223 戦地への郵便
潮の香りを風が運んでくる。
近くには海や河口といった水辺もあるので、シーサーペントによる奇襲には気をつけなくてはならない、とシェルダンは思う。
現在は軍団の布陣している中央付近で休憩している。外縁部にいる部隊が交代で魔物相手の戦闘をこなしている状態だ。いまはシェルダン本人からして手頃な木の根に寄りかかって座り、身体を休めていた。
「来たか」
にわかに周辺の陣地が騒がしくなる。どこか浮ついた騒ぎ方だった。郵便物が伝令の兵士によって届いたところのようだ。親しい人からの手紙は誰だって嬉しいに決まっている。シェルダンですら同じだった。
「隊長、お手紙です」
リュッグが自分宛ての郵便物を渡しに来た。カティアからだ。シェルダンは受け取りつつ、リュッグの手元に目をやる。
ちゃっかり自身も可愛らしい封書を手にしているところが微笑ましい。恋人だという聖騎士セニアの侍女シエラからだろう。
ひどく機嫌が良いようにも見える。いつも真面目に結んでいる口元が綻んでいるのだ。
「どうした?」
感情の見え透いている部下を見てシェルダンも微笑んで尋ねる。
割合に情勢は落ち着いていた。陣営の中心地であれば魔物に襲撃される心配はない。アスロック王国も、鉱山があり、漁業の要所でもある、この地方だけは手入れを怠らなかったのだ。
「試験、合格しました!」
高らかにリュッグが宣言した。可愛い桃色花がら封書の後ろから、厚紙で作られた賞状を見せてくる。
「おおっ!」
シェルダンは、ただ声を上げるしかなかった。
通信技術士官の試験に一発で通ったのだ。一地方都市の下級兵士でありながら、の快挙である。正直、一発合格するとはシェルダンも思ってはいなかった。
「おめでとう、努力が実ったな」
遅れてようやく言葉が出てくる。良い線まではいっても、合格するのは2回目より先だろうと思っていたのだ。倍率10倍くらいの狭き門である、と推薦した後で知った。
すべての努力が報われるわけではない。だからこそ尚更シェルダンは部下の得た朗報が嬉しかった。
戦地でなければ今頃、分隊員全員で祝い酒を飲んでいる。
「ありがとうございますっ!訓練のことで配慮してくださったり、助言してくださったり、専科へ入れて頂いたり、本当にシェルダン隊長、ありがとうございます」
どこまでも嬉しそうにリュッグが礼を言う。
本当に嬉しい言葉であり、酒が入っていたら泣いているところだ、とシェルダンは思った。なんなら既に涙ぐんでいるのだが。
本当は少し寂しさもある。本人はまだ気づいていないようだが、このまま通信技術士官としての道へ進むなら軽装歩兵ではいられない、ということになる。
「シエラちゃんにも良い返事が書けますっ」
珍しく本音が口から溢れ出ている。よほどリュッグも嬉しいようだ。
(こりゃ尚の事、死なせられないな)
シェルダンは微笑みつつも思う。
元より部下から死傷者など一人たりとて出すつもりはない。
視界の隅にハンスが入ってきた。明るいリュッグとは対象的に浮かない顔をしていた。いつもとは真逆である。
「他のやつにも自慢してこい」
シェルダンは浮かれているリュッグを送り出した。いずれ、外縁部での戦いに取り組む際にも同じ様子なら、締め直してやらなくてはならないのだが。
(さて、当面の問題児がもう一人)
ちらりとシェルダンは近づいてくるハンスに一瞥をくれて思う。
酷く浮かない顔で、一通の手紙を手にしたまま、自分とリュッグのやり取りが終わるのを待っていたように歩いてくる。
実家の兄のことだろうか、とシェルダンは当たりをつけた。もとより実家の兄が負傷した、という身上報告は受けている。
「隊長、ちょっとお話が」
ハンスが珍しく真面目な顔で言う。
「分かった、少し、場所を移そう」
立ち入った、私事の話となるのを見越して、シェルダンは言う。他の兵士から離れた木立にハンスを連れて行く。
「実家から、こんな戦地にまで手紙が届いて。兄貴がやっぱり動けねぇ。家業が滞るから帰ってきてほしいって」
ハンスが手紙を握りしめて切り出した。
もともと副官だったカディスから聞いたところでは、実家を出て流れ歩いているところ、カディスの誘いで軍に入ったのだという。気楽な次男坊が気楽な身分ではなくなりつつある、ということだ。
「そうか。兄上殿も難儀だろう。だが、お前はどうしたいんだ?」
シェルダンからしてみたら、ハンス本人が実家に戻ることを良しとしているかどうか、未知数なのであった。
軍にいれば命懸けだ、ということをゲルングルン地方のときにも話したばかりなのだ。
「うちは、東国の材木を買い付けて、ドレシアより西で売り捌くって商売です。確かに動けねんじゃ仕事になんねえ。従業員なんかの生活もあるから、帰ってきて助けろって気持ちも分からないじゃないっすけど」
ハンスが実家のことを説明する。とりあえずはあちらも困っているであろうことが、シェルダンにもよく分かった。
「すいません、隊長、やはり自分の身内なんで、この戦が終わったら、退役して家の仕事に就こうと思います。ニーナとも予め相談はしてて、よほど困ってるようなら助けようって」
気まずそうに、それでも思い切った様子ではっきりとハンスが告げる。
家とのしがらみは簡単に切って切れるものではない、とシェルダンにも痛いぐらいによく分かった。
「すぐに今から向かうのでもいいんだぞ。無理にこの戦の後、と俺は言えん」
分隊長の立場としては、ハンスに限らず一人でも分隊員に抜けられると困る。それでもシェルダンは申し向けてしまう。
(ご実家からしたら、ハンスに何かあったらと気が気じゃないだろうに)
戦に絶対の安全などない。常に死傷の危険と隣り合わせなのだ。
リュッグ同様、もとより死なせるつもりはないのだが。自分にだって限界はある。
(俺だって無敵じゃないんだ。斬られりゃ血が出る身体だ)
シェルダンはなぜかカティアの顔を思い出す。戦いの度に、ここ最近はカティアを思い、油断しないよう、死なないよう殊更に自分を戒めているのだ。
本当は戦いなどなく、軍人が給料泥棒をしていられる世の中が一番良いと思う。
「俺、この部隊には思い入れがあるんです。それにもう出征してきて、今更。せめて、この一戦は皆と一緒に戦いたいです」
力なく笑ってハンスが嬉しいことを言う。
気になるのは笑みに力がない、ということだけだ。別のことを気にしながら違うのは確かに嫌だろう。気持ちはよく分かるのだが。
「分かった。ただ、戦いだ。どうなって、何が起こるか分からん。いつも以上に集中して、用心しても足りない、そう思え」
シェルダンはニヤリと笑って告げる。
ハンスが嫌な顔を反射的にした。自分の笑顔で嫌なジンクスを思い出し、少しでも用心してくれればいい。
「特にその、覇気のない顔は戦いが終わるまで禁ずる。戦うつもりなら、家のことは忘れろ、いいな」
シェルダンは強い口調できっぱりと言い切った。
ハンスがバチンッと両手で自分の両頬を挟み込むように叩く。
「分かりました」
気合を入れ直して、ハンスが陣営の方へと戻る。
背中を見送りながら、リュッグとハンスを死なせたくないと感じたことをデレクに告げたら何と返してくるのか、シェルダンは気になった。
何を温いことを、と笑われるだろうか。
(だがなぁ、俺も含めて、皆、死にたかないんだ)
それぞれに自身の立場や守りたいものがあるのだ。
改めて魔塔上層へ自らが上がらずに済んでよかった、ともシェルダンは思う。
(何せ、次の魔塔、上の方は大変なところだろうからな)
シェルダンは遠くにそびえる黒い塔を見据えて思うのであった。




