221 聖騎士セニアの変化1
血のにじむような努力の末、聖騎士セニアが光集束を少しだけ撃てるようになった。木の葉を落とすところから、地面に小さく、拳大の穴を穿つようになるぐらいまで。
今いるクリフォードの離宮、練兵場の地面には小さな穴が幾つも散見されるようになっていた。セニア本人が疲れ切ると、うっかり足を踏み込んで躓いてしまうほど。
(本当に不器用な人だ)
あまりに遅い成長にメイスンは胸を痛めていた。
「だめ、まだ、こんなんじゃ、全然、実戦じゃ使えない」
汗だくになり、セニアが首を横に振った。気持ちとは裏腹に疲労で膝をついてしまう。
4日前、シェルダンに喝を入れられ、クリフォードに励まされてから、本当の努力を始めたセニアを見ている。
(4日もあれば、私はもっと楽にできていたのだが)
ひたすら教練書を熟読しては、自分で光集束を放つことの繰り返しだ。時折、メイスンも手本を求められた。今までのお遊びのようなものではなく、細くしたり太くしたり、自分とどう違うのか。教練書とはどうなのか。意図と目的がはっきりしている。
(本気で学ぼうとすれば、手本を求める、ということ1つ取っても、まるで姿勢が変わってくるのだな)
今日も朝から日の落ちた今に至るまで、一心不乱に神聖術の訓練である。
(ここまで頑張れる人だったというのに。私は一体、何をしていたのだ?)
懸命になったセニアを見て、メイスンは忸怩たる思いを抱く。
結局、シェルダンに声をかけてもらうしかなかった。成果を出しているのも、メイスンの忌避していた厳しい言葉だ。
「少し、休まれてはいかがですか」
それでも、自分の口を今、ついて出たのは甘やかすような言葉ではないか。
メイスンは首を横に振る。もう日も落ちて、本人も疲れ切っているのだ。これ以上、無理をさせても得られるものは何もない。
「おじ様、気にかけて頂けるのは嬉しいけど。でも、こんなんじゃ、実戦では使えないわ。もっと強くならなきゃ」
切迫した表情のまま、セニアが言う。救いがないのはこれだけやってなお、本人の言う通り、まだまだ実戦では使えないということだ。
「くっ」
また光集束を放とうとしてセニアがよろめく。
体の疲れとは、また違う疲れに襲われているはずだというのに、まだやる気なのだ。
「強さは一朝一夕で得られるものではありません。食事を摂って、しっかり取るべき休息を取るのも大事なのです」
主を止めるため、少しだけ強くメイスンも言わざるを得なかった。
頭の隅では、シェルダンなら何と言うだろうか、どうするのだろうか、とつい考えてしまう。自分は自分だ、という考えにはなれないものの。シェルダンに代わって貰おうとも思えない。
(それこそ意識を失うまで。更には水をかけて起こしてでも)
シェルダンが険しい顔でセニアに訓練をつける姿が目に浮かぶようだ。第7分隊の分隊員たちに向けるのとは、まるで違うことをセニアにはするのではないか、と思ってしまう。
分隊員に対しては厳しくすることもあれ、節度をもって接していたように思う。
(おそらく仕事だから、軍人としての接し方をしていたのだろうが。だがセニア様は彼からしたら部下ではない)
シェルダンの奥底に隠れた私情が唯一向かってしまう相手がセニアなのだろう。
セニアにとって結果的には良い発破になったのだとしても、シェルダンの昔語り後にかけた言葉は苛烈で厳しいものに感じられた。
「さ、今日はもう休むのです。シエラも心配しているでしょう」
メイスンはセニアに手を貸して立たせると離宮の方へと連れて行く。
「セニア様、お疲れ様です」
案の定、今か今かと主の帰還を待ちわびていたシエラが脱兎のごとく駆け寄ってくる。
憔悴しきったセニアを見て心配そうな顔をする。ここ4日間でおなじみとなった光景だ。
「あの、お食事の準備も、お風呂の準備も出来てます」
自分とセニアを見比べてシエラが言う。どちらを先にすべきか判断がつかないようだ。
「とにかく、食べなきゃ。力が戻らないと何も出来ないから」
身繕いより食事を優先する、貴族令嬢とは思えない物言いだ。まだ何か動くつもりなのだろうか。
シエラが目配せしてくる。あとは自分に任せろ、ということだろう。実際、食事の世話も風呂の世話もシエラに任せるしかなく、メイスンに出来ることなどないのであった。
(あとは任せた)
メイスンは自室に戻るとルーシャスからの手紙に目を通し、返書をしたためた。
認め終えて、ふと、シェルダンから貰った剣に目が行く。自分も空き時間があれば、この剣を振るって手に馴染ませようとはしてきた。
(当然に、私は次の魔塔で力を尽くすつもりだが)
メイスンはスラリと剣を抜き放ち、曇のない刀身を見つめる。
(それだけで良い、と思って思考を止めてはいなかったか)
元よりセニアの執事となることが自分の目標だったわけではない。なったのは成り行きであり、セニア自身の目標も先にある。
「そもそも、光集束などなくとも、セニア様は仲間の力を借りて既に2本の魔塔を攻略されている」
口に出してメイスンは呟いた。
「だというのに、なぜ、ここまで、あの人は必死に神聖術を向上させねばならないのか」
自分でも答えは分かっている。
(レナート様も為せなかった、最古の魔塔の攻略。これが念頭にあるのだろう)
自問して自答した格好だった。
セニアよりも神聖術の分野では遥か先にいたレナートですら命を落としている。そこへ今程度の実力では、とシェルダンやゴドヴァンといった経験者らには分かっているのだ。
(それでも、だ。そもそもセニア様は最古の魔塔に挑むべきなのか)
考えれば考えるほど分からなくなってしまう。
メイスンは首を横に振って剣を納めた。
(何より最後は本人の希望、意志次第だ。私ごときが云々することではない)
メイスンは思い直した。
机に置いた新聞の見出しが目に入る。アスロック王国を制圧し、魔塔を攻略していくことの利点が並べ立てられていた。
クリフォードの言葉通り、第1皇子シオンによってガラク地方の魔塔攻略への機運、さらには聖騎士セニアへの期待は高められている。
(ゲルングルン地方のときには本土の国防、ガラク地方では鉱山採掘の利を説いている。やることは戦争だというのに。世が世なら恐ろしい御仁だ)
うまく戦いへと民衆を駆り立てているシオンについて、メイスンは思った。
(だが、アスロック王国の民は魔塔の苦しみから解放され、我が国は利益を得る。結果的には悪い行いではない。セニア様の真心、誠意に根ざしている限りは正義を失うこともない、か)
椅子に座って腕組みをする。しばらくは取り留めもないことを考えていた。どうなるのが、どこへ導くのがセニアにとって幸せであり、自身も心温まる思いをするのか。
どれだけ考えていたのか。遠慮がちに部屋の戸を叩く音が響いて、メイスンは我に返るのであった。




