22 第7分隊〜ハンター1
「隊長、トサンヌで一杯やっていきませんか?」
その日の軍事訓練終了後、古参の分隊員であるハンターが、執務室でゴシップ誌を読む、帰宅前のシェルダンに声をかけてきた。
背丈こそ人並みだが、筋骨隆々とした男である。ちょうど45歳となり、若い頃よりは体力が落ちた、などと零してはいるが、日焼けした元気な男だ。ルベントの街で妻子と貸家住まいをしているという。
「いいぞ、ちょっと待ってくれ」
読み返していたゴシップ誌を閉じて本棚に戻し、シェルダンは身繕いをする。といっても紺色の長袖シャツと長ズボンに着替え、財布を手に取っただけだが。
「まぁたゴシップ誌ですか。隊長もお好きですなぁ」
ハンターがニヤニヤと笑って言う。そういうハンターもシェルダンが最新刊を買うと、執務室に来て、いつも欠かさずに読んでいくのである。
10日に一度くらいの頻度で、ハンターとはトサンヌで酒を飲んでいる。お互い実家や自宅で夕飯があると分かっているときは酒だけだ。寮住まいのカディスやハンスが同席することもある。
交流を深めるのには良い機会だ。シェルダンもあまり断らないようにしている。
軍人としてはベテランに当たるハンターは、本来カディスがいなければ副官を張れるほどの人材だ。腕っぷしも強く、若い隊員たちの面倒もよく見ているので、ハンスやロウエンからも慕われている。
(いつ来てもここは騒がしいな。活気があって、良い)
トサンヌに入ると、一見して、軍人とわかる男たちで賑わっている。野太い大声や酒の臭いが充満していた。
適当に空いてる席に腰掛けて、シェルダンとハンターはそれぞれ麦酒と料理を注文した。ハンターが店名にもなっている魚料理のトサンヌに、シェルダンはいつもの煮込んだ卵料理だ。
「隊長、聞きましたか?アスロック王国の元聖騎士様の話」
麦酒を飲み交わしながらハンターが切り出した。
おそらく第1皇子シオン直下の騎士団長ゴドヴァンに負けた話だろう。二人して同じゴシップ誌を読んでいるのだから、知らないわけもない。
「厳密には元アスロック王国侯爵令嬢の聖騎士様だな。聖騎士という立場は、どこにいても変わらないだろう」
シェルダンも麦酒を飲みながら訂正した。
どちらかというと、ハンターはセニアに対して批判的である。
他国出身の聖騎士であり、ドレシア帝国に亡命してから国や民のためになるような働きをしていない。アスロック王国での活躍がドレシア帝国にも知れ渡っているだけに、ハンターに限らず批判をしている者は多い。
(幻滅したって人が多いだろうな)
以前、アスロック王国出身のシェルダンに対し、ハンターは遠慮がちにセニア批判を始めた。シェルダンも似たような見方をしていると知ってからは遠慮もなくなったのだが。
「でも、聖剣をシオン殿下に取り上げられたんでしょうが。ぐうの音も出ないぐらいに負けたって話でしょ。聖剣のない聖騎士様なんているんですかい?」
シェルダンもセニアの敗報は知っている。シオン直下のゴドヴァンにセニアは手も足も出なかったそうだ。まさに軽くひねられたらしい。
「普通の剣でも、聖騎士としての働きは出来る」
シェルダンは苦笑して告げた。
今のセニアはアスロック王国にいたときほど、尊敬に値する人物ではなくなりつつある。おそらく本人の認識でもそうだろう。自分に自信が持てなくなってきたから、焦って判断を誤っているのだ。
「そいつはいいや。少しは人の役に立ってくれねえと」
笑いながらハンターがコップの酒をあおる。
開けっぴろげなセニア批判を繰り広げているわけだが、咎め立てをする者はいない。最近ではどこでも似たような議論が繰り広げられているのだ。
「だいたいクリフォード殿下だって、こんな街で美人としけこんでねぇで、皇都で他にやるべきことがいくらでもあるでしょうよ」
苦虫を潰したような顔をするハンターの悪口が、クリフォードにも飛び火した。だいぶ口汚く改悪されているが、これまたゴシップ誌の受け売りである。
元々、クリフォードの民からの人気は高い。今でもそうなのだが、少しずつ批判の声も上がっていて、主にセニアがらまりのことである。
「まぁ、魔塔に近い街ではあるから、ここに滞在している理由がないでもないが」
シェルダンも苦い顔をする。
炎の攻撃魔術を得意とするクリフォードも、かつてのセニア同様、率先して魔物を駆除していたから人気が高かったのだ。最近ではそれも減った。シェルダンたちの軍務が軍営での訓練ばかりになったのもそのせいだ。出撃が減ったのである。
「全く、他国の女を連れ込んで、離宮で何をしているんですかね」
ハンターのようにクリフォードとセニアの仲を勘ぐる声も多い。ロマンスとして最初はもてはやしていた民衆も、2人が魔物の駆除を怠っていると見てからは幾分白けてしまったようだ。
「2人とも実力はお持ちだからな。有効に実力を活かしてほしいものだ」
シェルダンは言いつつも、離宮での様子を思い浮かべて、まだまだ2人の間では何も無いだろうと思っていた。セニアのほうに、色恋をする余裕がない。
ただ、思うところはあって、焦れったいというのがシェルダンの思いである。
聖騎士セニアは、アスロック王国の人間が総出で逃したような人物である。聖騎士としてはまだ若く未完成でも、将来性に期待をしていた。クリフォードとしては守っているつもりなのかもしれないが、もっと修羅場をくぐって成長してほしい。
(そして願わくば、ドレシア帝国からでも、いつか祖国を救ってもらえれば)
同じく国を捨てた身で図々しすぎるだろうか。
「もったいねえってことですか?」
ハンターが、店名にもなっている魚料理を箸でつついている。海底に住んでいる魚を甘じょっぱく煮込んだ料理である。
シェルダンは自身も卵料理をつつきながら、残った麦酒をチビリチビリと飲んでいた。
「アスロック王国にいた時は、もっと魔物との戦いに出られていたよ。軍人や騎士よりもご活躍されていて、先代のレナート様を超える、と言われていたものだ」
先代聖騎士レナートの神聖術は実に強力であった。剣術の方は素質がなかったのか、訓練をしてはいても並の騎士より少し強い程度。ただ、後衛的な位置から光る刃を放って魔物を根こそぎ、たたっ斬るのである。まさに一撃必殺であった。
ただ、神聖術に遣う法力は燃費が悪い。ここぞというとき以外のためや防御のために、剣術の素養がないのは致命的であった。
「それが、今やこの体たらくですかい。分からんものですな」
ドレシア帝国で暮らしていて、聖騎士始め元アスロック王国の移民を受け入れる側に立てば、ハンターのように考え、感じるのだろう。
「第1皇子直下の騎士団長殿に敗れて、また変わられたそうだ」
カティアから聞いた話だ。
「それは初耳だ。どこで聞いたんです?」
早速ハンターが興味を示す。
「内緒だ。詮索禁止」
カティアとのことを知っているのはカディスだけだ。隠す必要はないが恥ずかしいのである。
セニアが、クリフォードに嫌な顔をされてでも、訓練場にこもって剣術の鍛錬を再開したという。いずれクリフォードの制止を振り切って、魔物と戦えるようになる日も近い。
「まだ、アスロック王国を出て、一年も経っていないからな。セニア様はまだ20歳にもなっていないはずだ」
シェルダンは言い、残りの麦酒を一息で飲み干した。
「これからってことですか」
ハンターも麦酒を飲み干す。そろそろお開きにしようということだ。
「まぁ、最初は俺みたいなのでも気持ちが沸き立ちましたよ。隣のアスロック王国から現役の聖騎士様が来てくれたってね。しかも偉い美女、と来たもんだ」
くっくっとハンターが笑いながら言う。更に続ける。
「でも、そっから第2皇子たぶらかして、第1皇子との抗争になりそうで。今はがっかりですよ」
次期皇太子である第1皇子と妾腹の第2皇子との諍いからくる民の不安。アスロック王国とは形が違うものの、民の不安は瘴気を呼び、新たな魔塔を生み出しかねない。
自分が思っているよりも悪い状況なのかもしれない。
(といっても、一介の兵士である俺にはどうしようもないんだけどな)
ましてハンターに言うことでもない。
そのまま、いつもどおり会計をしてシェルダンはハンターと別れて帰宅した。