったのであった。
「ミリアは、私の護衛ですけど」
静かな怒りを滲ませてアイシラは指摘する。
「そうだ。私はお前に命じた」
悪びれずにマクイーン公爵が言い放つ。
アイシラはギュッと唇を噛んだ。自分に言おうともミリアやアンセルスが実際は動かざるを得ない。幻術こそ使えるものの、殺しの技などアイシラは持っていないのだから。
「分かりました」
渇き切った声でミリアが呟いた。本人ももう実行に向けて悲壮な覚悟を決めているのだ。
「何度も言わせるな。私はアイシラに命じた」
すげなく言い切るマクイーン公爵。
(たとえミリアでも危ない)
アイシラはミリアの命を案じた。自分の幻術で得た、いわば仲間のようなものだ。
いざとなれば幻術をマクイーン公爵にかけて、シオンの首でも見せるしかないかもしれない。
(でも、そのためには)
シオン本人と誰かの死体が必要だった。
「やめておけ」
アイシラの意図を察したのか。マクイーン公爵の大きな目が自分を見据えた。薄く、不気味な笑みを浮かべている。
「私は、幻術に欺かれるほど、高度な存在ではないのだ」
言葉の真偽はともかくとして、意図を読まれていると幻術は酷くかけづらい。
アイシラはミリアの無事を祈るしかないことに気付くのであった。




