216 アスロック王国の真実
「なかなか思い通りにはいきません」
がっくりと肩を落として騎士団長のハイネルが言う。
アスロック王国王太子エヴァンズの執務室だ。王太子エヴァンズの他、腹心の魔術師ワイルダーもいる。
黙ってアイシラは3人のやり取りを眺めていた。内心は白けきっていながら。
「元々が腐り切っていたのだ。やむを得まい」
苦り切った顔でエヴァンズも返した。もう一人のワイルダーも重々しく頷いている。
3人が話しているのは、マクイーン公爵から指揮権を委譲された、正規軍に対する調練の進捗状況だった。捗々しくないらしい。
ちょうど、数刻前に侍従のシャットンが、ドレシア帝国によるガラク地方への侵攻を知らせに来たばかりである。
残された数少ないまともな軍人の一人、代官レパルドがガラク地方の主城ガリグラ砦で籠城に入ったという。が、出せる援軍がいないというのが、エヴァンズらの悩みのタネなのであった。
アイシラはエヴァンズの右隣にある自分の執務机に両肘をついた。既に仕事はない。皮肉にも国土が狭まったことで通常の雑務は大幅に減ったのである。
(そのレパルドって人、使える人なら、とっとと引き上げてしまえば良かったのよ)
アイシラは思う。
国家の生命線たる事業である沿岸漁業と、鉱山採掘の両方を担うのがガラク地方だ。魔塔放置以外、実に上手く国を回してきた王太子エヴァンズにとっても生命線とも言える地域なのである。
「ガラク地方は魔塔があるとはいえ、魔物も少ないですから。奴らは戦に専念できる情勢です」
唇を噛み、悔しげにワイルダーが言う。他ならぬワイルダー本人が魔物を駆除し整えてきた地方である。その努力が皮肉にも敵を利する形になっていた。
「くっ、なんとしてもレパルドの奮戦に報いてやりたいのだが」
歯ぎしりしてエヴァンズが言う。
ガラク地方の重要性を認識し、エヴァンズもそれなりに気骨のある人材を送り込んでいた、ということだ。兵士もハイネル自らが選抜した、真っ当な者たち2000をつけていたという。
(もったいない。今、手元に2000がいたら)
アイシラは重ねて思う。
現状で信頼できる数千単位の将兵は貴重だ。だが、3人ともガラク地方を手放すことを躊躇してしまい、対応が遅れたのだった。
既にドレシア帝国軍が付近に展開して動きが取れないのだという。
「正規軍の調練はろくに進められておらず、むしろ厳しい調練に音を上げて、逃げ出す者まで出る始末」
ハイネルが話を正規軍に戻した。無理矢理、増援に出してもなんの役にも立たないということだ。援軍として辿り着くことも出来ないだろう。
「このままでは、正規軍の数は減っていく一方です」
慨嘆してハイネルが言う。
元より軍にいれば飢えることはない、と食い詰め者がそのまま兵士となったのである。質はたかが知れていた。
また、先の戦で一万のうち五千を犠牲として失い、そこからの脱走も相次いだ。質も数も見るに堪えない、とハイネルは言いたいのだろう。
(でも、少しは良くなったのではなくて?)
アイシラは思う。
それでもハイネルが厳しく死人まで出るほどの調練を連日、課している。肥えて動けなくなった、などという将官から真っ先に逃げ出し、残ったものはかえって割合に動きが良くなっている。
まったく当てにならない一万よりも、たとえ百人でも使える兵士がいたほうが良い、とアイシラなどは思うのだが。
(こういうのを素人考えっていうのかしら?所詮、私は幻術だけの女だものね)
アイシラはまた、3人のやり取りに耳を傾ける。
「なんとか、ガラク地方を守り抜き、レパルド殿も救援したいのですが」
特にガラク地方への思い入れの強いワイルダーがまた言い始めた。
王太子エヴァンズも頷く。
(おめでたい人たちね)
一度、完全に腐り切らされた軍が、手元にいるだけの状況で出来もしないことを言い合っている。
ただの傷の舐め合いだ。
マクイーン公爵から正規軍の指揮権を委譲された時には、やれ、ガラク地方の防衛だ、やれ、ラルランドル地方の奪還だ、などと威勢のいいことを言っていたものだが。
(実際は、要らないから、使い物にならない連中の世話を押し付けられただけなのにね)
なまじ、なんの思い入れもない自分が、一番客観的に状況を見られているようだ。
「いや、しかし、ガラク地方は諦めるしかないかもしれん」
ポツリとエヴァンズがこぼした。声には隠しようのない疲労が滲んでいる。
「兵力が足りないのだ。どうしても、その現実は変わらん」
遅れて、ようやくエヴァンズが正解へと辿り着いた。
(その結論にはちゃんと至れるのよね)
本来、エヴァンズもハイネルも愚かな人間ではないのだ。
努力も能力も本物なのだが、アイシラの目から見てもズレている。細かいところで正解を重ねても、根本的なところを間違えているから、苦しくなる一方なのだ。
「兵士が少ない以上、守れる範囲に兵士を固めて守り、迂闊に手を出してきたら、反撃して相手の戦力を削るのだ」
エヴァンズの言葉に、ハイネルとワイルダーが頷く。一応、エヴァンズも幼い頃から軍略も学んできたのだそうだ。
素人のアイシラから見ても、現状では賢い選択に聞こえた。
(でも、そもそもなぜ、こんなことになったのか。あなたは分かっていないのよね)
アイシラは端正なエヴァンズの横顔を見て、哀れにすら思う。
(本当に国を思うのなら、あなたは個人の嫌悪を捨て、セニア様に頭を下げて助けを乞うべきだった。そして、魔塔を倒してもらうべきだった)
だが、エヴァンズがセニアに頭を下げることはない。名を聞いただけで激高し、独り相撲を繰り返してしまう。
マクイーン公爵とアイシラにとって、これほど御し易い人間はいなかった。上に立つ人間は個人の好悪を晒してはならないのだ。
頭の出来とは違う、愚かしさと心の弱さを持つのがエヴァンズである。
(そんなだから、あなたは、自分の父親が死んでいることにすら気付かない)
アイシラはじいっとエヴァンズたちを眺める。
何も疑問を抱かず、当面の悩み事に悩み続けている3人を。
(いくらなんでも、病床に伏している期間が長すぎる、とは思わないのかしら)
もう一年以上、エヴァンズの父王は危篤、ということで王城の奥にいることとなっていた。
(まぁ、思えないように、私がしたのだけどね)
未だにアイシラの幻術にかかって、毎日治療を行う医師に介護する女官たち。時折、見舞いに向かうエヴァンズ。
全員が自分の幻術にかかって、空っぽの病床に語りかけているのだった。実際の国王は既に白骨化している。
(これも、マクイーン公爵の差し金だけどね)
アイシラは、ただ、幻術の良い練習になりそうなので手を貸した。一年以上も継続的に幻術をかけ続けると人はどうなるのか、見たいということもあったが。
(本当に、何を企んでいるのかしら)
父王よりもエヴァンズの方が御し易い、聖騎士レナートが死んだ以上、あとは娘を陥れれば聖騎士は潰える、ともマクイーンは言っていたものだ。
(いずれにせよ、マクイーン公爵の思惑通り、聖騎士セニアを手放し、父の死にも気付かないことで、確実にこの人の将来は、終わりつつある)
根本的なところを間違えたまま、破滅へと突き進む王太子エヴァンズ。その婚約者として共に破滅へと突き進む悪女の自分には、どんな未来が待っているのだろうか。
(私はその破滅を経験してなお、生き延びられれば、人に破滅する幻術を見せることができる)
アイシラにとっては、いずれ楽しみな将来でしかないのであった。




