228 ペイドランからのお叱り
シオンの離宮、赤を基調とした布地の床を歩く。両面は木目の壁が奥へ奥へと伸びている。自身の離宮より豪奢な造りにシオンの人柄がよく出ていた。
「みんな、イリスちゃんが可愛いから、詮索しようとしてくるんです。油断も隙もないんです」
ペイドランが前を向いたまま、少し怒った口調で告げる。どうやら先のパターソンの件も、ペイドランが何をゴドヴァンたちに話すのかを知ろうとした、ということらしい。
(いや、君が面白いからだろう)
見ていて自分も面白い。シオンからして、護衛から離れようとしたパターソンを叱ろうともしなかったのだから、おそらく一枚噛んでいる。目配せぐらいしたのではないか。
クリフォードはシオンの離宮の現状を理解した。ペイドラン夫妻を中心に明るい雰囲気の中、忙しくも楽しく運営されているのだ。
(しかし、そもそも、この2人を引き合わせたのは私だと思うんだが)
シオンたちばかりがペイドラン夫妻を楽しんでいることに、クリフォードは強い不満を覚えた。
もっとも、先日の結婚式以降、ペイドランもイリスもゴシップ誌のせいで名が知れ渡ってしまったのだが。現シオンの従者と元セニアの従者の結婚である。考えようによっては、もはや、ドレシア帝国皆のペイドランとイリスなのだった。
(そういえば、セニア殿と兄上の仲を勘繰る記事の雑誌もあったな。握りつぶしてやったが)
木目の壁に挟まれた赤い床を行く。
途中、ペイドランが迷わず食堂に寄って、良さげな酒を一瓶、クリフォードに選ばせる。
「俺、まだお酒飲めないから。御二人のお酒には殿下が付き合ってくださいね」
ペイドランの中では自分は飲酒要員らしい。
複雑な離宮の中を先に立ってペイドランがズンズンと進んでいく。
客室に至った。
「ゴドヴァン様、ルフィナ様、失礼します。ペイドランです」
ペイドランがノックして訪うと、中から勢いよく扉が開けられた。
「おっ、ペイドラン、よく来たなっ!」
いつもの人懐っこい笑顔でゴドヴァンが迎え入れてくれた。
「もうっ、様なんてよそよそしいわね。私達のことはパパとママでいいのよ。で、孫の顔はいつ見せてくれるの?」
ルフィナもルフィナで窓辺の椅子に腰掛けて、優雅にお茶を楽しんでいた。
ペイドランが真っ赤になって横を向く。
「2人とも自分たちのプロポーズもまだなのに、俺らのこと、ふざけて言うの、駄目です」
横を向いたまま、ペイドランがやり返した。
ゴドヴァンとルフィナが意味有りげに目配せし合う。
(おや)
何か進展があったのかもしれない。
2人がクリフォードにも目を向ける。
「殿下も、よく来たな」
ゴドヴァンが自分には笑顔を見せてくれる。そしてルフィナの向かいの椅子に腰掛けた。
「そうね。しばらくは、ほっとかれると思ってたわ」
ルフィナも座ったまま微笑んでいる。自分とペイドランに近くのソファへ座るよう促す。
クリフォードは腰掛けるもペイドランが立ったままだ。
「正直、メイスンのことと分かっているかと思いますが」
むしろ、クリフォードのほうが決まり悪くなって切り出してしまう。
「まぁ、殿下とセニアちゃんはいいのさ。一緒に魔塔2本を攻略した仲だからな」
ゴドヴァンが苦笑いして言う。
「そうねぇ、一緒にお酒も楽しんだし、メイスンとは別よ」
ルフィナも柔らかな微笑み顔のまま告げる。
どう話したものか。クリフォードは頭を悩ませた。先に口を開いたのはペイドランだ。
「2人とも、メイスンさんを困らせちゃ駄目です」
思いの外、はっきりと強い口調にクリフォードは驚いた。思わず見ると憮然とした顔で立っている。
親代わり2人の方が怒られて、シュンとしてしまう。おとなしく揃って下を向いた。
「ちゃんと全部聞いてます。大剣まで振り回したの、やり過ぎです」
両手を腰に当ててペイドランが更に言う。
「いや、それはな、腕試しで」
ゴドヴァンが早速しどろもどろだ。ルフィナもおろおろしている。メイスン本人に対する態度とはまるで別物だ。
仲間だと思っている相手にきつく言われるのはこの二人には堪えるらしい。
「イリスちゃんと俺の大恩人です。メイスンさんがいなかったら、俺たち、不幸せだったんですよ」
どうやら真剣にペイドランが怒っている。
(そういえば、そんなこともあったね)
クリフォードはゴドヴァンとルフィナの様子を窺う。
メイスン本人があまり恩に着せてこないのと、しばらくペイドランと離れていたため、そこのところの認識が薄くなっていたのだった。
「すまん、ペイドランに言われると何も言い返せないな」
まずゴドヴァンが素直に頭を下げた。
「そういえば、イリスを助けたのメイスンとシェルダンだったわね」
ルフィナも反省し始めたようだ。
「むしろ、主にメイスンさんです。隊長はただの付き添いだったみたいです」
はっきりとメイスンの味方をするペイドラン。
「だから、あんまりメイスンさんにひどくすると、いつか俺とイリスちゃんの」
そしてペイドランの言葉が急停止した。真っ赤になってうずくまる。
(多分、子供の顔は見せない、とかそういう話かな)
照れて思考停止したペイドランを見て、ついクリフォードは微笑んでしまう。やはり見ていて退屈しない。
「悪かった、ペイドラン。ただなぁ、俺らもちょっと奴には含むところがあってなぁ」
すまなそうにゴドヴァンが言い淀む。
ペイドランのおかげで2人とも素直に話そうとしてくれている。最初に強気に出たのが良かったようだ。
「それは、どういう?」
クリフォードは尋ねて先を促す。功績はあったものの羞恥心で思考の麻痺した純情少年は捨ておくこととする。
「あいつとは歳が近い」
ゴドヴァンの言葉にルフィナも頷く。年齢が近いと張り合う、という一般論だろうか。
確かゴドヴァンとルフィナが29歳、メイスンが28歳だ。
「奴は、実家近くに魔塔が立つ、なんてことがなけりゃ、シオン殿下の側近になってたかもしれねぇ」
確かにシオンも知っているほどの剣豪だったとクリフォードも聞いている。実家の爵位が低いことを思えば異様なことだ。
(先日の戦いでも尋常な腕ではなかった)
貴族学校から後ろ盾のある状態で軍に入っていれば、今のゴドヴァンの地位にいたのかもしれない。
「負けたくないのよ、私もゴドヴァンさんも」
ポツリとルフィナも言う。どちらかというと張り合ってしまうのはゴドヴァンの方なのだろうが、ルフィナも愛するゴドヴァンのこと。他人事ではないのだ。
「しかも、シェルダンとも仲良くしてて、セニアさんも懐いてて。何なのって、つい、ね」
ルフィナも思うところがあったようだ。
「生意気に実際、そこそこ強いときたもんだ」
ゴドヴァンが更にいう。なまじ実力が拮抗していないほうが2人にとってはむしろ良かったのかもしれない。
「ただ、素直に認められないのよね」
ルフィナも肩をすくめてみせた。
「そういうの、命を縮める、って隊長なら怒りますよ」
立ち直ったペイドランが口を挟んだ。
「そうね、理屈では分かるわ」
ルフィナがため息をついた。
「あぁ、腕前は認めざるを得ねぇ。まあ、偵察なんかは正直どうなのか、とも思うがな」
ゴドヴァンも相槌を打つ。
もう2人とも直接の態度はどう出るかは分からないながら、メイスンの同行自体は拒んでいないようだ。
「酒、ですな」
クリフォードは茶器の横に酒瓶を置いて宣言した。不平不満などというものは溜め込まず、随時吐き出してしまったほうが良い。
「何か愚かなことを言っても全部お酒のせいにしましょう」
いつぞやとは逆だ。仲間だから都度立場が入れ替わることもある。
「俺、呑めないです」
持ってこさせた本人が言う。
「じゃあ、お子様の君は食堂でミルクでも貰ってきなさい」
唯一の既婚者に対し、クリフォードは告げた。
結果、怒ったペイドランからの鉛筆による飛刀を額に受け、悶絶することとなる。
「俺、仕事あるから帰ります」
ぷりぷり怒りながらペイドランがシオンのもとへと戻っていく。
「まぁ、あの子に免じて、ね。今回はメイスンの同行に反対しないわよ」
呆れ顔でルフィナが言う。
「あぁ、殿下とペイドランに免じて、な」
ゴドヴァンも言い添える。
そして、クリフォードとゴドヴァンは昼間からルフィナに酒を呑ませたことにより、ひどい苦労をするはめになるのであった。




